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『(1745年はインディアンの間に大覚醒が起こった年である。『涙とともに播くものは歓びとともに刈り取
らん、その人は種をたずさえ涙を流していでゆけど、束をたずさえ喜びてけりきたらん』(詩篇128の5,
6)。このことはブレイナードについてもその儘(まま)言えよう。8月8日こそ、その輝かしき日であっ
た。ついにリバイバルが起こったのである。ごく少数の人しか経験しなかったような苦難を経過し、日夜
労し、数え切れないほどの時の祈祷と断食に費やし、機を得るも得ざるも伝道と証詞に努めた結果、つい
に天は裂け、火は降った。祈祷の人デイビッド・ブレイナードの働きは嘉(よみ)せられ、その祈りが聴
かれたのである。)
午後ルカ伝15章16節−23節についてインディアンに説教す。説教している間、彼らの中に目にすることが
出来る大なる関心が起こった。後程、大なる気遣いにあると思われる一、二の者に向かって一層詳しく話
した時に、神の力が『恐しき風の吹きたるがごとく』会衆の上に臨み、驚嘆すべきエネルギーをもって、
進路にある一切のものを倒壊するかのごとくに思われた。聴衆のほとんどすべてを捉えたこの力を見て、
私は驚愕の目を見張った。それは、支うべからざる重量と圧力をもって、進み行く道筋にある一切のもの
を倒壊し、押し流してしまう当るべからざる激流、あるいはふくれ上がった洪水とのみよく比較すること
が出来よう。あらゆる年令のほとんどすべての者が大なる気遣いによって圧倒せられ、この驚くべき働き
の衝撃に耐え得る者はほとんどなかった。長年の間手の施しようのない酒飲であった老齢の男女、および
6、7才位になると思われる幾人かの子供も、中年の者同様みずからの魂に対する苦悩を表わした。これら
の子供は、少なくともその何人かはそうであるが、一般の者の苦悩を見て単に恐れをなしたのではなく、
彼らの中のある者が言っているように、彼らが当面している危険、彼らの心の悪しきこと、およびキリス
トを持たざることの悲惨を意識したことは明らかである。今や、最も頑なな心の持主も屈服せられざるを
得なくなったのである。』
ブレイナードの日記 オズワルド・J・スミス著 (昭和29年3月15日初版発行)
『大覚醒起こる』
本当のリバイバルは聖霊による罪の自覚、悔い改めによってきます。
その典型例を彼ら(インディアンたち)は示しました。
それに6,7才なるほどの子供も、自分の心の悪しきことを嘆いたのです。
このリバイバルはブレイナードの熱心な祈りによって来ました。
彼は汗でびっしょりになりながらも祈り続けたのです。
彼の日記を読むと、『この一日を祈りと断食のためにささげる』という言葉がよく出てきます。
なんという、まだ救われていない者に対しての愛でしょうか。
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