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『我々は自分自身を分離させなければならない。
普通の世界の外側のどこかに、どうにかして天幕を立てなければならない。
それは例外的な場所でなければならない。
普通を越えなければならない。自分自身の道から出なければならない。
さて、あなたの心にずっと残るような質問をしてみたい。
邪悪なこの時代い、あなたは何か例外的なことをしているか。
それとも、神の家に礼拝に行くことや、日課をこなすことに満足してしまっているのか。』(「リバイバル」ロイドジョンズ著 ネコさん訳)
今日この箇所を読んではっとさせられました。
モーセが宿営の外に会見の幕屋を作ったように、神を求めるために自分を分離することができているか。
これは聖書を通して語られているテーマではないでしょうか。
「あなたはわたしのために仲間はずれになれるか」
こう神さまはいろんな箇所で私たちにたずねていることは確かです。
それはイスラエルの民、エレミヤ、使徒たちなど
仲間から離れ、真理のために自分を神さまのものとすること。
その行為こそが、自分の十字架を負うということではないでしょうか。
この世に対して死に、神さまに対して生きる。
そのためには分離がやむをえないことが多い。
バプテスマによって葬られ、キリストとともによみがえった者だったら、
この世に対して大胆に死のうじゃないかと思います。
この素晴らしい本の翻訳をされたネコさんにも感謝します。
それにしても、聖霊に導かれて、みことばの基礎に立ち、はっきりと語ることの重要性はいつの時代でも否定できないくらい大きなものですね。
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