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『ヘブライ語聖書が記す古代の町の門と神殿を発掘』
By Laura Geggel, Senior Writer | September 28, 2016 04:11pm ET
「聖書でヒゼキヤ王が紀元前8世紀に破壊を命じた、古代の町の門と神殿が発見されたとイスラエルの考古学者が発表した。
…途中略…
ヘブライ語聖書ではヒゼキヤ王がいかに『高き所を取り除き、聖なる石と打ち砕き、アシェラ像を切り落とした』かが記されている(第二列王記18章3節)。
…途中略…
町の長老やさばきつかさ、支配者、王、高官ら高位の者たちは当時、町の門のそばにある椅子に座っていたが、『その椅子が私たちの発掘で発見された』とゲイナーは語る。
…途中略…
テル・ラキシュの町の門は発掘され、高さ4メートルの姿で保存されている。最初に発掘された部屋からは、肘掛けのついた長椅子、穀物保存に用いられた壺やシャベル、王の印章「レメク」と刻印の押された壺の取っ手が発見されたとイスラエル考古学局は語る。
これらの壺はおそらくセナケリブに対するユダ王国の戦いの際に、軍事用、行政用として備えられたである。」
引用終了
この他にもこの異教の神殿では「角」が意図的に切り取られた祭壇、神殿の隅に設けられた異教の神を汚すための「公衆便所」などが発見されています。
これらのことは何を意味するのでしょう。
まずはもちろん、聖書の記述が歴史的事実であるということです。聖書は象徴的な意味を本文に含んでいるとしても、その基礎となる事柄は正確で、歴史的、考古学的に証明できるものです。
二つ目に、この考古学的発見が教えてくれていることは、ヒゼキヤの業績に僕たちも習うべきだということです。ヒゼキヤの父は邪悪な王アハズであったにも関わらず、高き所を取り除き、石の柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇を打ち砕きました。それは僕たちの家族、指導者、誰が偶像を勧めていたとしても従わず、勇気をもって偶像を(その権威と責任が与えられているなら)切り離すことと同じです。旧約時代に存在した高き所とは、「自分勝手な方法で主なる神を拝む場所」でした。僕たちも聖書の原則に沿っていない、自分勝手な方法で主を崇めようと、便利な方法、手軽な方法に頼ってしまっているかもしれません。まずは真理が何か(時間がかかるとしても)探し、それに一心に従う決意が必要です。
興味深いことに、イスラエルの考古学でヒゼキヤ王に関する発見は多くあります。そのひとつの例がエルサレムの「ヒゼキヤの水道」です(第二歴代誌32:30)。
これらの発見を通して、神さまは私たちに何を教えようとされているのでしょうか。
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