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『それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。
そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。』(ヨハネ4:5−7)
「わたしに水を飲ませてください」
この言葉に含まれた多くの事柄。ほんとうに深い教え。
イエスはいつも話されるときは、物質的なものに例えて霊的なことを語っていた。(人々はいつも物質的なことだと勘違いしてたけど)
例えば、イエスが眠っていると言われたときは信者の「死」を表していたり、
「この神殿をこわしてみなさい」と言われたときは「イエスの体」だったり。(パリサイ人や律法学者はその意味が分かっていた)
ここで言われてる水とは?
『わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。』4:14
そして、他の箇所でイエスが言われたこと
『生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。』7:38−39
なので、イエスが言われた生ける水とは「永遠のいのちへつながる聖霊」
では、なぜイエス自身がそれをサマリヤの女に求めたんでしょうか?
それは”彼女自身がその生ける水を持っていないことを悟るため”
そのサマリヤの女に話しかけたのと同じ場所で昔ヤコブも、井戸のそばでラケルと出会った。
創世記29章を見るとその様子が記されている。
『ふと彼が見ると、野に一つの井戸があった。そしてその井戸のかたわらに、三つの羊の群れが伏していた。その井戸から群れに水を飲ませることになっていたからである。その井戸の口の上にある石は大きかった。
群れが全部そこに集められたとき、その石を井戸の口からころがして、羊に水を飲ませ、そうしてまた、その石を井戸の口のもとの所に戻すことになっていた。』29:2−3
そこにあったのは「井戸」「羊の群れ」「井戸の上の石」。
井戸は生ける水(聖霊)が出てくる場所の象徴、羊は私たちイエスを信じる者。
石はイエスの墓の前に転がされていた石のこと。
イエスが復活されると石が取り除けられ、私たち羊はその聖霊をいただく。
また、別の井戸と女の人が出てくる箇所を見てみると
イサクの妻を捜しに行ったしもべは「水」を飲ませてくれる人がその妻になるべき人と確信していた
『しもべは彼女に会いに走って行き、そして言った。「どうか、あなたの水がめから、少し水を飲ませてください。」すると彼女は、「どうぞ、お飲みください。だんなさま。」と言って、すばやく、その手に水がめを取り降ろし、彼に飲ませた。 彼に水を飲ませ終わると、彼女は、「あなたのらくだのためにも、それが飲み終わるまで、水を汲んで差し上げましょう。」と言った。彼女は急いで水がめの水を水ぶねにあけ、水を汲むためにまた井戸のところまで走って行き、その全部のらくだのために水を汲んだ。 』24:17−20
私たちも人が必要とするときに、すぐ御霊の影響を与えることが出来るでしょうか?
渇いている人が神さまを求めているときに、すぐその恵みを証出来るでしょうか?
『わたしに水を飲ませてください』
『どうか、あなたの水がめから、少し水を飲ませてください』
あなたの心からは生ける水の川が流れ出ているでしょうか?
あなたの私生活を見て、人は神さまの聖さを見ることが出来るでしょうか?
「わたしに水を飲ませてください」
もし、それを持ってないと分かったなら、どうしたら良いのでしょうか?
罪を告白し、それを悔い改め、罪を捨てましょう!!!!
その後の求めれば、神さまは御霊を注いでくれるでしょう。
『してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。』ルカ11:13
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