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現代の日本ではこの質問を考えて、考えて、悩んでいる人が多いのではないのでしょうか。
まず何をするにも目的があるのに比べて、自分自身の目的がはっきりとしない。
目は見るという目的があり、耳は聞くという目的があり、鼻はかぐという目的があるのに、
自分全体の目的は何なのでしょうか?
目的を考えるときに一番大事なのは、はじまりと終わりです。
それが何であっても、どうやって始まったかどのように終わるかを知れば、その目的が分かります。
もし、わたしが土からコップを作るとします。
まずそのはじまりは、わたしがコップをほしいと思うことから始まります。
そして、その思いに従って、順をおってコップをつくりあげていくのです。
まず底をつけるかもしれません。次に上のほうにコップの側面を作っていくかもしれません。
そして、最後に取っ手をつくるでしょう。
私はなぜ、底の部分を作るのでしょうか。
それは水を入れても、もれないためです。
私はなぜ取っ手をつくるのでしょうか。
私が持つときに持ちやすいためです。
最後に焼いて、それを完成させるでしょう。
それはわたしがそのコップを使って飲むためです。
それが最終的な目的です。
それでは、私たち人間はどうなのでしょうか?
まず世間一般に言われていることから考えていきましょう。
なぜか何も無いところから、爆発が起こり宇宙が誕生しました。
そして、その爆発によって生まれた秩序が、地球を偶然作り出し、
その地球の「原始スープ」なるものからはじめの単細胞生物が偶然に生まれたと言うのです。
そして、その偶然によって生まれた生物はさらに偶然を重ねて、人間まで何前万年をかけて進化したのです。
これを見てみなさん気づいたことはありませんか?
もしこの世界観が正しければ、偶然によって始まり、物質に過ぎない人間は死んだらもう終わりなのです。
その過去を目撃した者はいません。
しかし、聖書は神のことばであると自らを証言している通り、みごとにこの世界を説明しています。
「はじめに、神が天と地を創造した。」創世記1:1
これが聖書の始まりのことばです。神は六日間ですべてを創造したと書かれています。
人間も創造されました。神が私たちの始まりの原因です。偶然ではありません。
しかし、造られた人間は神に反抗しました。
「神のようになりたい」と思い、悪魔の誘惑に落ちたのです。
これが始めの人間(アダム)の罪です。
これが今の人間のいつも考えていることではないでしょうか。
「あの子よりかわいくなりたい」「みんなからすごいと言われたい」「他人を悪く言って、その人をおとしめたい」
要するに、自分が神になりたいのです。
そのことによって神が造った世界に罪が入りました。
人々は憎しみ合うようになり、善意で何かをしていると思ってもそこには何かしらの「自分の利益」が入り込んでいます。
そうです。私たちは「自分の利益」がないと物事をしないのです。
しかし、そんな人間たちを見て神はかわいそうに思いました。こんなに神に反抗して歩んでいる人間に対して、神は憐れみの心を持ったのです。
そして、神はそのひとり子であるイエス・キリストをこの世におくりだしたのです。
私たちの罪はその人の永遠の死によってしかつぐなうことはできません。
私たちは死後にこの人生で行った罪の裁きを受けなければならないのです。
しかし神はそんな罪深い人間を救うために、ひとり子にその裁きを負わせたのです。
そのひとり子を十字架の死にまで追いやるほどに神は世を愛したのです。
私たちの目的は神と共に歩むことです。そして、イエス・キリストの十字架を自分の罪のためだと信じて、永遠の命を持つことです。
神はあなたのために、永遠の命、救いを用意しています。
あなたの罪深い生活を悔い改めて、神にたちかえりませんか?
すべてこの世で起こる問題の原因は人の罪です。
あなたは自分を自分の罪で悩ませています。
その罪を、あなたが悔い改めると、清めてくださる方がいます。
私たちは神に造られたコップなのに、自分勝手な使い方をしたいと思っていました。
私たちは夢や名声という花をそのコップにいけようとしていました。
しかし、そのために造られたのではないので、もちろんぴったり合いません。
神はそのコップに新しい命と、神の聖霊を入れてくださいます。
もちろんこれはあなたの選択です。
永遠に続く神の目的のために生きてみませんか?
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