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「今あの子ってどうしてんの?」
「あ〜その子ならちゃんと教会に来てるよ」
クリスチャン同士で交わされる何気ない会話。
言いたいことは分かるけど、内容が間違っていることに気がついた!
●信仰の度合いを教会の出席率で測ろうとしていること
このこと自体に問題は無くて、教会に来なければ信仰が後退しているっていうことは大いにあること。でも、誰かの信仰を測るときにそれだけが指標になってないかということに疑問を感じる。
言いたいことは「教会に行っていれば良いのか」ということ。多くの人にとって、こんなことを言ったら「きびしすぎる」と言われるかもしれないけど、本当に注意すべき点だと思う。
イエスについて書かれているのは『その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。』(マタイ1:21)罪から救ってくださる方ということ、言い替えると、それは自分の属しているグループを替えるだけのことではないということ。むしろ教会に行っていないときの私生活で罪から救われて、離れているかどうかが本当に重要。
『もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。』1ヨハネ5:9−10
神さまのあかしを心に持っているかどうか。
僕の昔からの親友で、自分がクリスチャンになってから福音を伝えてきた人がいて、その人はすごい今変えられている途中で、こっちも嬉しいほど信仰が目に見えて分かる。彼は2、3年前からバンドをやっていてボーカルとしての才能もあり、今では多くの事務所(ソニーやエイベックス)から声がかかってきていて、メンバーが集まりさえすれば、その申し出を受取って所属事務所を変えてバンド活動をすることが出来る状態にあった。けど、福音を聖書を知り、この世に喜ばれることをしなければならないエンターテイメントの仕事をするのは信仰的に難しいということを頭では分かっていたって言っていた。ちょうど良い風になってきてるし、やめるのはもったいないと。けど、彼はある夢を3日連続で見たという話をしてくれた。その夢の中で家族やまわりの友人が皆明日にも死にそうな病気にかかっている状況なのに、自分はギターを持ってスタジオに行ってくると言っているという夢だったらしい。まわりの皆が福音を必要としていて、それがないと今罪の中にいて、死後は地獄に行くのに自分は何をしているんだという思いが本当に強くなったんだって。そういう夢もあり、彼はもうこれは「バンドをあきらめろ」ということかということを実感し、この前の日曜日に「バンドを辞めて、親戚の仕事を出来るよう頑張ってみる」と言っていた!
驚くのはそれだけじゃなくて、そう決心してから彼は一緒にいる彼女にも福音を伝えに行ったということを話してくれた。彼女は創価学会の家に生まれ彼女自身もそれを信じていたけど、このごろは彼氏の変わり様や教会の人の真実な生き方を見て、説教を聴き心を動かされ、自分の宗教が間違いじゃないかということを気付き始めてる。そして、今日また彼女の家(創価学会の集会場)にいた彼は、その集会の前に偶然次のような話をしていた。「偽りの宗教は自分たちの内側の人はかばい、外側の人はことごとく非難する。」「また人間を崇める」「祈る時に口数が多ければ聞かれると思っている」これらのことを聞いた後に、その集会に参加したらしいけど、彼の言っていたことがまさにその中で行われていたことで、「だれだれが脱会して、その本性を現わしやがった」とかちょうど彼が何気なく言ったことが見事にそのままで、これには彼女のほうもすごいと思ったらしい。そして、その集会の後も聖書の話を彼女の方から聞きたがって(今までは嫌がっていたのに)話を求めてきたと言っていた!なんという神さまの御手の働きだろうか!これが神さまのなされたことじゃなくて、何て言ったら良いんだと僕もさすがに聞いてて思った。
確実に神さまが恵みをかけて、彼と彼女を変化させていっている。これが信仰のしるしなんじゃないだろうか。
教会に行っていても、エレミヤの時代のイスラエル人のように言っていてはいけない。
『イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。あなたがたの行ないと、わざとを改めよ。そうすれば、わたしは、あなたがたをこの所に住ませよう。あなたがたは、『これは主の宮、主の宮、主の宮だ』と言っている偽りのことばを信頼してはならない。』(エレミヤ7:3−4)
「これは教会、教会、教会だ!」と言ってはいけないということ。
建物、そして集団自体に力があるんじゃなくて、そこで聖くなろうとしているかが大事。神さまの言葉に従おうとしているかが大事。
自分の信仰は目に見えるものだろうかと深く考えさせられました。
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