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これまで読んでいて勉強になった本がたくさんあります。 ウォッチマン・ニー、D・M・ロイドジョンズ、C・H・スポルジョン、R・A・トーレイ、D・L・ムーディー、ジョン・バニヤン、フランシス・シェーファー、E・M・バウンズ、アンドリュー・マーレイなどなど それぞれ特徴があって、強調点も違って、でもみことばをそのまま信じるという点は共通していて、そのために自分をささげていた人たちです。 でもこのごろは、このような本はあまり読んでいません。 (嫌いになったわけではありませんが) なぜかっていうと、聖書の読み方に関して、誰か人の意見はもういらないなと思ったからです。 「なぜその箇所をそういう風に解釈するのか」 「なぜその箇所からそのようなことを言えるのか」 このようなことが気になりだしたからです。 ロイドジョンズ氏は素晴らしいのですが、どうやったら彼のように聖書を読めるのか。 そういうことって知りたくならないですか?? 特に象徴に関しての洞察はロイドジョンズ氏、スポルジョン氏らはどちらもすごいものを持っていると思います。 そして、その象徴を理解して当時の社会への適用の仕方も教わるところが多いと思います。 しかし、どうやったら彼らのように聖書を理解できるのか。 いつまでも、彼らに頼って、この解釈は「誰々がどうこう言ってたよな」とかいうのを調べないといけないんでしょうか。 象徴や予型を解釈するにあたって、その問題に突き当たることが多いと思います。 そこで必要と感じたのが、新約聖書が旧約聖書をどう解釈しているかを知るということでした。 旧約聖書を引用している箇所を読めば大体は分かるんじゃないかと思っていました。 けど、新約が旧約を引用している箇所を見て、旧約に戻ってみても どうしてこの箇所を引用したかが、まったく分からないじゃないですか、という事実に気付きました。 なぜヘロデがベツレヘムの幼子を虐殺したときに、ラケルが泣いたというエレミヤ書の記事が引用されたのか。 インマヌエルと最初に出てきた旧約の箇所は、新約のイエスの誕生とどう関係があるのか。 このようなことが頭の中で混乱を引き起こしました。 そこで分かったのが、僕たちの聖書解釈法と、1世紀のユダヤ人クリスチャンの聖書解釈法は違うんだということです。 そう、自分の時代から、自分の背景から、自分の知識から旧約聖書を解釈するのと 彼らの時代、背景、知識をもって解釈するのとでは自ずと違ったものになるのは当たり前です。 そこで出会ったのが(というより重要性を分かったのが)ミドラッシュという読み方でした。 聖書の預言は、ユダヤ的なもので、複数の成就があって、パターンとして繰り返され、終わりにすべてが成就されるというものだということを学んだのです。 そこから聖書が「そうか!」というように明らかになっていきました。 何よりも当時の文化、時代に存在した人が読むように聖書を読むべきなんだというのが今日のこの記事の結論です。 人の意見よりも、聖書が聖書を解釈する方法を知り、それを私たちも用いるということが大切なんじゃないでしょうか。
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2009年10月30日
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