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出エジプト記10章20節のヘブライ語イディオム
質問:「こんにちは、モリエルのみなさん。
ヘブライ語のイディオムと、正しい英語の訳を教えてくれませんか。
たとえば、出エジプト記10章20節の『主はパロの心を頑なにされた』の個所です。
前もって感謝を述べます
ミカエルより」
回答:頑なにするという「ヴァ イェヒゼク v’ yehizek(メヒゼクから mehizek)」は文字どおりには「強める」を意味し、その不定詞である「レヒゼク Lehizek」は「決意を揺るぎないものとすること」というものです。神はパロの心の中にすでにあったものを(何かを固めるように)強めたのです。
それゆえ、出エジプトのあらゆる個所で主とは関係なく、パロが自分の心を頑なにしている個所が登場します。(彼の行動に対応するヘブライ語の不定詞は“レヒゼク”ではなく、再帰動詞の“レヒートハゼク L’hithazek”です…注:再帰動詞とはその行動の結果が自分に返ってくる動詞のこと)
言い換えると、主は最初からパロがイスラエル人を行かせないように差し向けたのではなく、むしろ(裁きの中で)パロ自身がすでに心で決意していたことに彼を引き渡されたのです。そのヘブライ語は語源学的・文法的にも、過激なカルヴァン主義者がいう、主はパロを裁くために一方的にパロの心を頑なにさせたという間違った神学的な主張を支持していません。むしろ、主はパロの心の中にすでにあった邪悪な思いを強固なもの(強め、固いもの)とされたのです。(確かに主は全知であるため、何が起こるかを予知しておられ、そのためにモーセに予め警告しました)
神が堕落した人物を長い間行ってきた邪悪な思いや行いに渡されるのは、実質的にその人を最終的な破滅に至らせる神の裁きのわざです。神によるこのような行いは、第一列王記のアハブの偽預言者たちの個所で見られ、終末論的には不法の人(反キリスト)に従う真理を拒む者は、真理を退けたために裁きとして嘘を信じるようにされます(第二テサロニケ2章)。もうひとつの重要な例はローマ1章で、神が同性愛者やレズビアンを、性的に不自然な倒錯状態に陥らせ、来るべき破滅へとその人が向かうようにされます。私たちはこれを今日なされている同性愛者やレズビアンの横柄な自慢に見ることができます。彼らはその罪に関する横柄な自慢が、神が彼らの決意をすでに“強められた”という事実の表れであって、自分を破滅に至らす性癖を続けるようにされているのが分からないのです。
私たち他はこの「メヒゼク」を麻薬密輸容疑者に対する「おとり捜査」に比べることができます。バイヤーに扮したおとり捜査官は規制されている薬物を主要なディーラーから、一度だけではなく何度も購入します。そうすることで裁判での起訴も複数になり、罪が確定し、より厳しい刑が待っています。警察は最初の数回の購入で止めることはせず、そのディーラーを罠にかけます。その対象になっている人物は、法的な窮地に陥り、逃げ場が無くなる、または司法取引も不可能になるまで、罰せられずに済むだろうと考えています。
このテーマに関しては言語学的、また教理的な面から説明できることがたくさんあります。しかしメールでお答えするには長すぎます。また私たちは時々ヘブライ語やギリシア語に関する質問にお答えすることは構わないのですが、質問される方が聖書の原語に関する知識を持っていなければ、私たちは聖書解釈の問題に関連する言語学的な面しか説明できません。とはいえ、モリエルにはこのテーマを扱った教えがありますのでニュースレターやオンラインのカタログで申し込んでください。「ダマスカスの道」「真理の霊と偽りの霊」(英語のみ)
イエスの奉仕が30歳で始まったことに関する質問
質問:「我らの主であり、救い主であるイエス・キリストの名によってご挨拶します。イエス・キリストがなぜその奉仕を30歳前後で始めたかという問いに答えるのを手伝ってくれませんか。そしてなぜイエスが30歳の前に奉仕を始めなかったかという点についてもです。
主にあって」
回答:イエスはダビデの子なるメシアであったために約30歳で公の奉仕を始めました。ダビデは30歳で王になりました。それゆえイエスはダビデの性質をもってご自身の奉仕を始められたのです。ダビデの性質をもって働くということはユダヤ人にとってメシアのしるしとなったことでしょう。
30歳とは聖書において霊的成熟の年齢です。(これはまた象徴的にノアの箱舟の構造における30という数字に関連していますが、メールで説明するには長すぎる内容です)
(現代とは違い)イエスの時代のユダヤ文化では、30歳という年齢はその人が完全にラビとして認められる年齢でした。
また後代のユダヤ教徒とキリスト教徒の書物両方にみられる聖書外の伝統で、アダムは堕落した時におよそ30歳であったとされています。それゆえアダムの堕落によって生じた罪の影響を正すために、「最後のアダム」は最初のアダムが落ちたところから始める必要があったというのです。しかしながらこれはもっともらしいひとつの仮説であって、つじつまが合うように思いますが聖書的に証明できることではありません。
もうひとつの重要な事柄は、ヒゼキヤ王が30代であった時に寿命が15年延ばされたことです。これはアモス8章・9章の説教で説明されています。聖書時代の平均寿命はおよそ60歳でした。ユダヤ人の王の寿命が延ばされたために、それを補うためもうひとりのユダヤ人の王の寿命が短くされました(これはイエスが他の人にいのちを明け渡すことを示しています)。ヒゼキヤ王の死が近づいた時に太陽は後退しました。それゆえ王なるイエスの死が近づいた時に(ルカ23章44節)アモス8章9節の預言の成就として太陽が前進する必要があったのです。
時間とはもちろん惑星と天体運動に基づいています。ヨシュア記では太陽がとどまり、黙示録の至るところで、神は惑星運動を修正することで文字通り時間を修正しています。これはキリストが週の何曜日に亡くなったかというような質問と関わってきます。またこれはギリシア語とヘブライ語による時間という用語(“ズマン”と“ヨム”、“カイロス”と“クロノス”)の説明を必要とするので、その教えの中で説明したいと思います。
ですが端的に要点をまとめて言うと、30歳であった目的を理解するためには、イエスの以前にいたふたりのユダヤ人の王――ダビデとヒゼキヤとのイエスの神学的関係を理解する必要があります。
みなさんの益となることを願います
ジェイコブ・プラッシュ
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2011年06月30日
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