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愛を感じる?エイズ委員会の前で手を取り合いながら
「キス」の冗談を交わすリック・ウォレンとエルトン・ジョン
2015年5月12日
ヒーザー・クラーク(Heather Clark)著 christiannews.net
ワシントン――何かと物議を醸すメガチャーチのリック・ウォレンが、水曜日またひと騒動起こした。エイズ基金に関する聴聞会にてスピーチをする(同性愛者である歌手)エルトン・ジョンと手を取り合いながら、二人がキスをするとどうなるかとして冗談で言った一言だ。
「(もし二人がキスをすれば)世界中に知れ渡るキスになるだろう」
写真には証人席に座りながら、手を取り合い、笑いながらジョンに気を付けるようにというリック・ウォレンが写っている。今回のニュースはアメリカ中のクリスチャンに懸念を引き起こしている。
「マリリン・モンローよりも多くのカツラとドレスを着るエルトン・ジョンがこう言うのは納得できるが、リック・ウォレンは仮にもイエス・キリストの奉仕者と名乗っている者だ」と書くのはNow the End Beginsのジェフリー・グライダー(Geoffrey Grider)。
「これはエルトン・ジョンにだけでなく、議会全体に新生しなければ悪魔のいる地獄に行くと愛と憐れみをもって言う絶好の機会であるのに、リック・ウォレンはこのゲイの男性と手を取り合い、二人のキスについてジョークを交わしている」
リック・ウォレンは約2万人のメンバーを抱えるサドルバック教会の指導者、またベストセラーになった『人生を導く5つの法則』で知られている。エルトン・ジョンは言わずと知れた『キャンドル・イン・ザ・ウィンド』、『ロケットマン』、また「ライオン・キング」の『愛を感じて』で世界的に有名な歌手だ。また彼は男性であるパートナー、デイビッド・ファーニッシュ(David Furnish)と同性婚をしたことでも知られている。
同性愛行為を罪だと語るリック・ウォレンは、過去に同性愛に関するコメントで懸念を引き起こしている。彼は救われる条件として、同性愛行為の悔い改めを挙げていない。
以前報道されたように、2012年ハフィントン・ポストでのマーク・レイモントの「同性愛者は地獄に行くか」という質問に関して、リック・ウォレンはそうではないと語っている。
「ゲイであるから地獄に行くのではない。神の恵みを退ける選択をするから人々は地獄に行く」
同性愛者の人がイエスを受け入れるとどうなるかと聞かれた際、リック・ウォレンは「もちろん天国に行くよ。間違いなく」と熱心に語っている。
リック・ウォレンはまた、結婚を一人の男性と一人の女性に限定しようとしたカリフォルニア州法を支持する目的で撮影したビデオを「撮るべきではなかった」として後悔の念を示している。そのビデオが国への忠告と取られたためだ。
「自分がプライベートで語ったことが何でも公になることが分かった。『おっちょっと待てよ、世界全体に言っていることになる』という失敗によって学ばされた」
「もうあのようなことは再びしない」とリック・ウォレンは語る。「私はあのようなコメントをもうしないだろう。私は牧師の義務として、自分のメンバーたちに語りかけたかっただけだ。私は自分に託されている人たちだけに責任があるのであって、全ての人に対してではない。私の牧会のもとに来る人、そして私に質問を聞く人に関して私は責任がある」
ローマ・カトリックとクリスチャンとの結合に関しても、過去に何度も懸念が上がっている。リック・ウォレンは、バチカンにて開かれた「男性と女性の補い合う関係」と題されたインターフェイス(信仰を問わない)コンファレンスに出席した。
彼はその中で「(カトリックとプロテスタントは)分裂する要素よりも、はるかに多くの結合する要素を持っている」とカトリック・ニュース・サービスで放送されたビデオで語っている。
翻訳情報源:
コメント:
このようなニュースは日本では出回らないだろうと思って、翻訳しました。
英語であれば沢山の情報があり、本なら本の著者がどんな人であるかを知ってからその本を買うか判断することができます。ですが日本語での情報が少ない中、僕たち日本のクリスチャンは海外から入ってきたものを無警戒で取り入れてしまいます。 この記事を翻訳したのは、ただリック・ウォレンという個人を攻撃したいからではありません。僕たちは多くの間違いを犯しますが、それが個人的なものな場合と、公に行なわれた場合では度合いが違います。この場合は後者で、公に自分の立場を示そうとしてリック・ウォレンは行動しています。過去にエルトン・ジョンがイエスのことを「憐れみ深く、超頭が良くて、人間の問題を理解していたゲイだ」(http://www.theguardian.com/music/2010/feb/19/elton-john-jesus-gay)と語ったことを考えても、今回の行動は牧師としてのリック・ウォレンに大きな疑問を投げかけるものだと思います。彼は何を発信したかったのでしょうか。 もちろん、イエスさまは罪人たちと食事を共にしましたが(マタイ9章、マルコ2章)、同性愛者とキスしたらどうなるかという話をしたなんて、想像もできないことです。逆にどちらの箇所でも取税所で座っていたマタイ(レビ)は古い生活を捨てて、立ち上がってイエスさまに従っています。
プロテスタントで福音主義だと思われていた指導者たちが、間違った教え、間違った行動に陥ってしまっています。僕たちも同じ罪に陥らないように気を付けて、このような曲がった時代に惑わされないようにしましょう。
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終わりの日
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ブライアン・ヒューストン:
「イスラム教徒とあなたたち、私たちは実は同じ神を崇めている」
Hillsong Church Watch より
ヒルソングのワーシップミュージックはクリスチャンの世界で非常に有名になっている。だがヒルソングはどの神を拝み、どの神に仕えているのだろうか。あなたの教会はヒルソングのワーシップソングを使っていますか?讃美歌と比べるとヒルソングの歌は、たいてい内容があいまいで、聖書からの言葉が不足していないだろうか。
ごく最近、ブライアン・ヒューストンは、クリスチャンとイスラム教徒らが同じ神に仕えていると語った。ビデオは以下。
「あなたは神をどう見ていますか?砂漠には二種類の鳥がいます。ハゲワシとハチドリです。一方は死体、腐った肉を食べていて、もう一方は砂漠にある特定の花から甘い蜜を吸って生きています。同じ砂漠において、どちらもが必要なものを見つけられるのです。
ご存知ですか。旧約聖書に戻れば私たちとあなた、私たちは実際同じ神に仕えているのですよ(原文:we actually serve [現在形] the same God.)。イスラム教徒にとってはアッラーであり、私たちにとっては父なる神アッバです。もちろんこの見方は歴史を通して大きく変わってきました。ですが、私たちはイエスさまの目を通して神を見ることに心がけましょう。主イエス・キリストの恵み、救い主の美しさ、愛なる神の大きく開かれた愛の腕を通して、神を見るのです。そうすれば私たちは進み出ることが出来、リーダーシップにおいて目的を持ち、主イエスが御霊の力によっていつもなされているように、人々を引きつけることができるのです」
ブライアン・ヒューストン自身が語るように、彼が本当にキリスト教の福音を語っているなら、イスラム教とキリスト教の信仰は相容れないことが分かるだろう。だが彼がキリスト教の福音を語れないことは明らかだ。彼は福音が何かを知らないからだ。ブライアン・ヒューストンのコメントはクリスチャンに対してでなく、イスラム教徒に対しても同じくらい不快なものだ。そしてどちらの信仰に対しても不用意に損害を与えている。
<省略>
キリスト教指導者と教会は立ち上がって、この危険な運動について警告すべきだ。
だいすけのコメント
以前、リック・ウォレンがイスラム教の神をキリスト教の神と同一視しているという記事を訳しました。
(関連記事)
同じようなことがヒルソングでも教えられているようです。非常に残念ですが、はっきりと間違っているとしか言いようがありません。
以下に御子イエスを否定する、コーランからの引用を載せていきます。(コーラン全体を通読したところ、19箇所ありました。引用元は『コーラン』井筒俊彦訳・岩波文庫)
1. 『これ啓典の民よ、汝ら、宗教上のことで度を過してはならぬぞ。アッラーに関しては真理ならぬことを一ことも言うてはならぬぞ。よくきけ、救い主イーサー、マルヤムの息子はただのアッラーの使徒であるにすぎぬ。また(アッラー)がマルヤムに託された御言葉であり、(アッラー)から発した霊力にすぎぬ(神でもないし、「神の独り子」でもない)。されば汝ら、アッラーとその(遣わし給うた)使徒たちを信ぜよ。決して「三」などと言うてはならぬぞ(三位一体の否定)。差し控えよ。その方が身のためにもなる。アッラーはただ独りの神にましますぞ。ああ勿体ない、神に息子があるとは何事ぞ。』p.168(上),
2. 『「神はすなわちマルヤム(マリア)の子メシアである」などと言う者ども(キリスト教徒を指す)はまぎれもない邪宗の徒。』p.177(上)
3. 『「ウザイル(エズラ)は神の子」とユダヤ人は言い、「メシアは神の子」とキリスト教徒は言う。どうせ昔の無信仰者どもの口真似をして、あんなことを口先で言っているにすぎぬ。えい、いっそアッラーが彼らを一気に撃ち殺し給えばいいのに。』p.306(上)
4. 『また、「アッラーは御子を作りなされた」などと称するやから(キリスト教徒を指す)にも警告させ給うた。彼らは実はなにもわかってはいない。彼らの父祖たちもそうであった。まことに、なんという恐ろしい言葉を口に出すものか。彼らの言うことはことごとく真赤な虚偽。』 p.133(中),
5. 『「アッラーが子を生された」とは。まことに、ひどい嘘をつくもの。』p.51(下)
6. 『ああ仰げば高き主の御稜威よ、我らが主には妻もなければ子供もない。』p.276(下)
聖書
「御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は」詩篇2篇12節
「偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです」1ヨハネ2章22節
私たちはどちらの神を選ぶべきでしょうか。もちろん、聖書の神です。違う神に仕えると生活の実、永遠の行き先も自ずと違ってきてしまいます。
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以前から、存在自体は知っていましたが、最近オメガバイブルスタディーのパンフレットを手に取りました。
スティーブンス栄子さんという方が、黙示録を教えているということは知っていましたが、
どんな内容を教えているのか、具体的なことは知りませんでした。
今回はそのオメガバイブルスタディーについて書いていきます。
オメガバイブルスタディーさんのニュースレターの今回のテーマは
「キリストの花嫁」でした。そして興味深いユダヤ人の婚礼のしきたりが書かれていました。
それ自体に特に異論はありません。
ですが、次のように書いてあったので、驚きました。
(以下『オメガバイブルスタディー ニュースレター 2014年1月号』より)
「婚礼
「御使いは私に『小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい』と言い、また、『これは神の真実のことばです』と言った(黙示19:9)」と記されています。婚姻と婚宴は別です。
キリストと教会の婚宴は地上で行われます。婚姻は天国で行われ、その後、キリストはご再臨されます。その時、「……すべての聖徒たちも主とともに来る(ゼカリヤ14:5)」と書かれていますから、花嫁は主と共に地上に到来します。
またこの時、大戦争がありますが、聖徒たちは戦いません。
(省略)
これらの戦いが終わり、神殿と土地の清めが終わると、第一の復活があります。旧約の聖徒たち(ダニエル12:2)や、患難時代の聖徒たち(20:4)の復活があります、これは地上で起こる第一の復活で、教会の携挙とは時間も場所も違います。
(省略)
「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ」と言っているのは、メシア王国(千年王国)に到達した者すべてが招かれるのではなく、花婿の友人が招かれるのです。それは第一の復活にあずかっている、旧約の聖徒たちと患難時代の聖徒たちです。」
文意からは、第一の復活にあずかるのは「旧約の聖徒たちと患難時代の聖徒たち」だけと読み取れます。
とすれば、大きな問題があります。
●新約時代の異邦人クリスチャンは第一の復活ではよみがえらない
現代に生きる日本人クリスチャンの皆さん、この教えによると第一の復活にあずかれないのですよ!
この教えは正しいのでしょうか?
それではここからは主に黙示録20章のからどのような人が、千年王国に入るかを見てみましょう。
「また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は幸いな(makarios)者、聖なる(hagios)者である。この人々に対しては、第二の死(ho thanatos ho deuteros)は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司(hiereus)となり、キリストとともに、千年の間王となる(basileuo)。」黙示録20:1−6
ここに第一の復活にあずかり、千年王国に入る人たちについてヒントが与えられています。
その前に、このニュースレターの背後にあるのは、ディスペンセーション主義で、「ユダヤ人たちだけが患難時代を通るという」前提のもと書かれていることが分かります。
さて、オメガバイブルスタディーの教えでは、第一の復活にあずかるのが「旧約の聖徒たちと患難時代の聖徒たち」だとありますが、彼らだけでなく、新約の私たち異邦人クリスチャンも当然あずかります。それでは説明します。
●幸いな(makarios)
この言葉、マカリオスという言葉は有名な箇所で使われています。
○「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
○悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
○柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
○義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
○あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」(マタイ5:3−7)
もうここまで来るとお気づきだと思いますが、これは山上の説教です。
ギリシア語では冒頭部分がいつも「マカリオイ ホイ」で始まります。
マカリオイはマカリオスの複数形です。ホイは定冠詞「ホ」の複数形です。
どなたか山上の説教は「ユダヤ人だけに対してものだ」と考える人はいますか??
マカリオスが使われている次の箇所はより明白です。
○ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。」それでは、この幸い(makarismos)は、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。(ローマ4:6−9a)
もちろん、この答えは「この幸いは割礼をうけた者(ユダヤ人)だけに与えられるのではない」です。
異邦人信者も信仰によってユダヤ人と同じように義と認められます。
●聖なる(hagios)
この言葉は以前にも検証しましたが、この言葉は「聖徒」と同じで、ローマにいるクリスチャンにも、コリントにいるクリスチャンにも、エペソにいるクリスチャンにも、ピリピにいるクリスチャンにも、コロサイにいるクリスチャンにも、ヘブル人のクリスチャンに対しても使われています。
もちろん、異邦人クリスチャンをも含んでいる単語です。
●第二の死(ho thanatos ho deuteros)
本文には「この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない」とあります。ということは、第一の復活にあずからなかった人には第二の死が力を持っているということになります。ごくシンプルな論理です。
この同じ「第二の死」という言葉が次の二箇所で使われています。
○「また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:11−15)
○「しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である」(黙示録21:8)
この箇所で分かることは、第二の死を受ける者はいのちの書に名が記されておらず、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者などであるということです。
とすると、第一の復活にあずからなければ助からない、言いかえると第二の死を受ければ助からないことが明らかではないでしょうか。そのため第一の復活にあずからない人は永遠に滅びます。
●祭司(hiereus)
ヒエルースと読みますが、第一の復活にあずかる者は千年王国で「祭司となった」とこの箇所にはあります。
それではここで質問ですが、千年王国で祭司となるのはユダヤ人だけなのでしょうか?
「それはそうだろう」「そうかもしれない」と思われた方は次の箇所をしっかり確認してください。
○彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」(黙示録5:9−10)
もちろん、この箇所の文脈はほふられた小羊、イエス・キリストについてです。
よく見てください、あらゆる部族、国語、民族、国民とあるではありませんか!
それゆえ、第一の復活にあずかり、千年王国において王・祭司となるのはユダヤ人信者だけでなく、異邦人信者も含まれていることが明確に分かります。
結論
以前、黙示録20章の千年王国の箇所を読んだ時に、僕も
「第一の復活にあずかるには、殉教するか、獣のしるしを拒む必要があるんだ」と思っていました。
ですが、それは究極的な信仰の証拠であって、すべての救われた信者を含んでいるのは当然です。
またもうひとつの問題は、
「大艱難時代を通り、獣の刻印に出会うのはユダヤ人信者だけだ」という教えです。
先に黙示録5章で、千年王国にて王となり祭司となるのはあらゆる人種の人たちだと見ました。
その同じ人たちに関して黙示録20章では、「獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たち」(黙示録20:4)と定義があります。それゆえ、ユダヤ人信者だけでなく、私たち異邦人信者も獣の刻印を目の当たりにするということが分かります。
僕は決して獣の刻印を見たい、患難を経験したいわけではありません。全くその反対です。
ですが、「来るべきものに自分たちは関係が無い」という教えがあるから心配なのです。
私たちはイスラエルに接ぎ木され、アブラハムの子となり、同じ第一の復活を味わいます。そして第二の死を逃れます。私たちも婚宴に招かれているのです。
終末論では、携挙のタイミングなど、細かな点について多くの意見の違いがあるでしょう。
ですが、「第一の復活」にあずかるのは「旧約の聖徒たちと患難時代の聖徒たち」だけというように表現するのはよくありません。あたかも僕たちが第一の復活にあずかれないようにです。
聖書解釈法に関していえば、多くのクリスチャンが同じことを語っている「関連個所(並行箇所)」に注目することなく、二つ、三つの箇所から神学を作り出してしまっています。「みことばのすべてはまことです」とあるように(詩篇119:160)、みことばの総体が真理です。
黙示録20:1−6の本文の解釈に関して、「間違っている」と思われる方はコメント欄にお書き下さい。
その際は、理由と根拠を(できればギリシア語本文から)示してください。
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主の日に何が起こるのか 「パルーシア」と「エピスナゴゲー」
前回の記事で終末論、携挙の話が出てきましたので、
聖書が明らかにしていることと、聖書の学び方について書いていきます。
この記事がどなたかの益になれば、幸いです。
第二テサロニケの箇所です。
「さて兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストが再び来られること(パルーシア:παρουσία)と、私たちが主のみもとに集められること(エピスナゴゲー:ἐπισυναγωγή )に関して、あなたがたにお願いすることがあります。霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。」2テサロニケ2:1−3
【二つのギリシャ語】
今回、この記事を読んだ後でも、覚えていてもらいたいギリシャ語は
「パルーシア:παρουσία」と「エピスナゴゲー:ἐπισυναγωγή 」です。
日本語だけで言うと、「(主が)来られること」と「みもとに集められること」です。
キリスト教用語に直してみると、「主の到来または再臨」と「携挙」です。
そしてこの箇所から分かることはそのふたつ、「再臨」と「携挙」が「主の日」に起こるということです。これが本文、文脈からはっきり見てとれる事実です。
そして「主の日」は多くの旧約聖書の箇所で書かれているように、
「全能者から破壊が来る」(イザヤ13:6)、「諸国の民の終わりの時」(エゼキエル30:3)、「あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に返る」(オバデヤ15)という時です。
それゆえ、神の最後の怒りが来るまさにその瞬間に、再臨が起こり、携挙が起こるということが分かります。
ですが、それだけではありません。
このふたつのギリシャ語を調べることによって、またヘブライ語の同義語を調べることによって、携挙の性質がより明らかになってきます。
【「エピスナゴゲー」=携挙】
「エピスナゴゲー」=「周りに集まること」という名詞自体は、聖書で二度しか登場しません。
上記の箇所と、もうひとつの箇所はヘブル人への手紙10:25です。
「ある人々のように、いっしょに集まること(ἐπισυναγωγή )をやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか」
まさに、私たちが今教会において主の名によって集まること、そのことが携挙と同じ性質を持っています。
今、信者同士で集まることを好んでいるなら、最終的に集められる時にも喜びがあるでしょう。
でも、今信者同士で集まることを嫌っているなら、最終的に集められるのですから、携挙を嫌っているのと同じです。何らかの信者の交わりに定期的に参加していないということは、何か問題がある証拠だと思います。
エピスナゴゲーの動詞は「エピスナゴー:ἐπισυνάγω」です。
ここまでくるとお気づきかもしれないし、どこかで聞いたことがあるかもしれませんが、このエピスナゴゲーやエピスナゴーという言葉からユダヤ教の会堂「シナゴーグ」が来ています。
ともあれ、この動詞は、名詞に比べて多く登場し、13回登場します。
そして、その箇所を見ていくと、携挙の理解がより深まります。
□ マタイ23:37 「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集める(ἐπισυνάγω)ように、あなたの子らを幾たび集めよう(ἐπισυνάγω)としたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった」
イエスさまはエルサレムの子らを携挙するように、集めることを望んでいました。
□ マタイ24:31 「人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます(ἐπισυνάγω)」
これが携挙です。
□ マルコ13:26−27 「そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます(ἐπισυνάγω)」
【「カバツ(קָבַץ)」=集める】
上記のギリシャ語「エピスナゴー」の、ヘブライ語の同義語は「カバツ(קָבַץ)」です。
この「カバツ」という言葉から、イスラエルの集団農場「キブツ、キブツィーム」という言葉が来ています。
その言葉が登場する箇所を見てみると興味深いものです。
間接的にですが、携挙の性質を教えてくれています。
□ 申命記30:3 「あなたの神、主は、あなたの繁栄を元どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める(קָבַץ)」
□ ネヘミヤ1:9 「あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行なうなら、たとい、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め(קָבַץ)、わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所に、彼らを連れて来る』と」
□ 詩篇106:47 「私たちの神、主よ。私たちをお救いください。国々から私たちを集めてください(קָבַץ)。あなたの聖なる御名に感謝し、あなたの誉れを勝ち誇るために」
□ 詩篇107:2−3 「主に贖われた者はこのように言え。主は彼らを敵の手から贖い、彼らを国々から、東から、西から、北から、南から、集められた(קָבַץ)」
□ イザヤ11:12 「主は、国々のために旗を揚げ、イスラエルの散らされた者を取り集め、ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる(קָבַץ)」
これ以外にも、多くの箇所が携挙について教えています。ぜひご自身で調べてみてください。
(ストロングスナンバー…カバツ:H 6908、エピスナゴー:G 1996 左の原語ナンバーをアルファベットも含めて、http://gengodekensaku.com/#の検索の欄に入れて調べてみてください)
【それから分かること】
ご自身で調べてもらえば、分かるのが、携挙はただ新約聖書で突然登場する考えではないということです。
聖書の他のテーマも同じですが、旧約・新約を通して何度も何度も繰り返されています。
僕たちは終末論について論じたり、考えたりするときもこれを頭に入れておくべきです。
特に黙示録を読むと、頭は黙示録だけにいってしまい、あれこれ分からないパーツをくっつけようとしてしまいます。大きな誤解の発端は、黙示録を黙示録だけで解釈しようとしてしまっている点です。
みなさんも、お気づきだと思いますが、黙示録は旧約聖書を本当に多く間接的に引用しています。
僕の教会の宣教師が言っていましたが、黙示録はパズルの最後のピースのようです。
ともあれ、重要なことは「携挙」について考えるときにテサロニケの手紙や黙示録だけ読んで結論づけてしまうのではなく、「エピスナゴー」も「カバツ」も登場する箇所すべてを調べ、総合的にみることができてから、その上で黙示録を見てみると、理解ができるということなのです。
【ジェイコブ・プラッシュの新著】
ジェイコブがまさにこのような「携挙」のテーマについての本を来年2014年に出版するようなので、楽しみにしていてください。英語が読める方は、モリエル日本からでもお送りできると思います。
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