だいすけのおもいっきり聖書

「あなたは新しく生まれなければならない」

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罪の三段階

これはまだ個人的な意見かもしれませんが
このごろ考えてたことを書きたいと思います。


罪には三つの段階があるということ


ひとつ目は「死に至る罪」

『死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。』(1ヨハネ5:16)

『あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。』(1コリント6:9-10)

次は「死に至らない罪」

『だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。不正はみな罪ですが、死に至らない罪があります。』(1ヨハネ5:16-17)

三つ目はその人の「良心によって罪となるもの」

『しかし、すべての人にこの知識(偶像の神は実際にはいないこと)があるのではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんで来たため偶像にささげた肉として食べ、それで彼らのそのように弱い良心が汚れるのです。』(1コリント8:7)

三つ目の文脈を説明すると、今まで偶像になじんでいた異邦人が救われて交わりに入ったときに、強い良心、成長した良心を持った先輩の信者たちが偶像にささげた肉でも何でも「神は唯一だ」と知りながら食べていると、その異邦人信者は同じようにして食べてしまい。
「これは本当に良かったのか?今まで偶像にささげたものとして食べていたのに…」
と感じてしまうということです。

この場合、良心が弱い人を気遣うようにと書かれています。


人がクリスチャンとなると、罪を本当に嫌い、死に至る罪なんて犯すものかと思います。

また、死に至らない小さな嘘や、怠慢や、テレビで時間を浪費することや、僕自身の場合は友達とカラオケに行くことができなくなりました。(良心が弱くカラオケには耐えられなかったからです)

そのようにクリスチャンは成長してくると、「死に至る罪」と「死に至らない罪」を避けるようになります。そして次第に良心が成長してきて、まわりの未信者と違った生活をしだすようになるでしょう。

高い服を買わなくなったり、髪を染めることがなくなったり、つまらない冗談を避けるようになったり。
その人は個人的にそのようなことをすることによってますます神さまと近くなっていきます。


しかし、そのときにある問題が出てきます。

他の人に対して自分の良心をどう扱うかということです。

どういうことかというと、まだ信じて間もない人は成熟したクリスチャンを見て

「服も買ったり、髪も染めたり、冗談も言ったりしてはいけない。なんて堅苦しいんだ」

と思うことでしょう。しかし、その人にとってはそれが自分のうちの平安を保つ方法であって、何も苦しいことではなく、逆にそのようなことをすると良心に責められます。


このことが聖書を堅く信じる教会にも起こることではないでしょうか。

「あの教会は律法主義だ!」

「あれもこれもしてはいけない!」

そうなってしまう原因はふたつほど考えられます。


ひとつは、良心の弱い人たちのことを気にかけていないこと。
あるいは、それを言う人たちは「死に至る罪」を理解せず、別にしてもいいじゃないかと考えてる場合。


僕はある牧師が「(クリスチャンの)婚前交渉はふたりが同意してれば良いんじゃないか」
と教えている教会を知っています。それは明らかに聖書から外れたことであって、不品行という言葉の意味はそれでしかありえません。
これは聖書の言葉を明らかにないがしろにして、不信仰に陥っているんではないでしょうか。
「不信仰」とは神さまのことばをそのまま受け取れなくなった状態を言うと思います。

この場合に「あの教会は律法主義だ!」と自分たちのことを言われていても気にしなくていいでしょう。

しかし、まだ弱い良心を持った人に、成熟したクリスチャンの基準を要求するのは間違っています。


これがこのごろ強く心に思っていたことです。


僕自身も人に自分の基準を押し付けないことを注意しないといけないなと反省しています。

それによって、人が「自分は信仰が足りない」とか、「本当は救われていないんじゃないか」と思ってしまうからです。

みなさんはこの意見にどう思われるでしょうか?

「ミドラッシュは象徴を教理の基礎とはしません」


この意味を少し説明したいと思います。


旧約聖書での出エジプトの出来事は、私たちクリスチャンの歩み(救い)を表しています。

『そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。
私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。
そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、みな同じ御霊の食べ物を食べ、みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。
その岩とはキリストです。にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。』(1コリント10:1−6)

私たちはイスラエル人と同じように、パロ(サタンの象徴)の支配にあって、この世の象徴であるエジプトから出てきて、子羊なるイエスの血によって救われました。その後には、彼らが紅海を通ったように私たちもバプテスマを受けて、イエスの死と復活は私たちの死と復活となって、エジプト人がその中に飲み込まれたように、私たちは古い自分から生まれ変わります。

とすると、エジプトはこの世の象徴です。

ききんのときにアブラハムとイサクはエジプトに下りました。
そこで何が起こったでしょうか?ふたりとも自分の妻を他人に渡してしまうようなことをしました!
そのくらい堕落してしまったのです。

彼らはエジプト、この世に戻って行ってしまいました。
これは信者が信仰を失って、堕落してしまうときのことを描き出しています。

バビロン捕囚ではエレミヤは何を警告していたでしょうか。

『今、ユダの残りの者よ、主のことばを聞け。イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。
『もし、あなたがたがエジプトに行こうと堅く決心し、そこに行って寄留するなら、あなたがたの恐れている剣が、あのエジプトの国であなたがたに追いつき、あなたがたの心配しているききんが、あのエジプトであなたがたに追いすがり、あなたがたはあそこで死のう。
エジプトに行ってそこに寄留しようと決心した者たちはみな、そこで剣とききんと疫病で死に、わたしが彼らに下すわざわいをのがれて生き残る者はいない。』 』(エレミヤ42:15-17)

自分たちの罪を悔い改めない頑なな心のために、裁きとして送られたバビロン(偽の宗教の象徴)。

そのときにもエジプトへ下ってはならないと神さまは言われた。
(自分の罪のために神さまから裁きを受けるときも、この世にだけは戻ってはいけない)

またイザヤ書の中ではエジプトは「何もしないラハブ」と呼ばれている(イザヤ30:7)。

ラハブとはヨシュアが斥候を送ったときに、身を敵から隠してくれた女の人。
エジプトに逃げ込んでも何も良いことをしてくれないと聖書は明らかにしている。

またエジプトはわにと呼ばれている(エゼキエル29:3)。わには水辺にいて、休息を取ろうとしてやってくる動物を隠れて狙い、一気に噛み付いて水の中へ引き込む。
それはまさに世の象徴。仕事から帰ってきてほっとしたいと思ってテレビを見ると”同性愛者たち”や”反イスラエル””スピリチュアル”この世の考えが私たちを襲ってくる。

このようにエジプトはこの世の象徴。

これはほぼ聖書全体に関していえるテーマじゃないかなと思います。


「そうか〜エジプトはこの世の象徴なのか」


と思ってヨセフの話を読むとまた疑問が出てきます。

ヨセフは銀貨二十枚で兄弟の”ユダ”に裏切られ(創世記37:26-28)、エジプトに連れて行かれ、イエスがサタンに誘惑を受けたように主人の妻に誘惑され、それを乗り越えたが不正に訴えられ牢獄にいった。
そこで二人の男に命が救われることと死を預言し、後にパロはヨセフの位を上げ自分の第二の車に乗せ、エジプト全土を支配させた。

これはまさにイエスの象徴ではないですか。同じ名前のユダに銀貨三十枚で裏切られ、サタンに誘惑を受け、不正に訴えられ十字架に付けられた。そのときに一緒に十字架にかかっていたひとりに「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます(ルカ23:43)」と言われた(おそらくもう一人はパラダイスには行かなかった)。その後にイエスは父の右の座に座り(1ペテロ3:22)、万物を保っている方となりました(ヘブル1:3)

『ひとりのメシア ふたつの到来』参照
http://www.moriel.org/articles/sermons/OneMessiahTwoComingsJap.pdf


「エジプトはこの世の象徴で、エジプトの王パロはサタンの象徴だったんじゃないの?」
「パロの下にヨセフが権威を持ってたなんて、サタンの下にイエスさまが権威を持っているみたいじゃない?」

そう思うかもしれません。しかし、ここで注意すべきなのが「象徴と新約聖書のはっきりとした主張に同じ価値を持たせない」ということです。

象徴は決して教理の基礎となりません。

イエスは父の第二の権威であり(同等ですが)、サタン(被造物)の上におられる方です。

なので、象徴もその事実にしたがって読まないととんでもない結論(サタンの下にイエスがおられることのような)を出してしまいます。


これが象徴が教理の基礎とならないという意味です。

だからヨセフの箇所の読み方はパロは明らかに父なる神の象徴であるということです。

その理解をもって聖書箇所を読むと、


『やがて、エジプト全土が飢えると、その民はパロに食物を求めて叫んだ。そこでパロは全エジプトに言った。「ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよ。」 』(創世記41:55)

『イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』(ヨハネ6:35)



『パロはヨセフに言った。「あなたの兄弟たちに言いなさい。『こうしなさい。あなたがたの家畜に荷を積んで、すぐカナンの地へ行き、あなたがたの父と家族とを連れて、私のもとへ来なさい。私はあなたがたにエジプトの最良の地を与え、地の最も良い物を食べさせる。』 …家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから』と。」 』(創世記45:17-20)

『彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 』(黙示録21:4)

『人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。その日には、屋上にいる者は家に家財があっても、取り出しに降りてはいけません。同じように、畑にいる者も家に帰ってはいけません。ロトの妻を思い出しなさい。自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます。』(ルカ17:30-33)


確実につながりがあることが分かったでしょうか。

このような聖書の読み方がミドラッシュです。(僕もまだかじった程度なのですが)
『ミドラッシュ』
http://www.moriel.org/articles/sermons/midrash_jap.pdf



その大きな原則は

「象徴は決して教理の基礎とはならない」
また
「文脈を考慮して読む」

ということでした。


何か質問や、感想などあればコメントしてくださいね。

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そういえば、ジェイコブ・プラッシュのことをまだちゃんと紹介したことがなかったなと思うので、自分で書いた似顔絵とともに紹介します。


以下はモリエルミニストリーズにあるジェイコブの紹介です
http://www.moriel.org/About_Moriel/About_Moriel-Jacob.html


モリエルミニストリーズ代表 ジェイムズ・ジェイコブ・プラッシュ


『アメリカのニューヨーク近郊に生まれる。大学で科学を勉強していた頃に科学と歴史、考古学をもって聖書の誤りを立証しようとした結果、1972年2月信仰を持つに至る。イエスと聖書の主張を裏付ける証拠の多さを実感し、信じる他は無いと確信した。

ヒッピーたちの世代がより良い世界を作ることに失敗したのに落胆し、自ら支持していたマルクス主義にも幻滅し、友人と自分自身の命を奪おうとしていた麻薬の習慣にも別れを告げて、イエスを信じた。

彼の家族はローマカトリックとユダヤ人の組み合わせだ(彼は青年期にカトリック系の学校に行かされていて、同時にユダヤ人コミュニティーセンターにも通っていた)。彼の妻パビアもホロコーストを経験した親を持つルーマニア生まれのユダヤ人クリスチャンであり、科学の分野にも理解があった。パビアは無神論者であり、彼は不可知論者だった。共に信仰を与えられた後、イスラエルとイギリスにおいて、ふたりは科学の分野から神学へとその研究を切り替えた。彼らはガラリヤでふたりの子どもに恵まれた。

彼はヘブライ語を話すユダヤ人への伝道者であり、初代ユダヤ人信者の背景と新約聖書解釈学を詳細に解説する教師である。また彼は教会を建て上げることと宣教に重きを置いている。彼とモリエルミニストリーズは、穏健なペンテコステ派とカリスマ派の中にあって、聖書に基づいた保守的なメッセージを発信している。特にエキュメニズム(教会統一)運動や金目当ての説教、手の込んだ偽りの教え、カリスマ主義、今日の教会で流行っている気の狂ったような偽りの異言などに惑わされないように警告を発している。

彼とモリエルミニストリーズは、今はキリストの再臨が間近に迫った終わりの時代であると確信を持っている。中近東での最近の出来事や社会に蔓延する道徳の退廃、環境破壊、世界経済のグローバル化、偽りの民主主義であるヨーロッパ連邦の台頭、その中でも現代の教会の中での背教。それらはすべて終末論的な預言に関して重要な要因である。』




ジェイコブはアドラム福音教会(僕の行っている教会)の牧師ジェフとも知り合いで
先日アメリカのモリエルミニトリーズを運営しているデイビッドという人が、
日本のモリエルを立ち上げる準備にうちの教会へ来てくれました。

モリエル日本のHPもしばらくしたら出来上がるので、楽しみに待っていてください。

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