だいすけのおもいっきり聖書

「あなたは新しく生まれなければならない」

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イスラエルに関しての預言です。
今回紹介するのは、聖書の中でも分かりやすく、はっきりとしたものです。

申命記を含む、旧約聖書の始めの5書はモーセ五書と呼ばれ、モーセによって書かれました。
モーセではなく、たくさんの人が書いた寄せ集めだという人もいますが、私はそれを支持していません。

さて、場面はイスラエル民族が約400年間奴隷となっていたエジプトから上り、
約束の地カナン(今のイスラエルの地)に近づいたときのことです。

これは約3500年前のことです。

モーセはイスラエルの民に対して、神に従うことへの祝福と、
神に背くことへののろいを告げました。

今回取上げるのはのろいの方です。なぜなら、イスラエルの歴史はそののろいがはっきりと表わされたからです。それは次のようにはじまります。

「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。」申命記28:15

その中には多く「このようなことが起きる」とのろいが書かれていますが、今回は三つの部分をとりあげたいと思います。

「主は、あなたと、あなたが自分の上に立てた王とを、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった国に行かせよう。あなたは、そこで木や石のほかの神々に仕えよう。 」申命記28:36

まずはじめにイスラエルがその地(パレスチナ)に入って、経験した大きな他国の侵入はバビロン捕囚です。(アッシリアもありました)
バビロン帝国のネブカデネザルによってイスラエルは破壊され、多くの民が捕囚としてバビロンに連れていかれました。
そしてまさに、バビロンの地こそが偶像礼拝の盛んな地だったのです。
バビロンは文明発祥の地とも言われたりしますが、偶像礼拝発祥の地だとしてもおかしくはありません。
「木や石のほかの神々に仕えよう」と預言されているとおり、イスラエルの民自身も偶像礼拝に陥りました。

「主は、遠く地の果てから、鷲が飛びかかるように、一つの国民にあなたを襲わせる。その話すことばがあなたにはわからない国民である。その国民は横柄で、老人を顧みず、幼い者をあわれまず、」申命記28:49

これが二度目の外国が関わっているのろいです。
さてこれはどの国のことを言っているのでしょうか。
これはあのローマ帝国のことです。ローマ帝国は『鷲』を帝国のシンボルにしていました。
ローマ帝国は鉄製の武器で有名で、紀元70年にイスラエルを攻め、滅ぼしました。
これもはっきりとした預言の成就です。

最後は

「主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす。あなたはその所で、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった木や石のほかの神々に仕える。」申命記28:64

今度は「地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす。」とあります。前のふたつの箇所と違って複数の国のことが書いてあります。

これは一体何のことを指しているのでしょうか?

これはユダヤ人の離散のことを指していると考えて、ほぼ間違いないでしょう。1900年間イスラエルの民はこの散らされた状態でした。
なぜなら、彼らは自分の神である主を捨て、他の神々を慕っていたからです。
そして、神の律法をないがしろにし、他の国の風習を真似、神々のために子どもを焼いてささげたりしていました。

その結果、すべての神ののろいがそのまま現実となったのです。

この申命記が書かれたのは約3500年前です。聖書はそのことが起こるはるか昔からこのように予告していました。

聖書の神が未来を知る、本当の神であるとこれを読む人が気づくことを祈ります。


イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で並べたててみよ。彼らに未来の事、来たるべき事を告げさせてみよ。恐れるな、おののくな。わたしが、もう古くからあなたに聞かせ、告げてきたではないか。あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神があろうか。ほかに岩はない。わたしは知らない。 (イザヤ44:6−8)

聖書には多くの未来を告げる預言があります。

預言とは予言と違って、預かる言葉という意味です。

神から言葉を預かって、それをそのまま告げるそれが聖書の預言者のしたことでした。

ここではまず始めに、イスラエルという国の建国についての預言を紹介したいと思います。

イスラエルといえばこのごろでも結構ニュースに出ているあの戦争の多い地です。
パレスチナと呼ばれているところです。地理的には南はアフリカ、東はアジア、北はヨーロッパと、
文明が交差する場所と言ってよいでしょう。
去年あたりにはヒズボラというイスラムの過激派テロリストたちが、イスラエルに対して攻撃をし、
イスラエルも反撃するということをしていたので、多くのニュースにのぼりました。

歴史をさかのぼっていくと、イスラエルは現在存在しますが、いつごろからあの地にいるのでしょうか。
実はあの国が建国されたのは1948年です。
第1次、2次、3次中東戦争の後、イスラエルはあの地に建国しました。
それまでは彼らはどこにいたのでしょうか?
彼らは世界各地に離散していたのです。そしてあの地に国を持つという「シオニズム」をかかげていました。
それが実現するのは1948年ですが、もといたパレスチナの地から追い出されたのは紀元70年です。
彼らは長らくローマ帝国の支配下にありましたが、その年にタイタス率いるローマ軍によって
百万人が死に、残りの民は散らされました。
普通なら故国を失った民は民族性を失い、他の民族に吸収されるかして同化するものですが、
イスラエルの民は約1900年もの間、民族性を保ち、イスラエルを再び建国した上に、ヘブライ語まで復活させました(古代のヘブライ語とは多少違いますが)。
私たち日本人が大きなアメリカのような国に攻められて、全世界に散らされるとどうなってしまうでしょうか。
たちまち2、3代でアメリカにいればアメリカ人のように、ヨーロッパにいればその土地の人のようになってしまうでしょう。これは今現在も確認できることだと思います。

しかし、これが聖書と何の関係があるのでしょうか。
それは驚くべきことに、このことが起こる以前から予め告げられていたということです。

「見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中には、目の見えない者も、足のなえた者も、妊婦も産婦も共にいる。彼らは大集団をなして、ここ(シオン)に帰る。」エレミヤ31:8

「それゆえ、見よ、このような日が来る。――主の御告げ――その日には、彼らは、『イスラエルの子らをエジプトの国から上らせた主は生きておられる』とはもう言わないで、『イスラエルの家のすえを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる』と言って、自分たちの土地に住むようになる。」 エレミヤ23:7−8


二つ目の箇所の「エジプトの国から上らせた」とは出エジプトのことを指しています。
かつてイスラエルはエジプトの国で奴隷でしたが、多くの奇跡を通し、神によってエジプトから上ってきたのです。
そしてそれよりも大きなこと(イスラエルへの帰国)が起こりそれを人々は喜びうたうということです。
これをイスラエルの建国が起こった後に書いたという議論はできません。
なぜならこのエレミヤ書はユダヤ教の聖典である旧約聖書に書かれてあるからです。
そして旧約聖書は遠く昔に完成していました。

どんな人が1900年もの間国を持たない民がまたその地に、建国すると予想することが出来るでしょうか。また、建国は簡単に成し遂げられたものではなく、多くの敵対者がいました。
エジプト、ヨルダン、スーダン、イランなど多くの周辺の国々が建国に反対し、戦争を起こしました。
彼らの軍事力はイスラエルの何倍もあったにも関わらず、イスラエルが最終的に勝利を収め、国をすえました。
私はイスラエルが良い国だと言っているのではありません。
聖書にも次のような言葉があります。

「それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。イスラエルの家よ。わたしが事を行なうのは、あなたがたのためではなく、あなたがたが行った諸国の民の間であなたがたが汚した、わたしの聖なる名のためである。わたしは、諸国の民の間で汚され、あなたがたが彼らの間で汚したわたしの偉大な名の聖なることを示す。わたしが彼らの目の前であなたがたのうちにわたしの聖なることを示すとき、諸国の民は、わたしが主であることを知ろう。――神である主の御告げ――
わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。 」

この通りに神がイスラエルをその地に導きました。
それは過去に契約を結んだためです。その契約を破らない神はその聖なる名のためにそのことを行いました。

紀元70年のイスラエルの崩壊についても、イエス・キリストが神殿という建物を通して預言しています。

…「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」マルコ13:2

この預言の通りにローマ軍は神殿の石に貼られていた黄金を取るために、石をくずしたそうです。



これらが聖書の預言です。神によってはじまり、神によって終わるものです。
他の宗教の本にこのような明確な未来を告げたものがあるでしょうか。

聖書は神のことばです。

そのオーストラリア人の先生に会って、私はまだ十代であっても人生について深く考え始めました。

果たして自分はどこから来たのか、もし自分が考えていたように、人間はアメーバのような単細胞から

もっとさかのぼれば、無機質から偶然に目的も持たずに生まれてきたということが本当なら、

最終的な目的は無いのだということも気づきました。

テレビはよく「あなたは何億もの偶然の中に生きている。なのであなたは貴重な存在です」って言うけど、

目的ということから考えると、全く無いということに気づいていませんよね。

それに進化の考えを突き詰めると、強いものが弱いものを滅ぼすということは、

優秀な遺伝子が残るので、人間のためになりますよね。

学校では進化論を教えながら、同時に道徳の時間に「弱い子をいたわりなさい」と教えているけども、

それは私は個人的には矛盾していると思います。

このようなことは、進化論がどのようなものかをはなしてきたわけですが、

実際に進化論は科学的なのでしょうか。

私の信じている聖書は「あるとき(何十億年前ではない)にひとりの神が、目的を持って、すべてをその『種』に従って、造られた」ということを主張しています。

これを私たちは創造論と呼んでいます。

この問題を考えるときにはじめに明らかにしておかないといけないことは、

「人間には誰も確認のしようのない過去」だということです。

なのでロケットを宇宙に飛ばしたり、薬を調合したりする実験科学のように今実験することはできないのでうす。

では何も私たちは知ることができないのでしょうか。いいえ過去の証拠によって過去がどのようであったかを推測することができます。

推測は人によって大きく違います。同じ証拠をもっていても違う結論が出されるのはそのためです。

しかし、正直な観察によって得られた結論は信頼に値します。

化石がそのひとつです。

私はそのオーストラリア人の先生に、「進化論ではこういうような証拠があるけど、どうなんだ」

と質問を浴びせていきました。

すると、彼は『種』の中での変化はあるが、『種』を越える変化はないと言いました。

ダーウィンはガラパゴス島でフィンチやゾウガメの変化を見て、これは生物の進化全体に当てはまるのではないかと推測して、

進化論を提唱したのです。しかし、フィンチはフィンチであり、ゾウガメは亀なのです。

サルから人になっていく、進化の生きている証拠を見たわけではないのです。

猿人とサル+人間の化石の数はどちらが多いのでしょうか。

常識から言えば、サルから途方も無い時間をかけて人間に進化してきたわけですから、

猿人の化石の数が、サルや人間の化石よりも多くなくてはいけませんよね。

しかし現実を見て見ると、明らかにサルや人間の化石は多く出るのに、

猿人と呼ばれるものはほんのわずかしか出てきません。

ダーウィンはその「生命の起源」の中で、時間が経てば調査は進み、あらゆる地層が調べられると、

中間の生物はもっと発見されるだろうと、述べています。彼自身の時代には全然発見されていなかったのです。

そして今の時代も変わらず、疑わしいものが発見されたり、偽造されたり、ネブラスカ人のように絶滅した豚の歯が猿人のものと考えられたりしますが、信頼できる証拠は見つかりません。

もうひとつ進化論にとっての大敵が生物の複雑性です。

ダーウィンも人間の目のような複雑なものは、偶然によっては説明するのが難しいと告白しています。

最近出された進化についての雑誌を見ても、目の複雑さは科学者たちを驚嘆させるものであり、説明が出来ないことを公表しています。

なぜなら目は網膜や水晶体や角膜や筋肉やいろいろな要素が、決まった位置に全てそろわないと意味をなさないからです。

目の目的は主に見ることですよね。これはだれもが共感することだとおもいます。

しかし、その目を含んだ、複雑さに満ちた人間の目的は何なのでしょうか。

目に目的があって人間に目的が無いのは変ではないでしょうか。

もちろん目的はその場限りのものではありません。

よくテレビでは「夢を持てばうまくいく」とうたっていますが、夢は何十年かは続いても、

人間の目的ではありません。

聖書のことばには次のような箇所があります。

「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」2コリント4:18

私たちの目的とは何でしょうか?

                                          →つづく

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私は1年半ほど前にクリスチャンになりました。

それは人生を変える大きな出来事で、今までとは全く違う自分になりました。

私の行っている教会は、単立の「アドラム福音教会」http://www.geocities.jp/afkyokai777/home
という兵庫県は西宮の甲子園にあります。

それまで、一般的な日本人の家庭に育ち、仏教でも、神道でも、キリスト教でもない普通の家庭でした。

両親もクリスチャンでもなく、教会に行き出したころは

「お金たくさん取られるんじゃないか」

とそのことばかり言ってきました。

私がキリスト教、聖書に出会ったのは高校3年生のころでした。

そのころは部活もレギュラーになれず楽しくなく、友達も少なく、ただ受験勉強をしなければいけないといった状態でした。

ついに引退試合の前に、部活を辞め、それによってまた一段と友達も減り、

何にたよって、何を目的に学校に来ているのだろうと考え始めていた頃でした。

そのとき英語の先生として来ていたオーストラリア人の先生と仲良くなりました。
 
もともと英語に興味もあったし、喋れたらかっこいいなといったぐらいの気持ちで、
 
よく二人で話していました。

いつのことかは覚えていませんが、彼は自分がクリスチャンだということを言いました。

「そうか〜外国人だからな」としか思いませんでしたが、

彼はそこから聖書のことを詳しく話してくれました。

彼によると、

私たちはひとりの神によって、目的を持って造られた者で、神は造られたときに「良かった」

といわれたと。しかし、人間が神にそむいて罪を犯し、神から意図的に離れたと。

そして日々犯している罪のために私たちは罪の裁きである、永遠の炎の中で永遠に苦しまなくてはいけない。

しかし、それで終わりではなくて、その滅びに至る人間を見た哀れみ深い神は、

そのひとり子で、人間でもあり、神でもあるイエス・キリストをこの世に遣わし、

彼を十字架にかけ、彼の上に私たちが受けるべき罪の刑罰を与えたと。

そして、もしその身代わりになったひとり子を信じるなら、私たちは永遠の命を得、

救われるということでした。

なんだか、惹かれるものはありましたが、神話的でもありました。

私の引っかかったのは、「初めに神が天と地を創造した」という聖書のはじまりの言葉でした。

いや、この世界は偶然に物質が何十、何百億年をかけて自ら発達してきたのだと思っていたからです。


                                           →つづく

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