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以前のブログで、苦しみの第一の原因は「人間の罪」だと書きました。
それをもう少し詳しく示したいと思います。
まず、アダムの罪によってこの世界に罪が入り、死が入りました。
次の箇所にあるとおりです。
『そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。』ローマ5:12
ひとりの人とはアダムのことです。
しかし、『全人類が罪を犯したから』とはどういう意味なのでしょうか。
メルキゼデクとアブラハムの話を覚えているでしょうか。
アブラハムは戦利品の十分の一をメルキゼデクに渡しました。
聖書は続けます。なのでまだアブラハムの腰の中にいたレビも
アブラハムを通して十分の一を渡したと。
なので、アブラハムのしたことはレビもしたのです。
それはレビがアブラハムの子孫だからです。
アダムと私たちの関係も同じではないでしょうか。
彼が善悪の知識の木の実を食べたとき、彼の子孫である私たちも一緒に食べたのです。
アダムのしたことは私たちもしたことです。(聖書の解釈によると)
第一に私たち人間が罪に定められているのはこのためです。
その次に私たちが個人的に犯した罪の問題が来るのです。
ダビデもこのふたつを区別しているようです。
『神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。
どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。
まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。
私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。
ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。』詩篇51:1−5
アダムは選んで罪を犯しました。
私たちも選んで罪を犯してしまいます。
『罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。』ローマ6:23
最初の苦しみはアダムとエバが罪を犯した直後に宣告されました。
女は出産と夫の関係について
男は自然の変化による過酷な労働、死について →創世記3章
なので、苦しみがあるのははじめの人アダムのせいであり
同時に私たちのせいなのです。
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