|
今日、とても興味深い記事を発見したので翻訳して掲載します。 (おそらくまだ日本語ではニュースとして出ていないと思います) イエスの時代のらい病者が、「聖骸布」の謎に光を投じる 水曜日、イスラエルの専門家たちは「聖骸布」――イエスの遺体を包んだと言われる埋葬布が、実際はイエスの時代のエルサレムからの物ではないと発言した。 この結論は、エルサレム旧市街のはずれにある墓から見つかり、布に包まれていた1世紀の男性の遺骸の発掘から得られたものだ。またその遺骸は証明されたケースとしては最も古い「らい病」患者であった。 この布に包まれた男性のDNAと共に、イエスの時代のエルサレムから埋葬布の破片が見つかったのはこれが最初で、この布は複雑な織り方をした「聖骸布」とは違い、二つ織りの簡素なものであった。布に関する歴史家であるオリット・シャミール博士はそう証明することができる。 この1世紀の「布の墓」から得られた結論は、らい病に関しての知識の重要な欠けを補ってくれた、とエルサレムにあるヘブライ大学感染病・熱帯病研究のサンフォード・エフ・クヴィンセンターに勤めるマーク・スピゲルマン教授は語った。 シャミールとスピゲルマンンはどちらも遺骸の分子調査を行った大学の専門家チームに属していた。「布の墓」として知られる岩堀りの墓から見つかった遺骸は布に包まれた状態だった。この墓はヒノムの谷の下部に位置し、「アケルダマ」や「地の地所」(マタイ27章3節−8節、使徒1章19節)として知られる墓地の一部だ。――この場所はユダが自殺を図ったと言われている場所の隣りである。 この布に包まれた男の墓は、アンナスという大祭司(紀元6年−15年)の墓の隣であり、アンナスとは、イエスをローマ人に引き渡した大祭司カヤパの義父にあたる。これらの事実からこの布に包まれた男が祭司や貴族の一員だったのではないかと調査員たちは考えている。 放射性炭素年代測定法を使い、調査員たちはこの男性が紀元1年から50年までの時代にさかのぼることを確認し、この人物は第二埋葬をされていなかったことを発見した。これはこの型の墓としては特に珍しい発見であった。 当時、第二埋葬は一般的に行われていた習慣で、遺体が埋葬された一年後に骨を取り出し、骨つぼに移し替えるというものだ。 一方、この墓に至る入口は漆喰(しっくい)で完全に塗り固められていた。 スピゲルマン教授によると、このように密閉されたのは、この男性がらい病を患い、結核で亡くなったからだと説明する。その男性の骨の中から両方の病気のDNAが発見されている。 発掘において布に包まれた男の髪の毛のかたまりも発見されており、これは埋葬に先立って儀式的に切られたものと考えられている。 地面からの高い湿度のためにエルサレムでは、このような有機物が保存されていることはまれなので、このふたつの発見はとても貴重なものだ。 スピゲルマン教授と同僚のチャールズ・グリーンブラット教授は、らい病の起源と発達は未だに不明瞭なところが多いと語る。旧約聖書で触れられていたらい病とは、疥癬(かいせん)などの皮膚発疹(ほっしん)なのかもしれない。 現代、私たちの間知られているらい病は、インドをその起源とし、中近東に持ち運ばれ、ヘレニズムの時代に地中海の国々に入ったと考えられていた。 ここでのらい病と結核の感染例、イスラエルに残る30パーセントのDNA、古代から現代までに至るヨーロッパの事例から、中世に蔓延したらい病は、ヨーロッパが都市化するに従って増加した結核により排除されたことが証拠によって判明した。 (訳:だいすけ) |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2009年12月18日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



