だいすけのおもいっきり聖書

「あなたは新しく生まれなければならない」

聖書ってどんな本?

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回想

今日はちょっと自分自身を振り返ってみたいと思います。

それは高校生が終わったか、終わっていないかのころです。

熱心に「真理」を探していた僕は、
聖書にかじりつきました。
なぜなら、この聖書を教えてくれた人の熱意が
今迄見たことのないものだったのと、
僕もこの中に「真理」があると思い始めたからです。

そして、まず「聖書全部を読んでみよう!」と考えました。

何を信じているかを知る前に、信じたくはなかったからです。
後から、こんなことが書いてあったなんて!とはなりたくなかったからです。

聖書を読み始めた僕は疑いでいっぱいでした。
「どこか矛盾しているところを見つけてやろう」

そして、さっそくある矛盾している箇所を発見したので、
それを聖書を紹介してくれた人に報告しました。

すると「そんな態度で読んでいてはだめだ」
といわれました。確かに僕はあら捜しをしていたのです。

そんなことがあってから、読み進めていくと、意外や意外。
自分の罪深いところ、神さまの清さ・恵み深さが分かったのです。

そうしているうちにその神に信頼を置いている自分を発見したのです。
「この神さまなら信頼できる」
と感じたのでしょうか。



つづく

ひとりごと

今日は風邪を引いてしまいました。
昨日急に寒くなった中で、友達と長くしゃべっていたからです。

やっぱり早く帰ったほうがよかったと反省しながら・・・

このごろよく思うことなのですが、
テレビやマスコミを見ているときりがないですね。

沢尻えりかやあれや、これや・・・

何とかしてマスメディアは人を惹きつけようとしています。
なんと時間を浪費するのでしょうか。
縛りつけようとしています。

そして、一番大切なものを見失わせようとしています。

それは・・・・

永遠の命です!!

なぜそれを求めないのですか?

誰でもいつかは死ぬんですよ??

死んでからどうなるかを考えませんか??

罪が残ったまま死んで、天国に行けるのでしょうか??

一番大切なことが何かを考えましょう!!

お金はこの世でしか使えません!!

論理的な聖書

イメージ 1

聖書はとても論理的です。
これでもかというくらいに多くの神の言葉を信じる根拠を
私たちに見せます。

まず、第一に
聖書の言葉は私たちの良心、道徳心にみごとに合致します。

『戒めはあなたもよく知っているはずです。『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。父と母を敬え。』」』ルカ18:18

これがイエスの言った言葉です。

皆が心の中で善いことを知っています。
なぜなら、

『律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。』ローマ2:15

とあるとおりです。

次に、神は神を信じる根拠として
非常に多くの預言を与えました。

『このことを思い出し、しっかりせよ。そむく者らよ。心に思い返せ。
遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。
わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる』と言う。』イザヤ46:8−10

例えばダニエル書では
バビロン、メディア・ペルシア、ギリシア、ローマ帝国の盛衰を
見事にそれが起こる前から予告しました。
そしてなんと言っても、救い主であるキリストについての預言です。
彼の生まれる地、生まれる時、その民族、その死に方などなど
ユダヤ教の聖典である旧約聖書において預言しました。
そしてそれらすべてが正確に成就したのです。

そして、最近では科学によっても神さまは御自身の力を示しています。

それは発達した科学によって、今迄は細かすぎて見えなかった
生き物の複雑性が明らかになったことによってです。

ダーウィンの時代にはまだ人々は動物の細胞はただのかたまり
としか考えていませんでした。
しかし、その細部まで観察できるようになり、
生物の基礎となる細胞さえ、ゴルジ体、細胞核、ミトコンドリア、小胞体など
多くの「機械」が組み込まれていて、
さらに遺伝子を司るDNAは複製を繰り返しているということも明らかになったのです。
そしてそのDNAも偶然に出来るようなものではなく、
膨大な情報が詰まっていることも・・・

これらの発見は生物が偶然に発生するという考えを打ち消します。
なぜなら、設計者がいると考えるのが論理的だからです。
あなたは家の庭を掘ってダイヤのついた指輪を見つけたら
どう推測しますか?
「何万年も、何億年もかかってダイヤが出来、
さらに偶然の結果、輪の形になった金属が
たまたまくっ付いたのだ!」とまず思うでしょうか?

いや「誰かがこれを埋めたのかな」と思うくらいでしょう。
なぜならその構造から人が作った物だと分かるからです。

同じように人間もそう見るべきではありませんか?


『「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。』
神さまはあなたを信じさせるために多くの証拠を出しています。
そして最終的な目的はこうです。

『「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。』イザヤ1:18

あなたと和解して、神との交わりを持つためなのです。
イエス・キリストはあなたのためにもう死なれました。

さあ何をためらっているのですか?
今あなたの救い主を心に受け入れませんか?

信じるとあなたは永遠の命を得、罪は清められ、神との交わりを持ちます。
それはとても喜ばしいものです。
言葉に尽くすことのできない喜びです。

聖書

今日は「キリスト信仰が聖書のみに基づくこと」と
「聖書の霊感」について書いていきたいと思います。

まず「聖書の霊感」について
第一に、
『…聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。』2テモテ3:15b−17

とあります。
もちろんこれが書かれたころにはまだ新約聖書は聖書と呼ばれて
なかったでしょうから、これは旧約聖書を指しています。
なので、旧約聖書はすべて神の霊感によるものなのです。

では使徒やキリストの弟子たちによって書かれた新約聖書はどうなのでしょうか?

パウロは手紙の中でこう言いました。
『もし、この手紙に書いた私たちの指示に従わない者があれば、そのような人には、特に注意を払い、交際しないようにしなさい。彼が恥じ入るようになるためです。』2テサロニケ3:14

この箇所は使徒たちの書いた手紙の権威を明らかに示しています。

まず使徒とは誰なのでしょうか?使徒の働きにこうあります。
『ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、
すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、
いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、
私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」』使徒1:21−22

ここから考えると復活のイエスに会った者、目撃者ということがいえるでしょう。
そして、この時点の12人以外は他の箇所で使徒とは呼ばれていません。
パウロは別です。彼は復活したイエスに会いました。ダマスコへ向かう道でです。
『そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。』1コリント15:8

そして
『使徒としてのしるしは、忍耐を尽くしてあなたがたの間で行なわれた、しるしと不思議と力あるわざです。』2コリント12:12
ともあります。

なので、先の12人とパウロ以外は使徒ではないことが分かります。

その使徒たちの時代から今ある新約聖書は神に導かれて書かれた物だということが認められていたのです。
初代教会、キリストの目撃者たちがそれを認めていたのです。
それは初代の教父たちが認めていたことからも分かります。
彼らの手紙に数多く神の言葉として引用されているからです。
(今手元には資料がないのでまた引用でも載せようと思います)

なので新約聖書は紀元300年ほどになるまで存在しなかったのでは
ないのです。

次に「キリスト信仰が聖書のみに基づくこと」については
多くの箇所がそれを証言しています。

『「呼ばわれ」と言う者の声がする。私は、「何と呼ばわりましょう」と答えた。「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。
主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。
草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」』イザヤ40:6-8

『するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」
それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。』ルカ24:25-27

最後に書かれた黙示録にも
『私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。』黙示録22:18-19

とあります。そしてさらに
『さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。』1コリント4:6

とあり、使徒たち(それにキリストが生きていたころの弟子たち)にはイエスは
『わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。』マタイ10:27

と言い、特権としては
『そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。』ルカ8:10
とも
『イエスは、このように多くのたとえで、彼らの聞く力に応じて、みことばを話された。
たとえによらないで話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた。』マルコ4:33-34

とあります。なので周りにいた群衆が知らない、理解していないことをその時の弟子たちはキリストから
直接説明されていたのです。
ここに私たちが始めの弟子の書いたものに従う理由があります。

しかし、今の教皇はどうなるのでしょうか?
ペテロを初代の教皇とし、そこから按手などによって受け継がれているという主張はどうなのでしょうか?
まず、その教皇権の根拠となっている箇所を見てみましょう。

『シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」』マタイ16:15-19

ここがカトリックが教皇権の根拠としている箇所でしょう。

私たちはペテロというのが岩という意味であるのを知っています。
そして、ペテロの上に教会を建て上げると解釈しています。
しかし原語はどうなのでしょうか?
「ペテロ」と「岩」というギリシア語は同じなのでしょうか?
まず「ペテロ」はPetrosという単語です。
そして「岩」はpetraという単語です。
前者は「小石」を意味しています。
後者は「絶壁、岩層」つまり「大きな岩」を意味しています。(Blue Letter Bibleより)

なので、ペテロのような「小石」の上に教会を建て上げるのではなくて、
「絶壁」のような大きな岩の上に教会を建て上げると言っているのです。
しかし、ラテン語ではこの二つの単語が同じものになってしまいました。
ギリシア語を見るとこれははっきりします。
それに多くの教皇はこの「岩」はペテロの信仰告白を示していると解釈しました。

次に、天の御国のかぎについてですが、
他の箇所でも同じことをイエスは弟子たちに言っています。
『まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。』マタイ18:18

なので、ペテロがあなたを破門すると言って天国に入ることを妨げることは出来ないのです。

話は変わりますが、今の教皇はペテロも拒否したことをしてしまっています。
ペテロがコルネリオの家に行ったとき、
『ペテロが着くと、コルネリオは出迎えて、彼の足もとにひれ伏して拝んだ。
するとペテロは彼を起こして、「お立ちなさい。私もひとりの人間です」と言った。』使徒10:25−26
今カトリック信者たちは教皇の前に来るとひざまずき、指輪にキスをしているではないですか!
ペテロならそのようなことはさせずに
「お立ちなさい。私もひとりの人間です」と言ったことでしょう。

最後に信仰が聖書以外に基づくことについて、その恐ろしさを強調したいと思います。

『私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。
しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。』ガラテヤ1:6-9

使徒たちがのべ伝えた福音が本当の福音です!
ガラテヤ人への手紙で言われているような律法主義は福音ではありません。ガラテヤ2:16

福音

いつまで神さまの呼びかけを無視するんですか?

罪をやめて、私に従い善を行えという呼びかけにいつになったら答えるのですか?

あなたの一番大切なことは何ですか?

趣味ですか?仕事ですか?家族ですか?
恋人ですか?自分自身ですか?
しかし、それらは永遠に続きますか?


あなたを造り、永遠に存在する神を信じ、彼と永遠との関係を持ちませんか?

あなたは神さまがいることを知っています。
なぜなら、神さまがあなたの心に神の律法を書いたことが分かるからです。

人を殺してはならない、うそをついてはならない、浮気をしてはならない、
盗んではならない、などのことは誰でも悪いと知っています。

それもこの世では完全に守られるわけではないのに、です。

この世では正義は果たされません。
完全な公平さ、公正はありえません。
しかし、私たちはそれを求めてやみません。
この矛盾はどうやって解決したら良いのでしょうか?

聖書は、私たちが死んだ後にそのひとりひとりの行いに応じて裁かれると言っています。

そのときに善を行った者はその報いを、
悪を行った者はその報いを受取るのです。

あなたはどちらですか?

実は、生まれながらの人間は全員後者です。
私たちは神さまの正しさを目の当たりにすると、立っていることができません。
聖書を読むと自分の罪深さが分かります。
私たちは自分の良心、道徳心にさえ満足に答えることができないのです。

私は罪人のかしらです。
私は神さまをずっと無視してきました。
夢という偶像を拝み、それを慕い続けました。
情欲、悪い欲に従い、他人を汚し、自分を汚しました。

しかし、私たちのためにイエス・キリストがほふられたのです。
私たちの罪が彼の上にかぶせられました。
彼が私たちの罪を負いました。
そして、彼自身が罪となりました。

私たちを造った神御自身が人間のために死を経験したのです。
罪の罰を受けました。
イエス・キリストが死んだ時、

『完了した。』

と言われました。
何が完了したのでしょうか?

罪の贖い、罪の問題が解決したのです。
あなたと神の関係はその一人子の血によって新しいものとなりました。

これは完全な恵みです。
あなたが受取れる最高のプレゼントです。

神さまと一緒に正しく、清い生活を送りたいと思う人に贈られています。

あなたは神さまの呼びかけにどう反応しますか?

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