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みなさん、こんにちは。
今日はニュース記事から興味深いものを見つけましたので、みなさんと分かち合いたいと思います。
「中国・伝説の大洪水、初の証拠を発見 文明史書き換えか」
【AFP=時事】中国の黄河(Yellow River)で4000年前に大洪水が起きたことを示す初めての証拠を発見したとの研究結果が4日、発表された。この大洪水は、夏(Xia)王朝とその後の中国文明の誕生につながったとされる。
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論文を共同執筆した米パデュー大学(Purdue University)地球大気惑星科学部のダリル・グレンジャー(Darryl Granger)教授が電話記者会見で語ったところによると、調査の結果、過去1万年間に発生したことが分かっている中でも最大級の大洪水があったことが示された。その際の水位は、現在の黄河よりも38メートル高い位置まで上昇したという。
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研究チームは、地震で崩壊した建物のがれきの中から見つかった3人の子どもの骨に対し、放射性炭素年代測定を実施。その結果、3人が紀元前1920年に死亡したことが分かった
上記の記事を読んでもらえたら、分かる通り、伝説とみなされていた中国の大洪水に関する証拠が発見されました。
そして、その年代も約4千年前とノアの洪水に近いものです。
(ノアの洪水の聖書の示す年代は、アダムから「〜が何歳に〜を生んだ」という年月を重ねて計算すると、創造から1656年、現代から考えると4364年前になります。もちろん、聖書には何歳何カ月で子供を産んだか書かれていないので、最大5年ほどの誤差は出ます)
世界各地には大洪水に関する言い伝え、伝説が残されていて、それが示すのは局地的ではなく、世界全体が大きな洪水を経験したということです。
このニュースが出された国は興味深いことに中国です。
みなさんもご存じの通り、中国は共産主義で、キリスト教会も政府の統制下にあり、本当の聖書的な教会は隠れて「聖書」を「あの本」とか言いながら暮らしています。
またこのニュース元はキリスト教系でもなんでもありません。とすると、キリスト教への偏り無しに、発見された証拠をもとにした記事だということです。
では、聖書のいう世界規模の洪水があったということは、どういうことを意味するでしょう。
それは、この世全体を裁くことのできる神がおられるということです。
このことは、喜ばしいことでもあり、僕たち罪人には喜ばしくないことでもあります。それは自分が不公平に扱われたや、傷つけられたなどであったらその相手を「裁いてほしい」し、自分が悪いことをしてしまったならそれもまた「裁かれる」対象になるからです。
私たちは、心の中で正義というものが存在していることを知っています。聖書はそれを律法が心の中に書かれていると言っています。そのため聖書を読んだことがなくても「殺してはならない、盗んではならない、浮気をしてはならない」という基本的な善悪は皆が知っているのです。
ですが、僕たちは自分の善悪の基準でさえ、守れているでしょうか。 僕は子供に「怒って叫んだらだめだよ」と教えますが、実際それを自分が守れているかというと、子供が真似をしているように守れていません。
僕たち全員が、自分の持っている善悪の基準を守れていません。それを気付かないケースは善悪の基準が無いかのようにふるまっている場合と、善悪の基準を自分用に「甘め」にして守っているかのように勘違いしてしまっている場合です。
だったら、話を戻しますが、僕たちがそのノアの大洪水の時に生きていたらどうなっていたのでしょうか。濁流にのまれてこの記事にあったような3人の子供のように死んでしまったでしょうか。
その可能性は大いにあります。しかし、神さまは滅ぼすだけではなく、逃れの道も用意していました。
それがノアの箱舟です。(実際にどんなに大きかったかは、最近完成したアメリカのノアの箱舟の模型を見れば分かります http://www.christianpost.com/news/ken-ham-shares-gospel-with-bill-nye-during-ark-encounter-tour-166278/ ) ノアは自分の造る箱舟に入るように宣べ伝えました(2ペテロ2:5)。ですが、その箱舟にはノアの家族を含めた8人しか入らず、他の者たちは入ることを拒みました。
なぜ拒んだのでしょう。それはプライドです。「他の人にバカにされたらどうしよう」「自分は正しいから裁かれるはずがない」「神さまが裁かれるはずがない」などです。 同じような理由で僕たちはキリストが僕たちの罪のため、十字架にかかったことを認めたくはありません。それは自分が無力だと認めることになるからです。
ある人が書いていましたが、溺れた人を助けるのに最善の時は力尽きる寸前だそうです。まだ自分でもがいているうちは助けようとする人さえ押しのけてしまうからで、もう力が無くなったときが「救いの時」だそうです。
僕たちも同じです。自分の力で何かが出来る。自分が一番だと思っているうちは誰も助けの手を差し伸べることができません。しかし、自分が無力だと知らされた時に僕たちは助けの手がはじめて見え、それをつかむことができます。
洪水の話に戻ると、世界各地に伝えられているように全世界を覆う洪水が聖書のいう通りに実在しました(ロッキー山脈を見てください、貝が発見された高山を見てください)。ということは、全世界を裁くことのできる神がいるということです。僕たちはその神にどう応答するでしょう。
「そんな裁きは来ない!」と嘲って、箱舟に入る人たち(救いを受け入れる人たち)を馬鹿にするでしょうか。それとも、自分が無力なことを知って大きな神に頼るでしょうか。
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