だいすけのおもいっきり聖書

「あなたは新しく生まれなければならない」

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お久しぶりです!

長らく遠出をしていてブログを更新できませんでした。

更新していない間も、コメントをくださる方がいて嬉しい限りです。

また二、三日してからまたインターネットが無い場所にいかなければならないのですが、
それまでにちょっとでも、更新していこうと思います。

やっぱり2週間くらい空けてると、全然違いますね。
それも、その2週間の間はほとんどテレビを見ることが無かったので、
たぶんみなさんの話題についていけないと思います。
(テレビを見ないことの効用もあるのですが)

さて、聖書をその2週間の間にいつも以上に読むことが出来ました。

サムエル記(上下)、列王記(上下)、ホセア書、アモス書、使徒の働き、箴言など

改めて聖書っておもしろい、いやそれ以上に真理だということを実感しました。


その中でこのごろ注目していたのが、旧約のイスラエルと新約の教会の関係です。
旧約のイスラエルの中ではしばしば、民の背きのために神の怒りが下りますよね。
それを現代に生きる(新約の時代)クリスチャンがどう適用していくかという問題です。

もし、旧約のイスラエルを、今の世界の未信者や人間全体に適用しようとしたら、大きな矛盾や無理が生まれます。
なぜなら、イスラエル民族は神によって選ばれた(特別善い民族というわけではない)民族であり、
神の扱い方が他の異邦人とははっきりと違うからです。
神は王や祭司が偶像礼拝に陥ると預言者を遣わして、警告を与えます。
そして、何度も従わない後には懲らしめ、裁きを下します。
しかし、異邦人の国に対してはそうではありません。

まずイスラエル民族のしてきたことを出エジプトから見てみると、教会との関係が分かります。
まず、パロの元で奴隷として苦しめられてきた彼らを神は憐れみ、
エジプトからモーセによって連れ出しました。
そのときに過ぎ越しの子羊の血を門柱とかもいに塗り、それによって神の怒りを受けませんでした。

そして紅海を渡り、マナを食べ、岩から出てきた水を飲みました。

私たち教会を構成するキリスト者も同じです。
この世の奴隷として、サタンのもとで神の目には意味の無い働きをしていました。
しかし、それを憐れんだ神は私たちをその状態から救い出そうとします。
まずイエス・キリストが私たちの受けるべき罪の裁きを受け、その血を流しました。
その流された血が自分のためだという者を神は御怒りにあわせず、永遠の命を与えられるのです。
そして信じた私たちは海の中を通ったように、バプテスマを受け(死と復活の象徴)今ちょうど荒野の途中にいるのです。

なんとすばらしい聖書の描写でしょうか。
イスラエルが行ったことが、私たちキリスト者の生涯を描いているのです。

しかし、その荒野において陥ってしまう危険があります。
それは天からふってきたパンであるマナに満足せず、エジプトにいたころの肉やその他もろもろの食べ物を慕い求めることです。

私たちはまことのパンであると言われた、イエス・キリスト御自身とその御言葉だけを食べて(霊的に)生きていくことができるのです。
しかし、私たちの思うこと、言うことはどうでしょうか。
「教会は退屈で仕方が無い」「堅苦しい教会には人が来ないから、マーケティングを取り入れよう」
「音楽をもっと派手にしたら人が来るのではないか」
など、今の教会が陥っていることではないでしょうか。

さらに、
「罪の教理を強調するのをやめたほうが良い、人気が無いから」
「恵みだけを強調しておけばいいんだ」
というのも教会が陥りやすい間違いです。

まず、最初に挙げたことに関していうと、
私たちはこの世のものなのでしょうか。
ヨハネ17:9、17:14、17:16からも分かるように私たちはこの世のものではありません。
なのに、この世の考えをとり入れるのですか?
「悪い者」の支配下にある世の知恵を取り入れるのですか?1ヨハネ5:19

私たちがキリスト者ではないときに、ほとんど義について、または罪について考えたこともありませんでした。
そして義については自由にふるまっていたのです。
しかし、聖書によって罪が明らかにされ、自分の義(正しさ)では天国には入れず、地獄に行くしかないと本当に確信したからキリストによりすがったのではなかったのですか。

私たちはまず「神の国と神の義」を求めるようにといわれています。
それは何の不正、不公平もないこと、正しさを求めるということではありませんか。

キリストがなぜ十字架にかからなければならなかったかを、思い出してはみませんか。
それは私たちの罪のためです。
なので、私たちは自分の罪を直視し、神の言葉によって示されないといけないのです。
イスラエルの数々の罪がまざまざと書かれているのはそのためなのです。
それらが私たちの陥りやすい罪なのですから。
昔書かれたものはすべて私たちを教えるために、書かれました。
もし、同じ罪を犯した時にはすぐさま神の元に行って悔い改めるべきなのです。


その後に神は彼の偉大な愛、恵み、赦しを与えてくださいます。


ですから、私たちはイスラエル民族が犯した罪の数々を読むとき
それが今私たちの教会も気をつけるべきことだと知ることが、神さまの望んでいることなのではないのでしょうか。

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