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私は1年半ほど前にクリスチャンになりました。
それは人生を変える大きな出来事で、今までとは全く違う自分になりました。
私の行っている教会は、単立の「アドラム福音教会」http://www.geocities.jp/afkyokai777/home
という兵庫県は西宮の甲子園にあります。
それまで、一般的な日本人の家庭に育ち、仏教でも、神道でも、キリスト教でもない普通の家庭でした。
両親もクリスチャンでもなく、教会に行き出したころは
「お金たくさん取られるんじゃないか」
とそのことばかり言ってきました。
私がキリスト教、聖書に出会ったのは高校3年生のころでした。
そのころは部活もレギュラーになれず楽しくなく、友達も少なく、ただ受験勉強をしなければいけないといった状態でした。
ついに引退試合の前に、部活を辞め、それによってまた一段と友達も減り、
何にたよって、何を目的に学校に来ているのだろうと考え始めていた頃でした。
そのとき英語の先生として来ていたオーストラリア人の先生と仲良くなりました。
もともと英語に興味もあったし、喋れたらかっこいいなといったぐらいの気持ちで、
よく二人で話していました。
いつのことかは覚えていませんが、彼は自分がクリスチャンだということを言いました。
「そうか〜外国人だからな」としか思いませんでしたが、
彼はそこから聖書のことを詳しく話してくれました。
彼によると、
私たちはひとりの神によって、目的を持って造られた者で、神は造られたときに「良かった」
といわれたと。しかし、人間が神にそむいて罪を犯し、神から意図的に離れたと。
そして日々犯している罪のために私たちは罪の裁きである、永遠の炎の中で永遠に苦しまなくてはいけない。
しかし、それで終わりではなくて、その滅びに至る人間を見た哀れみ深い神は、
そのひとり子で、人間でもあり、神でもあるイエス・キリストをこの世に遣わし、
彼を十字架にかけ、彼の上に私たちが受けるべき罪の刑罰を与えたと。
そして、もしその身代わりになったひとり子を信じるなら、私たちは永遠の命を得、
救われるということでした。
なんだか、惹かれるものはありましたが、神話的でもありました。
私の引っかかったのは、「初めに神が天と地を創造した」という聖書のはじまりの言葉でした。
いや、この世界は偶然に物質が何十、何百億年をかけて自ら発達してきたのだと思っていたからです。
→つづく
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