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今の時代のユダヤ教じゃなくて、イエスの時代のユダヤ教が知りたい! と思っていたら、ある人の本に出会いました。 ユダヤ教の背景からイエス・キリストを信じたクリスチャンです。 今『神殿:イエス・キリストの時代の奉仕と儀式(1874年 未邦訳)』を読んでいるところです。 すごく面白い本なので、部分的に訳して皆さんにお届けしたいと思います。 その人の紹介を訳したのでお読みください。 ●アルフレッド・エダーシェイム(Alfred Edersheim 1825-1889) 『キリスト教時代に先立ち、またキリスト教時代を通じて、19世紀におけるユダヤ教の慣習についての第一人者であるアルフレッド・エダーシェイムは1825年3月7日オーストリア・ウィーンで生まれ、その地で両親からユダヤ教信仰によって育てられた。彼は1841年非常に短期間ウィーン大学で学び、後に父親の病弱さのゆえに退学を余儀なくされた。 それ以降すぐにアルフレッドはハンガリーのペストへ移り住み、そこでジョン・ダンカン博士と出会った。ダンカンと他の長老派聖職者たちはハンガリーにおいて、ドナウ川に架かる橋を建造するスコットランド系労働者に奉仕していた。彼らの影響でエダーシェイムはクリスチャンになり、ダンカンがスコットランドに帰国した際も、エダーシェイムは同行していた。 1843年、彼はエディンバラのニュー・カレッジで学び始めた。1846年には長老派の奉仕に入り、1年間ルーマニアのヤシにてユダヤ人とドイツ人への伝道者として奉仕をする。このころ彼はマリー・ブルームフィールドと結婚し、7人の子どもを授かる。スコットランドへの帰還に伴って、彼はアバディーンの北部の町に住居を構えた。1848年から1860年までエダーシェイムはオールド・アバディーンチャーチに所属する。この期間に彼はドイツの神学書を英語に翻訳し始め、『紀元70年から312年までのユダヤ国家の歴史(1857年 未邦訳)』を著した。 エダーシェイムは「フリーチャーチ」の奉仕者の役割を1849年に引き受け、第二の奉仕者となる。その教会の正式名はオールド・マハル・フリーチャーチといい、アバディーンで1843年に設立された。初代の牧師であったアンデルソン博士は幼児洗礼に対しての自身の考えの変化のため辞任し、バプテスト派教会を設立するに至る。エダーシェイムは12年間フリーチャーチにて奉仕した。1861年、彼は体調の問題によりその立場から身を引き、イングランド・デボンの田舎にあるトーキーに移り住み、当時の保養施設について記している。 彼はコングリゲーションを設立し、1862年に聖アンドレ長老派教会を建設する。しかし健康の問題が続いたため、聖アンドレ教会から辞任し、ボーンマスにあるイングランド南岸の保養施設に移った。ボーンマスに滞在中、エダーシェイムは『神殿:イエス・キリストの時代の奉仕と儀式(1874年 未邦訳)』を著した。1875年に聖公会員になった後、彼は英国国教会にて助祭と司祭に任命され、1876年ドーセットのローダースにて教区牧師になり、そこで『ユダヤ人の社会生活の描写(1876年 未邦訳)』を著す。1883年にはローダースでの奉仕を辞任し、オックスフォードに移り、彼の最も重要な著作である『メシアなるイエスの生活と時代(1883年 未邦訳)』を書いた。 エダーシェイムの著作は聖書の物語(記述)に関してより深い理解を読者に提供し、霊的に重要な事柄に対し、より詳細な描写を与える。彼の目標は、読者をパレスチナの地へ導き、言うなればキリストの時代の出来事を体験させることにある。そうすることによってのみ、彼が信じるところでは、読者は真に新約聖書の多くの表現やたとえを理解できる(『ユダヤ人の社会生活の描写』の冒頭より)。 健康の衰えのため、エダーシェイムは次第にフランスのメントンへと退き、その地で1889年3月16日に64歳で生涯を終えた。彼の残した遺産はただ書物の中で生きているだけではなく、彼の子どもたちを通しても生き続けている。アルフレッド・エダーシェイム・ジュニアは父親の足跡をたどり奉仕に入り、エリース・ウィリアミナ・エダーシェイム・ジャイルズは1899年頃『ユダヤ人の儀式と礼拝』を著した。』(訳:だいすけ) |
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