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このごろの日記
つい先日、ブログで知り合った油食林間さん(http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion)に会ってきました。お互い住んでいるところが近く、予定があったので実際に会ってお話を聞きました。
ブログで知り合った人と会えるっていいですね♪
油食林間さんに刺激されて、今は聖書をヘブル語とギリシア語で聞いています。
創世記1章とか、哀歌とか、雅歌とか。哀歌と雅歌は歌になってるんですね。
僕個人の感想ではギリシア語より、ヘブル語のほうが聞いてておもしろいです。
日本語の聖書を読みながらヘブル語を聞いていると、
「ここでルアハが使われてるんだ」
とか、
「神は仰せられたっていうのがバイ・ヨーメル・エロヒムっていうんだ」
とか、ヘブル語を読もうとしたらかなり時間がかかるところを
聞くなら(単語を知っていれば)すぐ分かります
おお〜やっぱり聖書は朗読されるのを聴くのが良いんだと実感しています
でもすべての人がギリシア語やヘブル語を読めるようになるのは難しいなとも感じます。
特に勉強するのが苦手な人にとっては、そういう人たちのほうが実際救われやすいのに、
救われたらギリシア語とヘブル語が必修科目だと言われたら、すくんでしまうと思います。
勉強できる時間と能力を与えられた人が勉強して、他の人を教えたらいいんじゃないでしょうか。
そう、ギリシア語とヘブル語をもっと聞きたいと思って、
先日デジタル音楽プレイヤーを買ってきました♪
その中にギリシア語とヘブル語の聖書朗読と、ジェイコブの説教とを入れて聞いています。
ふと気付くとその中には英語かギリシア語かヘブル語しか入っていなくて、日本語の曲をひとつも入れていない自分に気付きました!(外から見たら何もおもしろげのない人と思われそう…笑)
まあいいやと思いつつ。
世の中にいても、世のものとならないクリスチャンであるために出来る限りのことをしたいです。
そう、このごろテレビをめっきり見なくなったのもそのため。
この世のものとならないため
僕はドラマとか映画とか見てもともと泣いたりできない人なんですが、やっぱり映像を見ていると心が動かされている自分に気付きます。
そういうときふと思うんです(これはドラマや映画がすべて悪いと言いたいのではないですが)。
「自分は神さまのことばよりも、フィクションに心を動かされて感動しそうになっているのか」と
感動すること自体は何も悪くなくて、そういう風に神さまが人間を造ったのですが、
聖書に書いてある現実に感動しないで、この世の罪を見てエレミヤのように涙を流さないで、神さまの現実に無感覚になって、この世のフィクションに感動したくないんです。
こういう考え方が分かってもらえるでしょうか。
神さまの現実に心を動かされて、人が救われるために努力し、この世の罪・自分の罪のために涙し、神さまの喜ぶことを思いっきり喜びたい、これが僕の望むことです。
普段「感情がなさそう」とか「論理だけで動いてそう」と言われる僕ですが
逆に自分が感情に流されやすく、論理的じゃないことをしやすいので、そうしてしまうのでしょうか。
(よく自分は感情的だなと思わされることがあります)
けどやっぱり
神さまの感情とひとつになりたい
これが僕の望んでいることです。
もしよければ、このことのためにお祈りください
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