|
みなさん、お久しぶりです。
先日、フィリピンから約3週間ぶりに帰って来ました。
今回は日記という形で、現地のクリスチャン、信仰の状況を書いていきたいと思います。
まず妻が第二子を出産するということがあり、妻と子供は先にフィリピンに帰っていました。そして4月10日、かわいい女の子が生れました。出産って本当に良いものですね。新しいひとりの人がこの世に生れてくるのですから。
そして今回、フィリピンのミンドロ島で二つの日曜日にメッセージを語りました。
最初のメッセージは「知恵、知識、悟り」、二つ目のメッセージは「立つ、つまずく、倒れる」というものです。
どちらのメッセージも理解してもらったみたいで、まずは目的達成でした。
フィリピンの霊的現状
現地は迷信が多く、クリスチャンでも間違ったことを簡単に信じてしまうところです。
最近は現地の教会の間で、「悔い改めは必要ない」新しい恵みという教えが流行して、それが教会間に分裂を引き起こしています。後にモリエルHPにも掲載すると思いますが、その原因となった本を書いたのがジョセフ・プリンス(Joseph Prince)という人です。その人の教えのために、クリスチャンが悔い改め無しに、罪に舞い戻って行ってしまっています。簡潔にどんな教えかというと、「イエスさまが十字架にかかり、私たちは恵みの下にいるのだから、自由だ。律法に縛られる必要は無い」というもので、ある牧師は浮気をし、ある牧師は酒に酔っているということです。本当に嘆かわしいものです。
おそらくどの発展途上国でも同じだと思いますが、西洋世界、特にアメリカから間違った教えでも大量に輸入しており、しかもフィリピンは英語の本が読めるということもあり、流行の速度がはやくなっています。未信者が救われることはそれほど難しくはないのですが、救われた後に正しい教理に触れず、間違った教えの波に惑わされている人が多くいると思います。僕たちは正しい教えを広めなければなりません。
フィリピンの家庭環境
アジアの他の国と同じく、フィリピンは家族や親戚を大事にし、いつも近所の人たちと(特に田舎は)交流があります。そして、今回も妻の実家に3週間ほど泊っていたのですが、家の中には仕切りやカーテンはあるものの、トイレ以外ドアがありません。日本人からすると、(また結婚したカップルからすると)プライベートな空間が無いと思うのですが、一方、家族間で隠し事が出来ないという利点もあります。日本はプライベートを大切にして、子供でも自分の部屋があったりしますが、そのために家族と一緒の時間を持たず、隠れて悪いことをするということが出来てしまうのだと思います。この点を考えると、フィリピンの子どもたちは家族によって守られているといえます。
フィリピンの気候とその影響
フィリピンは北部のバギオなどを除いてはとても暑い国です。そしてとても暑いために人は朝早く5時くらいに起きてすずしいうちに仕事をし、昼食後の真昼頃になるとシエスタのように仮眠を取ります。起きて仕事をしようにも暑過ぎて(特に農家の人たちにとっては)何も出来ないからです。何かしようと思ってもとても非効率になってしまうでしょう。また暑いために昼間勉強しようとしても集中できません(試してみましたが)。またフィリピン人は時間にルーズだと言われますが、それにも理由があります。大きな理由がその気候です。特にスコールや台風、天災が数多くあります。そして船でどこかへ行こうとしても台風が来ているから行けないなどの状況が多々あります。そのような環境で日本人のようにカリカリしていたらどうなるでしょう。もちろん、逐一怒っていてもしょうがないので、諦めるしかないのです。そのため「バハラナ(もういいや)」と言って、諦める気質を持っています。日本の気候や気温を比べると、先進国ということもあり、比較的何でもスケジュール通りにことが運びます。とても予定が立てやすいのです。しかしフィリピンとなるとそうはいきません。
カトリック教会
フィリピンに行った人なら分かると思いますが、カトリック教会があちこちにあります。そして「あなたはクリスチャンですか?」というと「はい」と言って、カトリックであることが多々あります。またマリア像も、日本の道端に仏像があるようにあちこちにあります。ですが本当のクリスチャンにカトリック信者について聞くと、酒に酔うし、タバコを吸うし、聖書を読まないといいます。そしてフィリピンには、フィエスタというカトリックに由来した祭りがあり、ブラック・ナザレンという祭りでは黒い肌をした(なぜ黒いか分かりませんが)幼子イエス(サント・ニニョ=聖なる子)を担いで、人々が練り歩きます。そしてその像に触ったらご利益があると信じていると聞きました。
聖書への尊敬
そのような間違ったキリスト教が広まっていることは事実ですが、その反面日本とは違う良い状況もあります。フィリピンでは宗教的な話がオープンに出来、聖書に対してある種の敬意を持っている人がたくさんいます。日本人や、西洋の無新論者のようにあしざまにけなすことはしないのです。そのため、伝道がうまくいっています。現地の教会がしていたのは、子供たちを平日教会に集め、サマースクールのようなものをして、子供の讃美歌を歌い、聖書の物語を話し、聖句を暗証させていました。そして近所のカトリックの親たちも、子供の教育に良いからと子どもたちを通わせているのです。神さまの恵みは今、発展途上国、第三世界に向けられています。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




