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「あなたは罪人です!」
上の言葉を聞いてみなさんはどう思うでしょうか?
「そうだ、本当に自分は罪深くてだれにも許してもらう資格なんてない」
または、
「なんてことを言うんだ!私はあんなことやこんな善いことを行ってきたのだから、罪人のわけがない」
と言うかもしれません。
あるいは、
「そんなこと考えたことがない」
と言う人もいるでしょう。
聖書はどのように言っているのでしょうか。
『それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」』
そうです神の前に義(正しい)と認められるものはいないのです。わたしもそのひとりです。
人の前ではあなたの善い行いは非常にもてはやされ、好評を受けるかもしれません。
しかし、すべてを知っておられて、あなたの心のうちを知っておられえる神に対してはどうですか?
神さまの前に出て「私は潔白だ!」と言えますか。
あなたの隠れた行いを思い出してください。だれも見ていないところでしたあなたの悪行は、神にはしっかっかり見えています。
『わたしは近くにいれば、神なのか。−主の御告げ−
遠くにいれば、神ではないのか。
人が隠れた所に身を隠したら、
私は彼を見ることができないのか。−主の御告げ−
天にも地にも、私は満ちているではないか。−主の御告げ−』エレミヤ書23:23−24
あなたの犯した多くの罪はあなたの善行で、あなたの正しさで償うことは出来ません。
『私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。私たちはみな、木の葉のように枯れ、私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。』イザヤ書64:6
あなたの義(正しさ)は神の前には不潔な着物のようなのです。(原語は女の生理の時の着物のことです)
そのようなものを頼ることは到底できません。あなたにはそれが輝いた、金や銀の着物かもしれません。
わたしもそのことを実感させられました。わたしは信じる前は自分の行いによって、天国に行こうとしていました。
今日こそは悪いことをひとつもしないでおこう、と思っても出来ないのです。
物を盗みます。人を傷つけます。陰口を言います。心がよこしまです。
表にあらわれたものは私の内に何があるかを示します。
『また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。
内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、
姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、
これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」 』マルコ7:20−23
なんて私たちは汚れているのでしょうか。
そして、神はなんと見事にそのことを言い表しているのでしょうか。
これらのことは私たちがひとりひとり考えていることではないですか?
このような汚れたものが、神さまによって天国に入れるわけがありません。
なぜなら天国にはもはや、死も涙も苦しみもないからです。
しかし、神は義なる神であると同時に、恵み深い神なのです。
どうのように恵み深いのでしょうか?
「こんなふうにおれを罪定めして何が恵み深いんだ」
と思う方があるかもしれません。
しかし、もし、恵み深い王様がいたとして、
「わたしは恵み深いから、すべての殺人犯を釈放してやろう」
と言ったとします。果たしてそれは恵み深いのでしょうか?
解き放たれた殺人犯たちは何をするのでしょうか?
神さまはまず、正しいことは正しい。悪いことは悪いと言わなければなりません。
しかし、それで終わりではありません。
神は私たちが自分の罪深さのために、滅びるのをよしとせず、救いの道を与えたのです。
『すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。』ローマ人への手紙3:23−24
イエス・キリストとは神であり、人である方でした。
私たちの創造主がその造ったもののために苦しんで死んだのです。
「神なら痛みを感じないんじゃない」
という方がいるかもしれません。あいにくそうではなかったようです。
なぜなら、
『このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。』1ペテロ4:1
とあるからです。神が人となってこの世界に来たのです。
それも自分の力を自慢する、裁くためにではなく、苦しんで死ぬためにです。
それもあなたの罪のためにです。
あなたがその罪の裁きを受けないためにです。
あなたはこの救いを受取りますか?信じますか?
『御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。』ヨハネ3:36
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