だいすけのおもいっきり聖書

「あなたは新しく生まれなければならない」

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多くの恵みを感謝します。
みことばが与えられて私たちが理解できるようにしてくださる方、
唯一の神、イエス・キリストと父なる神に感謝します。

このごろ多くのことを学ばされたので分かち合いたいと思います。
ほとんどがジェイコブ・プラッシュの説教からです。



イエスはマタイ13章で多くのたとえを話された後
このように言われました(この箇所を開いて見てみてください)


『あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」
彼らは「はい」とイエスに言った。
そこで、イエスは言われた。
'''「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、
自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」
これらのたとえを話し終えると、イエスはそこを去られた。'''』(マタイ13:51−53)


「天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなもの」とはどのようなことなのでしょう?


もちろん学者といえば、律法学者などパリサイ人をさしていました。
イエスの弟子たちの中にもパリサイ人たちがいました。

パリサイ人の中には二種類の人たちがいました。

シャンマイの学校に通った者と、ヒレルの学校に通った者たちです。
ヒレルの学校に通っていたのはご存知のとおりパウロ(タルソのラビ・サウロ)、またラビ的ユダヤ教を始めたラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイ。
イエスはパリサイ人たちと多くの会話をなされて、パリサイ人たちに多くの警告を与えました。
それは彼らが最も真理に近い者であって、ミドラッシュを理解していたからです。
サドカイ人よりもパリサイ人をイエスは相手にしました。

イエスが「この神殿を三日で建てる」と言ったときも彼らはイエスの肉体のことだと気付き、兵士を墓に送り、ぶどう園のたとえを話したときも彼らは自分のことが言われていると気付きました。

パリサイ人は教理的には正しかったのですが、その偽善や宗教的なプライドが真理をさまたげていました。

なのでイエスは「おまえたちは知識のかぎを持ち去り」(ルカ11:52)と律法学者に言ったのです。


その知識のかぎとは聖書を理解するかぎ、すなわちミドラッシュです。


それは最初にあげた箇所マタイ13章を見れば分かることです。


種まきのたとえは、その種とは神のことば(福音)また地とはそれを受ける人の心(マタイ13:19)
旧約聖書を見ると『まことに主は、ユダの人とエルサレムとに、こう仰せられる。「耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな。』(エレミヤ4:3)と書いてあって、古いもの(旧約)にもこの考えがある。
その箇所は続いて『ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け(13:20)』とあります。割礼とは心の包皮を取り除くことの象徴だったのです。

またマタイ13章のたとえで、『また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。』(13:47−48)とあります。
聖書の中でいつも漁は伝道の象徴です。イエスが網を投げろと言われた場所に投げると大量の魚が獲れました。
そこで旧約聖書を見てみると面白いことが分かります。レビ記11章の食べてはいいきよい動物と、食べてはいけない汚れた動物はあることを象徴しています。聖書で食べることは信じることと同じです(イエスがわたしの肉を食べ、血を飲まないかぎり永遠のいのちはないと言われたように)。
そのように考えると、きよい動物はきよい教えや人、汚れた動物は間違った教えや人を表しています。人はその食べるもので体ができているからです。

その中の「汚れたもの」のリストの中に水の中にいるひれとうろこが無い魚が出てきます。
その分類で考えると貝は汚れた食べ物です。
貝とは海の奥深くにいて、落ちている死体やごみを食べています。そして通常網の中には入りません。

これはどのような人なのでしょうか?

それはこの世の中に浸っていて、ごみのようなものを信じ、救われない人です。
そのような人は福音を伝えても網の中に入りません。この世の流行や常識の中に沈んでいるからです。


このようにミドラッシュを考えると新約聖書も旧約聖書も読めるようになって、それを自分の生活に適用することができます。


これがイエスの言っていたことです。

'''「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、
自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」'''


この理由のためにパウロが新約聖書の多くを書く特権が与えられたと考えています。

彼はパリサイ人の中のパリサイ人と言ったように、ヒレルの学校でガマリエルに教えられた学者であり、ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語、アラム語を知っていたことでしょう。
そのような学者が天の御国の弟子となると、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出すようになります。
旧約聖書から新しい物でも、古い物でも取り出します。
アブラハムの歴史から私たちの信仰まで(ガラテヤ4:24)、モーセの律法の箇所から教会の奉仕者の問題まで(1コリント9:9)。


だからペテロはパウロの書いたものに関してコメントを残しました。

『…それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。…』(2ペテロ3:15−16)

理解しにくいところもある、これがペテロの言ったことです。

救われた人であっても学者であった者と漁師であった者の役割の違いは確かに存在したのでしょう。


「ミドラッシュ」を知り、最もシンプルな方法は旧約聖書について書いてある手紙の箇所を読むことですが、その聖書全体での象徴を理解することが知識のかぎです。



僕がこのごろ思うのは、ヘブライ語やギリシア語を学んだ牧師さんたちは、もっと信徒に原語の大切さや、原語を知っていれば聖書のどの箇所が明らかになるかを紹介すべきだと思います。

ただ「この箇所はギリシア語では、ヘブライ語ではこんなふうなことが示されている」だけじゃあ、魚を与えておいて、魚を釣る方法を教えないようなものだと思います。

確かにヘブライ語やギリシア語は難しくて(僕も大学で半年ギリシア語をしましたが)、すべての人が分かるわけではないですが、「知識のかぎ」は渡せるものじゃないでしょうか。

「私は神学校を出たから」というのが免許みたいになって、
「神学校を出ないと聖書は深くは分からない」という風潮が日本の教会にはあると思います。(神学校自体は否定しませんが)これは悲しいことではないでしょうか。

イエスはたとえの意味を弟子たちに個人的に説明されました。

そうしていたために、宗教指導者たちはイエスを嫌っていました。


聖書を知っている人こそ、その知識のかぎを多くの人に渡す必要があるのではないでしょうか。




みことばが読めるようになることは、何よりもの祝福ですからね♪

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