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いつも知り合いのクリスチャンにミドラッシュのことを
話しているといくつかの決まった反応がある。
「ユダヤ教が正しいっていうの?」
「イスラエル人が正しいっていうの?」
「聖書を象徴的に読みすぎるのはいけないよ」
上の2つの反応に対して、僕は聖書から「いいえ」と言えます。
ユダヤ教特に紀元70年にエルサレムの神殿が崩壊してから、モーセの律法は文字通り実行できなくなった。だから、ラビ・ヨハナン・ベンザッカイがラビや会堂を中心とした新しいユダヤ教を始めた。
今のユダヤ教の問題は直接的にはメシアを受け入れないことではなく、モーセの言ったことを受け入れていないところにある。(モーセは私のような預言者が現れると言い、イエスはそれを成就したから 『モーセのような預言者』http://www.moriel.org/articles/sermons/prophet_like_unto_moses_jap.pdf )
また、パレスチナ問題で揺れるイスラエルの国。そこに国を作ったイスラエルが悪い?
僕はその国を作る方法が悪かったのではないかと思っています。
けど、イスラエル人が約束の地に集められることは何度も聖書で預言されていること(エレミヤ23章など)。
自分の知恵や力で物事をなそうとするヤコブの性格が、イスラエルも持っていると思う。
けど、それは神の主権のうちに定められていた。(一方、律法ののろいのためにホロコーストやスペインの異端審問があったけど)
「イスラエルが特別」なのは、アブラハムと結ばれた神の契約のため。
「あなたを祝福するものはわたしは祝福し、のろうものをわたしはのろう」と言われたため(これは後にイサク、ヤコブへと受け継がれる)。
だから「イスラエル人は正しいか」と言われると、正しい場合もあり正しくない場合もあるというのが正しいでしょうか。「日本人は正しいか?」と聞かれてもそうとしか答えられないでしょう。
(ただし自分たちのメシアであるイエスを受け入れていないことは正しくない)
次の問題は聖書の読み方。
クリスチャンなら誰もが読むのがおっくうになりがちな旧約聖書。
なぜそうなってしまうのか?
教会が新約聖書や福音書だけしか教えないからというのも理由のひとつだと思います。
けど、もっと大きな問題は、旧約聖書を歴史的な事実だという風にしか見ていないこと。
もちろん、聖書の内容は歴史的事実であり、アダムとエバが実在し、アブラハムも実在していたが、
その聖書の伝えたいことは、神さまから見た歴史を書いているということ。
そして、それは象徴として表されているということ。
それは象徴を教えの基礎とせずに、教えを深く理解するためにあるといった考え方。
ユダヤ人が書いた旧約・新約聖書を日本人の価値観や、西洋の価値観で読むのは間違っていませんか。
それはパウロがローマ人への手紙で語っている、イスラエルという「根」を見失うことではないでしょうか。
「今日は雨だなぁ」
これを聞いた日本人はどんよりした気分になり、
一方でユダヤ人は
「神の祝福だ」ということでしょう。
風土や文化を考慮しないとやっぱり聖書は読めない。
だったら、どこにその「ユダヤ性」を求めていけばいいのか。
ユダヤ教の会堂に行ってラビに話を聞く?
いやそれをしなくても、もうすでに1世紀のユダヤ人的解釈を学んでいるクリスチャンがいます!!
それがジェイコブ・プラッシュであり、他の主にある教師たちです。
だから、僕は翻訳をして聖書の詠み方を(1世紀ユダヤの聖書の読み方)広めようと思ったわけです。
(まだまだ翻訳は稚拙ですが)
「そんなんしなくても大きな図書館に行けば、そういう本があるんじゃない?」
と思う人もいそう。
けど、関西で一番大きいって言われてるキリスト教系の大学の図書館で、
そういう本を探してもあるのはリベラルで、聖書自体、イエス・キリストの十字架自体を信じてない学者の本ばかり。
ヨセフスやエウセビオスの「教会史」という素晴らしい本を訳した秦剛平という学者も、本当にイエスの十字架の贖いを歴史的な事実として認めていないみたい。
だから、聖書について学びすぎるとリベラルになってしまう。ある程度にしとかないといけないという風潮が出てきてしまう。
なんてことなんだ!と僕は思います。聖書が神のことばなら何にも負けないはず。
たとえそれが世界でナンバーワンの学者に反対していても。
信仰はどこにあるのですか?とイエスさまに聞かれていそう。
また教会が預言について注目しないのも、人を元気付けていない要因だと思う。
イエスさまに関して書いてある預言を読めば、それが神さまの力によってしかならないってことが分かる。
けど、リック・ウォレンという人は預言に注目するなって言っている。
僕は聖書だけを読んでいれば十分だと思います。
あれだけ騒がれていたリック・ウォレンの本も、今はブームが過ぎ去ったみたい。
でも聖書はすたれることがない。
また新しい流行が来るかもしれない。
けど聖書は最初から変わらない。
聖書全体を通して何度も読んでみたら、ミドラッシュという読み方の本当の価値が分かりますよ!
僕も聖書を読みます!
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