だいすけのおもいっきり聖書

「あなたは新しく生まれなければならない」

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クリスマスに関して
モリエルミニストリーズにある記事を訳してみました。
http://www.moriel.org/news-and-events_australia.htm


※私自身この記事に100パーセント賛成ではありません。クリスマスを祝うこと自体は文化となっているので何も悪いことでもないと思っています。
しかし、それがどこから来たかを知ることは有益だと思ったのでこの記事を掲載しました。
その点注意してお読みください。


『クリスマスはキリスト教ですか?』

エル・デ・ウェット


私たちはクリスマスが何かを知っています。それは愛する者たちと過ごすときであり、家族や久しく会っ

ていない人たちと再会するときです。私たちにとってこの習慣は両親や祖父母から受け継いだものであ

り、もし愛する者や家族に会えなかったら、クリスマスがクリスマスでなくなってしまうと思うでしょ

う。逆にこの時期にとても寂しく感じたり、落ち込んでしまったりする人がいます。では、クリスマスの

起源をよく調べて、どこから来たものなのかを見てみましょう。クリスチャンはこの問題を真剣に考えな

くていいのでしょうか?神さまはクリスマスを喜んでおられるのでしょうか?私たちはイエスの誕生を祝

っているのでしょうか?聖書はクリスマスについてどう言っているのでしょうか?その答えは私たちの期

待にそぐわないものかもしれません―しかし私たちが真理を愛する者(2テサロニケ2章10節)であり、

またみことばを実行する者(ヤコブ1章22節)であるなら、(人のためではなく)力を尽くして万事をな

し神さまを喜ばせるべきです(ガラテヤ1章10節)


イギリス百科事典によると(15版、マクロパエディア、Vol4、pp499、「キリスト教」)以下抜粋『クリ

スマスはイエス・キリストの誕生を祝う祭り(といわれている)である。これはキリストが早く戻って来

ることの期待が失われてしまわないようにと、祝われるようになった。』聖書には私たちが主の現れを慕

うように書いてあります。


キリストの誕生日を12月25日に祝う習慣は、ペルシャからローマへと受け継がれました。ペルシャの光の

神である“ミトラ”が岩から生まれた日が12月25日なのです。ローマ帝国は異教の神々やカルトに関して

とても寛容であったことが知られており、キリスト教信者ではなかった3世紀の皇帝アウレリアヌス(A.

D.214−275)がその日を「不滅の太陽の日(Dies Invictr Solis)」として祭りを制定しました。


ミトラは太陽とミトラ教の化身であり、ミトラ教はローマ帝国においてアウレリアヌスとコンスタンティ

ヌスが最後の国教としたものです。コンスタンティヌスがキリスト教に改宗したとき、彼はローマ・カト

リック教会にその祭りを取り入れました(Del Re, 1979)。歴史家たちは、12月25日のクリスマスを祝う

ことは4世紀ごろ初めて行われたことに異議を唱えませんが、それはローマ帝国の中であっても、キリス

トの死から300年経過した後にしか認められないものとして意見が一致しています。教皇グレゴリー(54

0-604)が聖アウグスティヌスをアングロ・サクソン系のイングランドに宣教のため遣わしたとき、グレ

ゴリーは彼らにとって目新しく奇妙なキリスト教の儀式に、異教の儀式を取り入れるよう彼に命じまし

た。異教のもとで育った人たちはそれらに昔からに親しみを持っていたからです。例えば、聖アウグステ

ィヌスは改宗者たちに多くの雄牛を父なる神の栄光のために殺し、食べることを許したでしょう。それは

改宗する以前に彼らが神々の栄光のためにそうしていたからです(Walsh, 1970)。教皇グレゴリーがこ

のことを許したのは、改宗者たちが突然の変化に対応できないと考えたからです(Sansom, 1968)。


初期のキリスト者たちはクリスマスを祝っていませんでした。彼らの教えにおいても習慣においてもクリ

スマスを祝っていたということは全く認められません。実際、教父オリゲネス(AD 245)はキリストの誕

生を祝うことは異教徒のすることだと宣言しました。イギリス百科事典には、2世紀から3世紀の教父ア

レキサンドリアのクレメンスやオリゲネス、エピファニウスらはクリスマスは異教の祭りであると強固に

主張し始めたとあります(15版、マクロパエディア、Vol4、pp499「キリスト教」)。アルメニアとシリ

アのキリスト者たちは、キリストの誕生を12月25日に祝うことはローマ帝国の太陽礼拝であるとして非難

していました。この日にクリスマスを制定したことは万人に受け入れられた訳ではなかったのです。教皇

レオ1世(5世紀)はクリスマスにおける特定の儀式を廃止しようとしました。なぜなら、それが太陽礼

拝だと考えていたからです(Myers, 1972)。


初期のキリスト者たちは宗教的な人物の誕生日を祝うことは冒涜だと見なしていました。真に重要なこと

はこの世を出て、神を喜ばせる次の世に入ることだと信じていたのです。この考え方は聖書に適っている

ものです(例えば1コリント11章23節−26節、伝道者7章1節)。


その他、異教の習慣がクリスマスの中で今日多く行われています。以下にいくつかの例を挙げます。

12月25日から1月6日まで祝われるゲルマン的な十二夜は、神話的な自然の中にある力同士の戦い、冬(ア

イス・ジャイアントと呼ばれる)と太陽神(生命を象徴する)との戦いに基づいています。北半球ではそ

の日に冬至が訪れます。


北ヨーロッパでは、ノースマンのユールのお祝いは太陽のために行われます。12日間の終わりには太陽の

復活を後押しするために暖炉の火がたかれます。寺院や他の聖なる場所はヒイラギやツタ、月桂樹などで

飾られ、人々は祝ってお酒を飲みます。


ドルイド僧といって古代フランスやイギリス、アイルランドのケルト人の祭司をしていた者たちがいま

す。彼らは寺院をヤドリギの実で飾ります。ヤドリギの実はきよいと信じているからです。


ゲルマン人にとって樫の木は、戦いの神であるオーディーンのためにきよめられた木でした。それは8世

紀に聖ボニファニティウスがその木と、み子キリストをたたえた小さなもみの木(クリスマスツリー)と

代えるように促すまで、それがいけにえとして捧げられていました。ドイツ人移民がこの習慣をアメリカ

へもたらしたのです(Cowie and Gummer, 1979)。改宗者たちは太陽神(the sun god)の代わりに、神の

子(the Son of God)を拝むよう言われていたのですが、彼らはヒイラギやツタ、ヤドリギ、常緑樹を用い

た古い宗教の習慣をキリスト教に持ち込んだのです。


これは敬虔であること(2テモテ3章5節)現れではなく、真の敬虔と反していないでしょうか?神さまは

預言者エレミヤを通して(エレミヤ10章1節−5節)異邦人のしていることを行うなと警告されました。彼

らの習慣は―木を銀や金で飾るなどして―虚しいものだからです。旧約聖書で神は私たちの教訓としてイ

スラエルを用いました(1コリント10章11節)。それゆえ、私たちは注意し、その教訓に学ぼうではあり

ませんか。私たちはアブラハム、イサク、ヤコブの神を喜ばせるべきなのです。唯一の真実なる神に仕え

ると決めたなら、私たちは異邦人のならわしから離れるべきです(申命記18章9節−14節)。



サンタクロースは聖ニコラウスに由来しています。『この12月に祝われる聖徒は、一方で農神祭の半神で

あるサトゥルヌスと深い関係があるようだ(Walsh, 1970)。』また下の表1では父なる神とクリスマス

の父とが比べられています。


ローマ暦の新年(1月1日)には、家々は緑の草木や明かりで飾り付けられ、プレゼントが贈られました。

食べ物や交わり、ユールログ(クリスマス前夜に燃やす大薪)や、ユールケーキ、緑の草木、もみの木、

贈り物、クリスマスカードなどがこの祝祭を構成していました。常緑樹は春にもえ出る生命の象徴。明か

りは冬至の長い暗闇を払拭するため。ユールログは今年の残りの薪と共に火が付けられました。


これら多くの習慣はその存在の意義を失いましたが、迷信の中で受け継がれています。それらは幸運を呼

ぶ伝統になり、次第にはっきりとした根拠を持たない習慣となっています。


ローマでは農神祭の時期に贈り物が交換されました。その贈り物はろうそくや人形であって、サトゥルヌ

ス(農耕の神)へ捧げられていた人間のいけにえの名残でした。


もし、このような習慣が今日もキリスト教の名において行われているなら、私たちは異教と大して変わら

ないことをしているのではないでしょうか。

…(表のほうは割愛します)…


要約
真のキリスト教は聖書に基づいたもので、クリスチャンはみことばである聖書と離れてはいけません。聖

書のどこにもクリスマスを祝いなさいとは書かれていません。私たちは再臨のときまで、キリストの死を

祝えと言われましたが、誕生については言われませんでした。

クリスマスは異教に起源があり、それゆえ明らかにキリスト教のものではありません。クリスマスはロー

マ帝国でキリスト教に取り入れられた習慣であって、新しい改宗者を居ごこち良くさせるために古い伝統

を受け入れたものです。クリスマスは宗教的な儀式から始まったものですが、現代は世俗の観点からも気

に入られています。例えばアメリカでは「小売業者たちはクリスマス時期の売り上げを年間の50%に上る

と計算するようになっている。この商戦期間は370億ドルを国家経済にもたらし、アメリカのクリスマス

の売り上げはアイルランドのGNPよりも大きくなっている」(Sheler, 1996)。


まとめると、多くのクリスチャンがクリスマスが何に由来しているのかを知らずに祝っています。または

疑問を持ったことが無かったり、深く考えてみたことがないからです。この記事の目的は、クリスマスに

まつわるいくつかの事実とその起源を明らかにし、クリスマスについて考えてもらうことです。その意味

で「クリスマスはキリスト教ですか?」というタイトルになっています。さあ、正しい判断を下すのはあ

なた自身です―クリスマスはキリスト教ですか?

『箴言24章13節を開いてください。聖書はいつも他の聖書箇所によって解釈されなければいけません。そ

こで「わが子よ。蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。」とあります。蜜は甘

いのです。ここで、蜜についてのヘブライ的な考え方を理解しておきましょう。ヘブライ語で蜜をデヴァ

ッシュ(devash)といい、それは蜂を表わすデボラ(devorah)という言葉から来ています。デボラとい

う女の子の名前はヘブライ語で蜂という意味です。けれども神の言葉である聖書を表わすヘブライ語はデ

ヴァー(devar)といいます。神の言葉は甘いのです。黙示録の中で(またはエゼキエル3章で)、巻物は

口に甘く腹に苦いものでした。神の言葉は私たちの舌に甘いのです。それはいつも口に対して甘いにも関

わらず、腹には苦いものです。このことはとても興味深く、また励まされることです。しかし、私たちに

は責任があります。私たちはただ単に知識を増やすだけではなく、自分の生活を変える必要があるからで

す。口に甘く、腹に苦いのです。そうです、私たちは少しの蜜だけ好み、少しの苦味は嫌うのです。』

From Jacob Prasch's sermon
ジェイコブ・プラッシュの説教より

聖書時代の常識

聖書を読んでいると、ときどき「あれ、これって聖書の他の箇所に出てきたかな?」

と思う部分があります。当たり前のように、「〜のようである」と書いてあるからです。

その一例が、

『また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。』2テモテ3:8

でした。聖書の他の部分を探しても、ヤンネとヤンブロなんて出てきませんでした。

「ちょうどって書いてあるのに〜」と思いましたが、ある注解を読んでみると

「モーセの杖の奇跡を真似た、パロのふたりの魔術師」とありました。

なるほど!っと納得したのですが、

このごろ、このような聖書箇所が多いことに気づきました。

『また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。』ルカ13:4

『その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう。』 ゼカリヤ12:11

どのようなことなのか、聖書にないので分かりません!誰か教えてください!

斜めに育つ子供

イメージ 1

「これからの子供たちはどうなっていくんだ!」

これが私がクリスチャンになってから、日本人の一般的な子供を見たときの
感想でした。

クリスチャンになるまで、聖書を読み始めるまで、別に何も思わなかったのですが、

子供をしつけていない親が大変多いということに気づきました。



ある日、電車に乗っていると、
小学生低学年の子供ふたり、その母親、おばあちゃんなどが座っていました。
その子供たちは結構うるさくしており、そのおばあちゃんはそれを気にしていました。
そして、おばあちゃんは「ちょっと静かにしようね」と注意しました。
そうすると、子供たちは「おばあちゃんあっち行ってください〜」と半分ふざけて言いました。
驚いたのは、それを見ていた母親が何も言わなかったことです。
そして、子供たちの態度はエスカレートし、
「ばばあ、あっちいって〜」となりました。
それでも母親はとがめることなく、気にもしていませんでした。
このような子供が成長したら、どんな反抗的な大人になるのでしょうか。
親や祖母への尊敬など、全然ありません。
それは教えられていないからです。


イスラエル民族に対して語られた律法の中では、こう語られています。
『かたくなで、逆らう子がおり、父の言うことも、母の言うことも聞かず、父母に懲らしめられても、父母に従わないときは、
その父と母は、彼を捕らえ、町の門にいる町の長老たちのところへその子を連れて行き、
町の長老たちに、「私たちのこの息子は、かたくなで、逆らいます。私たちの言うことを聞きません。放蕩して、大酒飲みです」と言いなさい。
町の人はみな、彼を石で打ちなさい。彼は死ななければならない。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。イスラエルがみな、聞いて恐れるために。』申命記21:18-21

神さまのしつけに関しての態度は、非常に厳しいものです。
クリスチャンはもちろんこの理由で子供を死刑にはしませんが、
旧約聖書での死刑は、新約での交わりから絶たれることです。
なぜ神さまがこんなに厳しかったかと言うと、親を尊敬するということが
そのまま神さまを尊敬するということにつながるからです。
親を幼いうちに尊敬することを覚えると、後に神さまを尊敬することも比較的やさしく
できるでしょう。

私はまだ自分の子供を持っているわけではないので、わからないことが多いのですが、
子供を持つ前に聖書という正しい指針を持つことが出来て嬉しく思っています。
それに、自分の牧師に三人の幼い子供がいて、しつけをまじかで見ているので、
そこからも神の言葉が真実だと再確認しました。

箴言は「しつけ」について多くの部分を割いています。

『知恵のある子は父の訓戒に従い、あざける者は叱責を聞かない。』13:1
『むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。』13:24
『望みのあるうちに、自分の子を懲らしめよ。しかし、殺す気を起こしてはならない。』19:18
『あざける者を打て。そうすれば、わきまえのない者は利口になる。悟りのある者を責めよ。そうすれば、彼は知識をわきまえる。父に乱暴し、母を追い出す者は、恥を見、はずかしめを受ける子である。』
19:25-26
『若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。』22:6
『愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。』22:15
『子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。
あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。』23:13-14
『むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。』29:15
『あなたの子を懲らせ。そうすれば、彼はあなたを安らかにし、あなたの心に喜びを与える。』29:17


また、電車の中での話しですが、今度は私立のちょっとよさげな小学校から
一緒に帰ってきたような子供と母親がいました。
入ってきたときにもう子供はぐずぐずしていたのですが、
その時に言った言葉が、
「お母さんのバカ」でした。
その言葉には驚きました。そして、それに対して何も叱らない母親にもびっくりしました。
おそらく、叱るのは父親の役目と思っている母親が多いのでしょうか。
しかし、両親の間で態度が一貫していなければ、何が悪いことかが分からないのではないでしょうか。
親はその時に感情的に怒っていたから叱るのではなく、
子供のすることが悪かったから叱るべきです。
そのときに、子供は何が悪いか何が正しいかを知るのではないのでしょうか。
親が感情によって叱っていると悟ると、子供は揺れ動く親の感情を基準に
何をするかを決めるでしょう。

子供がまっすぐ育つか、それとも曲がって育つかは「主にあるしつけ」にかかっているのです!
この上の画像のように、斜めに育ってしまわないようにしましょう!

レビヤタン サタン

『あなたは釣り針でレビヤタンを釣り上げることができるか。輪繩でその舌を押さえつけることができる
か。

あなたは葦をその鼻に通すことができるか。鉤をそのあごに突き通すことができるか。

これがあなたに、しきりに哀願し、優しいことばで、あなたに語りかけるだろうか。

これがあなたと契約を結び、あなたはこれを捕らえていつまでも奴隷とすることができようか。

あなたは鳥と戯れるようにこれと戯れ、あなたの娘たちのためにこれをつなぐことができるか。

漁師仲間はこれを売りに出し、商人たちの間でこれを分けるだろうか。

あなたはもりでその皮を、やすでその頭を十分に突くことができようか。

その上にあなたの手を置いてみよ。その戦いを思い出して、二度と手を出すな。

見よ。その望みは裏切られる。それを見ただけで投げ倒されるではないか。

これを起こすほどの狂った者はいない。だから、だれがいったい、わたしの前に立つことができよう。』ヨブ41:1-10


みなさんはこれをどのような動物だったと思われるでしょうか。

ワニ?恐竜?それともほかの何か?

ワニであるはずはありません。明らかに描写がワニではないからです。

どんな動物にしても神様が造った最強の動物だと言うことができるでしょう。

人間よりもはるかに強いのです。

それを見ただけで投げ倒されると書いてあります。

もっとこのレビヤタンについての描写は続きますが、ずっとその強さについてです。

聖書の他の箇所ではこれを竜や蛇と呼んでいます。

『その日、主は、鋭い大きな強い剣で、逃げ惑う蛇レビヤタン、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、海にいる竜を殺される。』イザヤ27:1

この前後のを読めばわかることですが、この前の箇所では、将来起るべき携挙(空に携え挙げられること2テサロニケ)について書いています。

黙示録では、聖徒たちが救い出された後に神の怒りが悪魔とその使いたちに下るとあります。

聖霊に導かれたイザヤはそれをレビヤタンと呼んでいるのです!

ヨブ記でのレビヤタンの描写をさらに見てみると、

『だれがわたしにささげたのか、わたしが報いなければならないほどに。天の下にあるものはみな、わた

しのものだ。

わたしは彼のおしゃべりと、雄弁と、美辞麗句に黙っていることはできない。

だれがその外套をはぎ取ることができるか。だれがその胸当ての折り目の間に、入れるか。

だれがその顔の戸をあけることができるか。その歯の回りは恐ろしい。

その背は並んだ盾、封印したように堅く閉じている。

一つ一つぴったりついて、風もその間を通らない。

互いにくっつき合い、堅くついて離せない。

そのくしゃみはいなずまを放ち、その目は暁のまぶたのようだ。

その口からは、たいまつが燃え出し、火花を散らす。

その鼻からは煙が出て、煮え立つかまや、燃える葦のようだ。

その息は炭火をおこし、その口から炎が出る。

その首には力が宿り、その前には恐れが踊る。』ヨブ41:11-22

『地の上には、これと似たものはなく、恐れを知らないものとして造られた。
それは、すべて高いものを見おろし、それは、すべての誇り高い獣の王である。』ヨブ41:33-34

そうです、イザヤはサタン(悪魔)をレビヤタンと重ねているのです。

これほど、サタンは圧倒的に人間よりも強いのです。

たまに「サタンよ!出て行け!」というようなフレーズを聞くことがありますが、

サタンは私たちよりも何倍も強いのです。

その誘惑の力も恐るべきものです。私も何度も何度も誘惑に負けます。

普段は自分は口が良い方だと思っていたのですが、一旦状況が変ったり、何かに急いでいる状態になるとすぐいらいらして悪い言葉を出してしまいます。なんと弱いのでしょうか。

また、聖書を知っているふりをして、知らないことさえもあたかも知っているように喋ってしまうのです!
頭だけで聖書を理解しているが、心の中、生活で実践出来ていないのです!

堕落した肉、そしてサタンの誘惑が罪に引き込むのです。

こんな哀れな私を助けてください!



そして、サタンは決して醜い容姿をしていません!

『あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、わたしはあなたを地に投げ出し、王たちの前に見せものとした。』エゼキエル28:17

目を奪うほどに美しいのです!そのために彼(サタン)は高ぶり堕落したのです。

私たちは使徒たちと同じように皆が皆悪霊を追い出す力を持ってはいません。

それに彼らはサタンを根絶することなどできませんでした。

しかし、私たちが無力でも神はその上にいます。

『これを起こすほどの狂った者はいない。だから、だれがいったい、わたしの前に立つことができよう。』ヨブ41:10

私たちの問題点は神さまの強さ・大きさを知っていないことです。サタンが強ければ強いほど、全ての物の創造主である神ははるかに力強いのです。

私たちよりもサタンは遥かに強い、しかし、神はそのサタンよりも遥かに強いお方である。

どうかその強い王に弱い私たちを守ってくださるように祈り求めようではありませんか!

キリストと共に十字架にかかってもはや罪に対して死んだ者であることを認めようではありませんか!

私たちは罪は犯しますが、それに支配されることはないと書かれてあります!ローマ6:14

正しい自分の地位を聖書によって確認し、ますますイエスに似せられたいものです!

神さま、こんな私を哀れんでください!

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