だいすけのおもいっきり聖書

「あなたは新しく生まれなければならない」

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救いの衣

『アダムとエバはそうです、文字通り裸でした。しかしそれ以上のことを示しています。黙示録
のラオデキアの教会を思い出してください。『あなたは、みじめで、哀れで、貧しくて、
盲目で、裸の者であることを知らない。』イザヤが語ったように、裸であることは救いの
衣を着ていないことを象徴しています。』(ミドラッシュ 園の中のイエス1より)


聖書はひとりの神によって導かれて書かれたので、年代がいくら違ってもテーマは一致しています。

違う時代にも、同じ聖霊が書くことを導いていました。


今日は、「衣」に関してのミドラッシュについて書きたいと思います。

前に「義の衣」というテーマで少し書きました↓
http://blogs.yahoo.co.jp/praise_logos/10638517.html


聖書の中で衣が救い、義と関係があるということが分かったなら、多くの箇所に理解が与えられます。


旧約聖書で民が悔い改めるとき、よく「衣を割き、荒布を着、灰をかぶった」と出てきます。


悔い改めについて考えているとき、この行為を考えると分かりやすくなりました。



衣は救い、神の前での義です。



それを割き、荒布を身につけるということは、



「自分の義は機能していない(破られた)」


「今の自分の義にふさわしいのは、この荒布だ」


という意味でしょう。



『ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『{友よ。}あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」 』マタイ22:11−14


婚礼の「礼服」を着ていない者は外の暗やみに放り出されました。



私たちが選ぶ服装は、自分の地位、自分の状態などを示しています。
このために私たちはTPOに従って、服装を変えます。




私たちはどのような服を着ているでしょうか?




律法学者たちは人に見せようと長い衣を着ていました。



自分の罪深さを知って、神に許しを願う人は荒布を着ていました。

自分の見た目も気にせず、日常から離れて、荒布を着ていました。



僕はよく、罪を犯しても人目を気にして、何もなかったかのように振る舞ってしまいます。
自分では大きな罪を犯してしまった、と思っても問題の無いように見せてしまいます。

でも神さまの望んでいることは、自分の状態を隠さずにさらけ出すということではないでしょうか。



付き合っていた彼女と最近別れました。
原因はいろいろありますが、自分の罪が大きな原因です。


話し合わなかったこと、相手の意見の真意をつかめてなかったこと、自分勝手だったこと。


旧約の人みたいに実際に荒布を着なくても良いと思いますが、私たち新約の信者でも同じ悔い改めの方法をすべきだと思いました。


「人の目を気にせずに、神の前における自分の状態をさらけ出すこと」


律法の中でツァラアト(らい病)に冒された人は「汚れている!汚れている!」と
自分で叫ばなければなりませんでした。(レビ13:45)
ツァラアトは罪の象徴です。

そして興味深いことに体が完全にツァラアトにおおわれ、白く変わると「きよい」と宣言されました。逆に患部が少しの点でも祭司はその人を「汚れている」と宣言しました。

なぜでしょうか?


「罪が全面に現れるものとなるときよい」


からです。



隠れている罪のほうが明らかにされた罪よりも「汚れている」、罪深いということです。


そして第一に誰に自分の罪を明らかにするかといえば、

私たちの大祭司であるイエスにです。


また新約でも、罪を互いに言い現わしなさいとありますから、兄弟姉妹に明らかにする必要もあるとおもいます。

ですが、他の人のプライベートを侵害することなど、明らかにしない方が良いものがあるのも事実です。


でも旧約を見ると、皆に分かるように罪を悔いていたことが事実記されています。


デイビッド・ブレイナードが用いられたインディアンのリバイバルでは、
人々は自分の罪を悟って、泣き崩れ、周りの目も気にせず必死に赦しを求めました。


『大部分の者が強く心を動かされ、多くの者は自分の魂のことを考えて苦しみもだえた。また何人かの者は、立つことも歩くこともできず、心を突き刺されたかのように地面にひれ伏し、あわれみを求めて絶えず叫び続けていた。』(ブレイナードの日記p.68)


私たちは罪を犯してしまった時にどうやって悔い改めるべきでしょうか。


出エジプトという神の偉大な業によって約束の地に導かれたイスラエル人でさえ、真実に悔い改めたとき荒布を着て、灰をかぶって嘆いたのなら、世から救い出された私たちはどれほど罪を嘆き悲しむべきでしょうか。


救いの衣は破られた。
イザヤは罪を嘆いてこう言いました。


『私たちはみな、汚れた者のようになり、
私たちの義はみな、不潔な着物のようです』イザヤ64:6


僕の義も不潔な着物のようです。

人に知られない所では何をしても大丈夫だと思ってしまうことが多々あります。

ですが、隠れたことを神さまは知っていて、周りの人にもいつか分かります。



しかし、神さまがアダムに皮の衣を着せたように、
大祭司ヨシュアに礼服を着せたように(ゼカリヤ3章)、
世の終わりの教会が「光り輝く、きよい麻布の衣を着せ」られたように(黙示録19:8)、


神さまが義を、罪からの救いを与えてくれることを知っています。


私たちが綺麗な衣を着せられるためには、まず自分の情けない状態を知って、荒布を着たように自分の罪を神さまの前に明らかにすることじゃないでしょうか。

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