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ひとつのミドラッシュの実例を今日は書いていきます。
誰かの参考になれば幸いです。
◆ユダヤ人のミドラッシュは象徴を教理の基礎としない
教理を象徴で分かりやすく、説明するために使われる
この原則があります。
たとえば教理とは
『みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。』2テモテ4:2
そうです。私たちはこの箇所に基づいて、いつでも福音を宣べ伝えるべきだという教理(教え)を得ます。
しかし、「どのように」そうするのか。
また、「どのような場合に」そうすることを怠るのか。
このような「深い」事柄を知るためにミドラッシュは存在します。
この文字通りの箇所が教理の基礎になっていることに注目していてください。
ユダヤ人のミドラッシュを知ると、次のような箇所の意味が分かります。
『風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。
あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。
そのように、あなたはいっさいを行なわれる神のみわざを知らない。
朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。
あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。
二つとも同じようにうまくいくかもわからない。』伝道者11:4−6
(もちろん第一の意味は、実際の種まき、風、雲のことです)
種を蒔くとは、イエスさまのことばによればみことばを蒔くことです(マルコ4:14など)。
すなわち福音を宣べ伝えること。
雲は雨を降らせるもので、雨は聖霊が降り注がれることの象徴です(イザヤ44:3)
風という単語は霊と同じ言葉「ルアハ」です。
イエスさまも霊は風のごとく、どこから来るか理解できないと言われました(ヨハネ3章)。
前半部分をまとめると、
「霊を警戒している(たとえばサタンが福音をはばんでいると過剰に意識するような)人たちは福音を伝えない。聖霊を降らせる雲を見ている(たとえばあの地域にはこの流行があるから福音をそれに便乗して伝えようとするような)人たちはたましいの刈り入れをしない。
私たちは霊がどう動いているかが分からない。」
と聖書の象徴を知れば、こんな詳しいことが聖書の中にすでに書いてあります。
(これは僕の意見じゃなくて聖書の意見です)
私たちが何かを作りだすより、聖書の中にすでに語るべきメッセージはあるという事実にもっと気付いていけたら、聖書自体に興味が出てくると思います。
後半部分は
『朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。
あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。
二つとも同じようにうまくいくかもわからない。』
とあります。
これは先に挙げた2テモテの箇所と完全に一致します。
『みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。』2テモテ4:2
唯一違っている点は、伝道者の書の箇所はいつでも宣べ伝えることの理由を教えてくれていることです。
(普通のクリスチャンはテモテの箇所だけを知っています。
しかしそれを深く知って、生活にうまく適用するには旧約聖書が必要です。
文字通りの意味、文法的・歴史的意味は大事で必要不可欠ですが、
そこで止まっていては神さまがもっと教えようとされていることをないがしろにしてしまう可能性があると思います。神さまは私たちが考えるよりも多くのものを与えてくださっています。
それは聖書の読み方についても真実だと僕は確信しています。)
このように象徴が先にあるんじゃなくて
はっきりとした教理があって、それを説明するために象徴があります。
ユダヤ人のミドラッシュにおいて、象徴は決して教理に矛盾しません。
これがミドラッシュの読み方です。
もっと聖書を知って、イエス・キリストの御姿に似せられていきたいですね。
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