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次のような質問をある方から頂いたので、この記事にてお答えします。
「だいすけさん、教えて頂きたいのですが、ヨハネ12:41「イザヤがこう言ったのは、イエスの栄光を見たからで、イエスをさして言ったのである」とありますが、原文のギリシャ語にはイエスという言葉はありません。ここをイエスとする理由が分かれば教えて頂けないでしょうか?」
質問、ありがとうございます。
まずヨハネ12:41のギリシャ語は次の通りです。
12:41 ταῦτα εἶπεν Ἠσαΐας ὅτι εἶδεν τὴν δόξαν αὐτοῦ καὶ ἐλάλησεν περὶ αὐτοῦ
(英訳NASB:These things Isaiah said because he saw His glory, and he spoke of Him.)
確かに、このギリシャ語の中にはイエス(イエスース)という語はありません。
新改訳聖書では「イザヤがこう言ったのは、イザヤがイエスの栄光を見たからで、イエスをさして言ったのである」とありますが、この「イエス」と訳された二つ箇所にはただ「αὐτοῦ」(アウトゥー)「αὐτοῦ」(アウトゥー)とあるだけです。
ギリシャ語の「αὐτοῦ」(アウトゥー)とは「彼」を表す語「αὐτός」(アウトス)の男性形・単数・属格です(「彼の」という意味)。
後半部分の「τὴν δόξαν αὐτοῦ」(テーン・ドクサン・アウトゥー)とは「彼の栄光を」という言葉で、真ん中の言葉は「δόξα」(ドクサ)といいますが、ここから英語の「doxology」(ドクソロジー=頌栄)という言葉が来ています。
次の「καὶ」(カイ)とは「そして」という意味で、「ἐλάλησεν」(エラレーセン)は三人称・単数形・アオリストで「その人(イザヤ)が言った(一回性の動作)」、「περὶ」(ペリ)は「まわりに」という意味と「について」という意味を持っています。そして最後は「αὐτοῦ」(アウトゥー)、「彼の」です。
質問に戻りますと、確かにこの箇所には「彼」、「彼」としか出てきません。その一方、次の節を見るとイエスについて語っていることは確かです。
ヨハネ12:42
12:42 ὅμως μέντοι καὶ ἐκ τῶν ἀρχόντων πολλοὶ ἐπίστευσαν εἰς αὐτόν ἀλλὰ διὰ τοὺς Φαρισαίους οὐχ ὡμολόγουν ἵνα μὴ ἀποσυνάγωγοι γένωνται
(英訳NASB:Nevertheless many even of the rulers believed in Him, but because of the Pharisees they were not confessing Him, for fear that they would be put out of the synagogue)
(日本語訳新改訳:しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった)
ここでもイエスースという語は登場せずに、「αὐτόν」(アウトン)だけが登場します。「αὐτόν」(アウトン)とは先の節に登場した「αὐτός」(アウトス)の男性形・単数・対格です。要するに「彼を」としか書いてありませんが、指導者たちが誰を信じたかは文脈から明白です。彼らはユダヤ人の指導者たちでしたから、創造主なる神、アブラハム・イサク・ヤコブの神をすでに信じていたのは当然です。その人たちがここで「彼」を信じたとあるので、それが「イエス」を指しているのはごく自然に分かります。
それが分かるとヨハネ12:41の二度登場する「彼」は「イエス」で正しいことが分かります。これが本文から確実に言えることです。
(ヨハネ12:41原文の「彼」を「イエス」と訳出している点については何とも言えません。個人的にはそのまま「彼」と訳出しておいて、原文に無い語は入れないほうが良いと思いますが、他の写本を参考にしている可能性もあります)
それでは、この箇所から何が分かるか見ていきましょう。
イエスは万軍の主、神であるということです。
『彼らが信じることができなかったのは、イザヤがまた次のように言ったからである。「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」イザヤがこう言ったのは、イザヤがイエスの栄光を見たからで、イエスをさして言ったのである』ヨハネ12:39−41
この箇所はイザヤ6章10節から引用されていて、イザヤ6章の冒頭部分にはこうあります。
『セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、互いに呼びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」』イザヤ6:2−3
イザヤは何を見たのでしょう??
『そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」』イザヤ6:5
エホバの証人はイエスが万軍の主と同じ方であるということを否定しますが、彼らの新世界訳にもこうあります。
新世界訳『それから、わたしは言った、「わたしは災いだ! 沈黙に陥れられたも同然だからだ。わたしは唇の清くない人間であり、唇の清くない民の中に住んでいるからだ。わたしの目は王を、万軍のエホバご自身を見たからだ』イザヤ6:5
それゆえ、ヨハネ12:39−43はイエスが万軍の主、エホバ(と呼びたいならば呼んでも良いと思いますが)であり、創造主であることを明確にギリシャ語から、文脈から示しています。疑問が出る余地もありません。
エホバの証人たちはイエスが神であることを否定するために異端です。
『偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです』1ヨハネ2:22−23
キリスト(メシア)という称号には、すでに神である(創造主と同一である)性質が含まれています。御子を否認する者は反キリスト、イエスを否認するものみの塔は反キリストです。
※エホバの証人に関する書籍
『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』正木弥著・びぶりや書房発行
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2013年10月12日
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