だいすけのおもいっきり聖書

「あなたは新しく生まれなければならない」

日記

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神戸三宮で伝道(2)

少しの時間でしたが、また兵庫は神戸の三宮でヒマそうにしている人に対して、

「あなたは天国に行きますか?」

って聞いてきました。

そこで、あるおじさんに会ったんですが、その人は昔刑務所(っていっても2,3年前)に
入っていて、今はホームレスのような暮らしをしていました。
「あなたは天国に行きますか?」と聞くと、
「あんたはキリスト教か?」と聞き返されました。
「はい、そうですよ」と答えると、そこから宗教に対しての意見を
止めどもなく話してくれました。

「宗教は死んだ後に救われるっていうけど、生きている間に救われないと意味が無い」

とその人は言っていました。
僕もそのとおりです、って言ったんですけど、話を聞いてくれそうもなく、
どんどん、その人は自分の話をしていました。

その話の中で、
ある人(その当時まだ十代)が親子けんかをして家を飛び出したそうです。
出るときに文化包丁を持ってでたらしく、そのままお腹がすいたので、
パン屋に入って、パンを盗んだそうです。
しかし、店員に見つかり、とっさに包丁を使ってその人を殺してしまったそうです。
(誰のことかは分かりませんが、その人自身のことだったかもしれません)

そのおじさんの意見は、十代だから大人と違って判断力が無いんだから、しょうがないと言うのです!
分別がまだついていないから、殺人はしょうがないことなのでしょうか?

わたしは「それは罪ですよ」と言いました。
すると「いや、それはしょうがないだろ!」と言ってばかりで聞きません。

聖書には『兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。』1ヨハネ3:15

と書いてあります。誰でも自分の心で知っています。良心は「まちがっている!まちがっている!」と
叫びます。

誰でも、自分の罪を悔い改めてイエスを信じないかぎり、永遠のいのちはありません。

結局、そのおじさんは「話にならん!」と言ってどこかへ言ってしまいました。
自分のしていることは正しいと確信しています。
福音を聞いた人の反応は、罪があらわにされて、悔い改めるか、怒るかのどちらかです。
神さまの罪に対する裁きを伝えるのも、神に栄光を与えることです。
モーセもそのようでした。パロに裁きを宣告したのです。


あと、僕よりオーストラリア人の牧師が話していたんですが、
イスラム教徒の人とあいました。
彼らは、自分で「〜はどうなんだ」と聞きますが、それを答えるまで待ちません。
「コーランは正しい」とだけ主張していて、何でそういえるのかを示そうとしないらしいです。
僕がちょっと日本語で話していると、
「神が三位一体のように、三人いるのはおかしい」
と言っていました。なぜなら、
「イエスのようにうんこをし、おしっこをするのは神じゃない」と言うのです。
「神は目に見えなくて、イメージをすることが出来ない」とも言っていました。
「わたしたちは神さまに直接祈る」とも。

「人間は罪深くて、直接聖なる神さまに近づけないんです」
僕がそう言っても彼は聞こうとしませんでした。
また、アブラハムに現れたイエスについても話そうとしましたが、あまり話が出来ませんでした。

『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。』
この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』マタイ13:14

真理に耳を傾けないと、神さま自身がその耳と目をふさぎます。
神さま自身が特別な恵みを注いでくれるように、祈りたいものです。


自分自身に栄光を帰さず、神さまだけに栄光を与えたいものです。
自分が何かをやったということは考えずに、神さまのみこころを行いたいです。
どうか日々小さなことに関して、忠実でいさせてください。
恵みをあたえてください。イエス・キリストの名によって。アーメン

このごろユダヤ人クリスチャンのJacob Prasch(ジェイコブ・プラッシュ)の
説教を聞いたり、見たりするのにはまっています。

彼はユダヤ人であり、カトリック教徒の家に生まれて、
家では英語とヘブライ語を両方使って会話してたそうです。

僕の書いた「象徴」や「ミドラッシュ」にあるようなことについて
よく講解説教をしています。

使徒や一世紀のユダヤ人がどのように旧約聖書を解釈したか、
パウロの先生だったガマリエルや、そのガマリエルの祖父のヒレルの
文章を研究して、ユダヤ的聖書の読み方を教えてくれます。


パウロはユダヤ人と異邦人を次のように説明しました。
『あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。』ローマ11:18
ユダヤ人が根であり、私たち異邦人はそれに支えられていると。


一世紀のユダヤ的な聖書の読み方をすると、多くのことが見えてきます。
(私たちはしばしば、改革者の影響を受けてギリシア的、史実・歴史的な読み方しかしません)

例えば、イエス・キリストはふたつの役割を持っていると彼は言います。

ひとつはヨセフの子イエス。
ふたつ目はダビデの子イエス。

ヨセフはユダヤ人である兄弟に銀で売られ(提案したのはユダ)、牢に入れられ、そこにいた献酌官と調理官に預言を明かしました。しかし何事にも忠実であり、パロに次ぐ第二の権威としてエジプトで偉くなりました。
ダビデは、いつも主が共にいて多くの戦に勝利を得た王でした。
周りの国を支配し、ダビデの後の王は「父ダビデのようであった」といつも比較されるなど、
理想的な王の象徴でした。

イエスもそのようです。
彼はユダヤ人たちに裏切られ、ユダに銀で売られ、苦しみを受けたが口を開かず、十字架に向かいました。そして十字架にかかっているときに二人の囚人のうちひとりに、「あなたは今日わたしとともにパラダイスにいる」と言って、救われることを告げました。最後まで罪を犯さず、父に次ぐ第二の権威として、その右の座についています。
彼が再臨するときには、ダビデ王のようです。神を知ろうとしたがらない人に裁きを与えます。
彼は鉄の杖をもって牧すと書いてあります。そしてそこから地上に千年王国を開始すると聖書は教えています。

ヨセフは従順なしもべを、ダビデは支配する王を示しているのです。


機会があれば、彼の説教の原稿を日本語に訳したいと思います。


聖書をどのようにして読むか、どう解釈したら良いのかは使徒に従うべきです!
彼らはイエスから直接、たとえの解釈を教えられました。
そして、イエスの時代あたりのユダヤ人が聖書をどのように解釈したかを知ることも有益でしょう!



『では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。
それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。』ローマ3:1−2


聖書を知ることは神さまをしることです!
門は大きく開かれています!神さまの言葉を学びましょう!

神戸三宮で伝道!

先週の土曜日に、神戸の三宮で福音を伝える働きをしてきました。
オーストラリア人の牧師と、ふたりで行ってきました。

夜9時半ころから始めたんですが、結構いろんな人と聖書について話す機会がありました。

手にしていたチラシは『あなたは天国に行きますか?』という、教会で作ったチラシです。



『「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』マルコ16:15


この言葉を頼りに、そこでヒマそうにしていた人たちに話しかけました。

チラシを持って、『あなたは天国に行きますか?』といきなり人に話しかけても、意外と反応してくれることを知りました。

ある人は、
「う〜ん行くんじゃない」とか、
「天国って本当にあるの?」とか、
答はさまざまでしたが、その中で印象的だった人のことをちょっと話したいと思います。


ひとりは、今キリスト教系の大学に通っている大学生でした。
話していると、両親がクリスチャンらしく、幼いころは自分もクリスチャンだと思っていたそうです。
しかし、年令が上がっていくに従って聖書の話も信じれなくなり、
「もう押し付けないでくれ!」と言って、キリスト教とは別れを告げたと言っていました。

話が進むにつれ、彼の問題点が明らかになってきました。
彼は幼いころから、『妻意外の女の人と性的な関係を持つことは罪』だと親に教えられていたらしく、
それを正しいことと知っていました。
しかし、多くの女の子と性的な関係を持ってしまい罪悪感が出てきて、もう両親、聖書に従うことは出来ないと思ったようです。
聖書は正しいと知っているけど、自分の欲望のままの罪深い生活は変えたくない!
これが彼の本音だと僕は思いました。
僕は「神さまはあなたが正しい道を選択するか、それとも、自分勝手な道に進むか、を聞いています」
と言いました。

自分の罪から立ち返ること、そしてキリストに信仰を持つこと。
これがクリスチャンになる・神さまに従う上でとても大事なことではないでしょうか。
誰も罪を是認したままで、真にクリスチャンになることは出来ません。
聖書は「きみのままでいいんだよ」とは言っていません。
罪を悔い改めなければならないのです。


もうひとり、仏教徒だと言っている人に会いました。
「じゃあお経とか覚えてるんですね」と聞いたら、あいまいにしか答えてくれませんでした。
僕は質問するのが好きなので、
「仏教で一番大切なことは何ですか?」と聞いてみました。
そうしたら、「人に親切にすること」だと言っていました。
また、「輪廻転生はあると思いますか?」と聞いたところ、
「まあ、あってほしいね」と確信がありませんでした。
「世界はどのようにして今のように存在するに至ったと思いますか?」と聞いたところ、
「それ難しい質問だからパスするわ」と言っていました。

この人は明確な答を持っていませんでした。
聖書には明確な答があります。
仏教では、仏は神ではありませんから、世界の起源を説明することは出来ないのでしょう。


話しかけた人の中で、「なぜ、天国が無ければならないか」を説明したところ、
納得しているように見えた人もいました。


それにしても、聖書のことを少しでも伝えることが出来て良かったと思います。
(人が話しを聞いても、聞かなくても、私たちクリスチャンは神さまに忠実でないといけないですが)



私たち聖書という真理を知っている者、クリスチャンが外に出て福音を伝えないでどうするのですか!
神さまはあなたの小さな努力によって、栄光を受けます!





『「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』マルコ16:15

愛とは?

少し前に、D・M・ロイドジョンズの『結婚することの意味』という本を買って読みました。

とても聖書に忠実で、深い理解を与えてくれる本でした。

僕はまだ独身ですが、早く結婚できたら良いなと思っています。

少し話は変わりますが、年末にフィリピンに行ったときに
日本語を話せる女の人に出会いました。
どうやら、日本で働いていたことがあったらしく、ここに来て日本語で話せるなんて〜
とびっくりして、少し話していました。
話していると日本人男性の話になって、その人が言うには、日本人男性はひどいと主張していました。
愛してないのに結婚したり、それに家庭内暴力があったりすることが多いらしいです。

その時に、ふとその人が発した言葉が、
「愛がなくちゃいけない」
というものでした。
今でも、なぜか妙に印象に残っています。



今日は、僕が考える「愛」について話していきたいと思います。

「神は愛です」と聖書にあるので、神さまの愛を知っていくことが、真実の愛を知る近道なのでは
ないのでしょうか。(1コリント13章にも愛の定義について書いてあります。)

しかし、今日強調したいのは、愛とは意志を持って人を愛するということではないでしょうか。

イスラエルを自分の民として選んだ神さまは、なぜイスラエルを選んだのでしょうか。
それは次の通りです。

『主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、
あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。
事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。
しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに
誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、
奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。』申命記7:7−8


この神さまとイスラエルの関係はよく、聖書の中で夫と妻にたとえられます。
エレミヤ書では、夫である神さまが妻であったイスラエルに「帰ってきなさい」と言っています。

本題に戻ると、神さまがイスラエルを選んだのは、
イスラエルが特別強かったからでも、他の国より優れていたのではありませんでした。

神さまが選んだから、神の民となったのです。
あえて「なぜなら」という言葉を使うなら、
「神さまはイスラエルを選び、愛しました。なぜなら、神さまが選び、愛そうと決めたからです。」
と言えるのではないのでしょうか。

それは、人間の夫婦関係にもいえることでしょう。

ある説教者が言いました。
"Young couples say I love you Because,Because,Because...
But after ten years they will say I love you Despite,Despite,Despite..."


「若いカップルは言います。愛しているよ、なぜなら〜、なぜなら〜、なぜなら〜
しかし、十年も経つと、愛しているよ、〜だけど、〜だけど、〜だけどと言うようになる」


年を取ると自然に、肉体的な魅力はなくなっていき、自慢にしていた知性、
ウィットに富んだジョークも無くなっていくでしょう、
それらは神さまが、人間が楽しむためにあたえたものですが、永遠には続きません。
神さまの愛を見習いましょう。

イスラエルを愛しているのは、イスラエルがどのようであるからではありません。
愛すると決めたからです。

夫が妻を、妻が夫を愛するのは、「この人を愛する」と自分が意志をもって
決めたという事実に基づくべきです。そして、そのことに忠実であるべきです。

そうでなければ、「あなたが美しいから愛している」と言ったなら、
その人が年をとったり、事故に会ったりして、美しくなくなったらどうするのでしょうか。


聖書は特に、夫に対しての命令として、妻を自分のように愛しなさいと言っています。

私たち男が、キリストが教会に対してされたように、妻を愛しましょう!

近いうちにD・L・ムーディーの『喜びのおとずれ』の中の
「新生」の章を訳してこのブログに載せようかと思っています!

「新しく生まれること」とはどのようなことなのでしょうか。

『「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」』ヨハネ3:3


19世紀、アメリカで多くの讃美歌を作ったサンキーと一緒に彼は、
伝道しました。彼の集会にはいつもとても多くの人が集まりました。

彼は大学を出ておらず、教養があまりありません。言葉もあまり難しい言葉を使いません。
しかし、彼の説教は力があり、誰にでも分かり易いものです。

日本語に訳された本が全然無いので、自分で訳そうと決めました。
(英語で読める方はインターネットで彼の著作をたくさん読めます)



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