だいすけのおもいっきり聖書

「あなたは新しく生まれなければならない」

終わりの日

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これが世です!終わりの日は確かに近い。


「世界初」新首相に同性愛者=社民同盟と緑の党が連立−アイスランド
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/iceland/?1233538660


ヨハンナ・シグルザルドッティルという66歳の女性が、世界で始めて自分を同性愛者として公表した指導者という記事!

聖書には何と書いてあるのか
人の子の日(主の日・終わりの日)はどのようになるかと弟子たちに聞かれたイエスは


『また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。』(ルカ17:28−30)

ではロトの時代とは?ロトの住んでいた場所とは?

ソドム!!!


ふたりの御使いがソドムに来たとき

『彼らが床につかないうちに、町の者たち、ソドムの人々が、若い者から年寄りまで、すべての人が、町の隅々から来て、その家を取り囲んだ。そしてロトに向かって叫んで言った。「今夜おまえのところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」』(創世記19:4−5)

「知りたい」この言葉は「ヤダー」といって、アダムがエバを”知った”すなわち性的な関係を持ったときに使われた言葉。(創世記4:1)だから知ることとは性的に交わること。

彼らの言っていたのは、だから同性愛者が言うようなこと。

神さまのみこころに著しく反したこと。性的に知ること。


イエスは終わりの時代の特徴について、ロトの時代のようになると言われました。
それが明らかに今迫ってきているのではないでしょうか。
終わりの時代になると同性愛者が受け入れられる。


日本でも”IKKO”や”おねえまんず”、椿姫彩菜、はるな愛と呼ばれる人たちがおおぴろげにテレビに出て、

20年前や30年前では考えられなかったような状態になっている。

それを見続けて笑っている子どもたちはどうなってしまうのだろうか。


生物学的にも人間の性は男と女しかいない。(遺伝子学を学んだわけではありませんが、性を決定する遺伝子はそうころころ変わるものではないと思います)

体は女でも心は男ですか?ありえない。それはこの世が堕落して、ストレスを増やし、あらゆるわがままをゆるしている証拠。





人ではなく、聖書自身はその問題についてどう言っていますか?


自由で愛があればいいのですか?


それが自然の理に反していても。神の意思に反していても。


ローマのポンペイは同性愛者が増えてきて、性的に堕落したときに火山が噴火し
町全体が灰の中に閉じ込められた。それは今の時代への警告ではないですか?


ローマ帝国を含む多くの帝国が滅びるときも、性的な乱れが横行していた。
神さまはこの時代を裁かれるのではないですか??


しかし、なぜそんなことにこだわるのかと言った声もあるだろう(クリスチャンの間でも)。


性的な関係は、神殿と大祭司、教会とイエスの姿を表しているからだ。

旧約の時代、唯一至聖所に入ることができたのは、年に一度の贖いの日のきよめられた大祭司。
それ以外の人が違うときに入ってしまうと、それは反キリストとなる。

また教会とイエスは、花嫁と花婿として結ばれるべき存在。


最初の人間は、アダムとエバ。
マダムとエバではない。



終わりの時代にあってクリスチャンは何をすべきか。


1.福音を伝えながら、自分自身をきよく保つ。そのために祈る。

2.世の汚れから兄弟たちを助ける。また、世の人に対してその堕落をはっきりとしめす。警告すること。

これらのことが求められているのではないでしょうか。


『だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。』マタイ24:42

The Voice of the Martyrs(殉教者の声)より

http://www.persecution.com/topStory_indiaOrissaPersecution.html



インド − オリッサ州7万人ものクリスチャンが追放される

オリッサ州にて迫害されている信者を支援しているVOM情報筋は、7万人ものクリスチャンが追放され、難民キャンプに住むことを余儀なくされていると伝えた。

「ペイトン・サヒにある救護施設ではのべ35家族、130もの散り散りになった部族が暮らし、サランガダで50人の子供を孤児院で養っていたチャビラ・ナイクは、自分たちの家と教会が(火で)焼き払われた後、3日間を森の中で過ごした。彼は今でも子どもたちと再会できていない」VOM情報筋は語る。

オリッサで迫害されている信者の状況は悲痛なものだ。毛沢東主義者による著名なヒンドゥー教徒の殺害の後、8月24日に起こった襲撃のためにクリスチャンたちは森に数日逃げ込まなければならなかった。VOM情報筋は付け加えて「名前は公表したくはないという家族が、カンドマル(Kandhmal)を60時間かけて雨と暗闇の中抜け出そうとしたときに、年を取った母親をジャングルに残していかなければならなかったと告白した」と伝えた。

「そうするしかなかったのです。妻と二人の子供を助けるか、母親と一緒にいて皆が死んでしまうかあなたならどちらを選ぶでしょう。しかし、私は神が母親を救ってくださったことを確信しています。今どこにいるかは分かりませんが」とこの男性は涙を流しながらVOM情報筋に語った。

VOMはオリッサで追放された信者を援助し、またインドで迫害が広がっている地域を支援している。このような極度の困難に直面し、家族とも連絡が取れないような信者たちのために祈ってください。神が彼らを守ってくださって、必要を満たしてくださるように求めてください。彼らの証によって未信者が引き寄せられ、彼らと交わりを持つことを祈り求めてください。


→以上私訳



『牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。』ヘブル13:3

リック・ウォレンの「人生を導く五つの目的」が有名になってから、
多くの人がその本を読んでいると思います。
しかし、彼は本当に聖書の言葉に堅く立っているのでしょうか?

以下はワシントンポストに掲載されたリック・ウォレンとのインタビューの記事
http://newsweek.washingtonpost.com/onfaith/eboo_patel/2008/09/rick_warren_interfaith_activis.html

それを一部載せているところを訳しました。
http://www.understandthetimes.org/inthenews/39_owr.shtml

Understand the timeとは、クリスチャンが聖書に立ち返るように間違ったものを見分けるために、いろいろな警告を出しているサイト(団体)です。





UTT(Understand the time)からのコメント

異なる宗教の融和―リック・ウォレンの掲げる三本柱の三つ目の柱は、その名にふさわしいものだ。さまざまな宗教と“キリスト教”が特定の目的のために協力すれば、キリストの名のもとにひとつの世界宗教が成り立つのもそう遠くはない。

9月29日 リック・ウォレン 異宗教の融和主義者

記事:世界宗教

リック・ウォレンの挑戦しようとしていることには賛否両論が挙がっている―というのは中絶賛成派のオバマ議員を、明確な意見を持った中絶反対派たちがいるエイズ集会に招いていたりするからだ。ウォレンが手をつけているもうひとつのことは、宗教の多様性というとらえどころの無く、しかし同時に深い問題である。

先週行われたCGI(クリントン・グローバル・イニシアティブ)において、“キリスト教会”は貧困をどのように扱うべき問題なのかと尋ねられ、ウォレンは世界中の仏教徒やヒンドゥー教徒、ムスリムやキリスト教徒たちの総人口を(この順番で)口早に話し、「信仰の部門が望ましい発展の三つ目の柱であること」を公共部門と民間部門が真剣に考えるようにと促した。

ウォレンは常に宗教は複数であるべきだと確信を持っている。「モスクや寺院、教会など」が発展途上国にとっては地域生活の中心であると彼は語る。世界中には莫大な数の信仰を持った人がいる。病院や銀行、学校が無いところにさえ、礼拝の家はたくさんあるのだと言い、この信仰の人たちは発展計画のために、手や足となるべく訓練することが出来る。また、その礼拝の家は病院や銀行、学校として十二分に使用されることも可能であると彼は強調する。

これはアメリカの福音的な文化に対して大きな転換となるものだ―他の信仰を持った人を、回心しなければならない失われた魂とする従来の考えから、世界をより思いやりがあって、正しいものにするべく手を取り合う者という考えに変わるからである。ジム・ウォーリスやブライアン・マクラレン、トニー・カンポロら“進歩的福音派”は、長らく異宗教の融和に取り組んできたが、福音派の主流はずっと慎重であった。それが変わっていくこともあり得ることだろう。

そのアプローチの仕方にはアメリカ人の実用主義が最適だ。この明確なビジョンを持った指導者は、世界を変革するために可能な限りのパートナーたちと関係を持つ。

ウォレンにムスリム(イスラム教徒)について何か立派だと思うことはありますかと聞くと、彼はためらいなしに、あなたたちは神について話すことを怖がらないでしょうと微笑んで答えた。いつも“神のご意思のままに”や“神の祝福がありますように”、“神に感謝”というような言葉を使います。それが私の尊敬するところであって、私も同じ場所から来たのですからと語った。…




聖書のことば

『それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、

感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。

彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、

滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。』ローマ1:21−23


『偶像に仕える者、むなしいものを誇りとする者は、みな恥を見よう。

すべての神々よ。主にひれ伏せ。』詩篇97:7


『不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。

正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。

光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。』2コリント6:14

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今日書くのは、いのちのことば社発行の月刊「いのちのことば」の記事について


これから書くことは、僕自身がいのちのことばに大変感謝していて、主の働きの多くを担っておられるいのちのことば社に対してだからこそ、これはどうなんだろうということを書きます。

なので、ただ単に批判とだけ受取らずに、ひとつのいのちのことば社の購買者クリスチャンの意見として読んでください。


何を書きたいかというと、その月刊「いのちのことば」10月号においてのある記事のこと

以下抜粋

「●旧約物語文は何「でない」か ○隠された意味に富む寓話ではない
 物語文が、元々の聞き手に意味のわかるストーリーとして書かれたのは事実としても、歴史における神のみわざを記した物語ゆえ、その目的に沿って読む際に必ずしもわかりやすくはなし。行間を読みすぎる危険と常に背中合わせで、聖書が沈黙していることを無理に知ろうとすれば、こじつけ解釈に陥ります。
 その極端な例が寓喩的解釈で、アブラハムのしもべによるイサクの嫁捜し(創世二四章)を、聖霊(しもべ)を通して花嫁(リベカ、教会)を捜す花婿(イサク、キリスト)のアレゴリーと読むのは、明らかに不適切です。」(関野祐二 聖契神学校校長 p20より)

果たして関野さんがおっしゃることは事実なのでしょうか?


聖書自体を見てみると事実に反していることが分かります。


『律法の下にいたいと思う人たちは、私に答えてください。
あなたがたは律法の言うことを聞かないのですか。
そこには、アブラハムにふたりの子があって、ひとりは女奴隷から、
ひとりは自由の女から生まれた、と書かれています。女奴隷の子は肉によって生まれ、
自由の女の子は約束によって生まれたのです。このことには比喩があります。
この女たちは二つの契約です。一つはシナイ山から出ており、奴隷となる子を産みます。
その女はハガルです。このハガルは、アラビヤにあるシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、彼女はその子どもたちとともに奴隷だからです。しかし、上にあるエルサレムは自由であり、私たちの母です。』(ガラテヤ4:21−26)

パウロはミドラッシュという方法を用いて旧約聖書を解釈し、西洋では用いないような考え方をしていました。日本人が旧約のサラとハガルの話だけを読んで、それが二つの契約を表していると気付くことは容易ではありません。

しかし、パウロやイエス・キリストは同じように旧約聖書を解釈し、ぶどう園はイスラエルの象徴、海は国々の象徴、花嫁は教会の象徴、花婿はキリストの象徴として描いています。

この関野さんの考えはなぜそうなるかというと、聖書がユダヤ人的な書物であることを忘れているからです。

ラビの文献を読むと旧約聖書の中の象徴を的確に解釈しています。

そして、新旧両方をもって示された象徴の意味を自分で、聖書に基づいて解釈することは何の問題でもあません。

プロテスタントの神学校では「ひとつの聖書箇所に対しての適用はたくさんあるが、解釈はひとつしかない」また「聖書が明らかにしていること以外は解釈してはいけない」と教えているようです。

この教えが、一般の信徒を聖書から遠ざけ、牧師に解釈を聞かないと何も分からないような状況に至らしているのではないでしょうか。

イサクとしもべ、リベカの話は実に的確にキリストと聖霊、花嫁なる教会を示しています。


しもべは言いました。

『ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。
この町の人々の娘たちが、水を汲みに出てまいりましょう。
私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください』と言い、
その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、
その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。
このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」 』(創世記24:13−14)


聖書の中で泉から出てくる水は聖霊を象徴しています。

『さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。
イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。 』(ヨハネ7:37−39)
これはユダヤ人の習慣、シムカ・ベイト・ハショイバーといって、シロアムの池から汲んできた水を神殿の丘から流す儀式をしているその時でした。

アブラハムのしもべは、泉から水を飲ませてくれる娘が定められた者だと知っていたのです。

心の奥底から御霊があふれ出る教会こそが、キリストの花嫁になるにふさわしいのです。


ところで、この関野さんの意見がどう問題なのかというと、

信者をますます旧約聖書から遠ざけているようにしか思えないのです。
旧約聖書には私たちの通読を妨げるように、レビ記や申命記など律法がたくさん書かれています。

それらは私たちには関係が無いのでしょうか???

いや、神のことばである聖書に無駄な部分はありません。

それではただ単に歴史として読むべきなのでしょうか???

これが大半のクリスチャンのしていることであって、こうしてどうなるんだという気持ちで読んでいる人が多いことでしょう。


旧約聖書は正確な歴史を記しています。その上で象徴によって新約聖書の内容も伝えています。


つまり、実際その時代その場所に実際にアブラハムとイサクとしもべ、リベカが存在していて、
その実際の出来事を通して神さまは新約の時代の私たちにも教えようとされています。


もちろん、それはその象徴に教えが基づくという意味ではありません。


例えば、イスラムはイエス・キリストは死ななかった。なぜなら、アブラハムがイサクを山にいけにえとして連れて行ったときにイサクは死なず、代わりに雄羊がほふられたから。といった理由付けをします。

いや、象徴は新約聖書に書かれてあるはっきりとした教えの上に理解されるべきであって、象徴をもとに教えを作るのではありません。それはグノーシス主義であり、オリゲネスなどのアレキサンドリア学派です。


●聖書の深みを理解するために

はっきりと新約聖書に書かれた教理を保ちながら、旧約聖書に頻繁に使用される象徴を解釈すること
その際、ヘブライ的・ユダヤ人的な考えを持って読み解く。
それは死海文書や新約聖書の解釈にあるものであり、こじつけ解釈ではない。
プロテスタントはカトリックの間違った象徴解釈に反対して、象徴的に解釈するのを極端に避けた。
本当は西洋や17世紀プロテスタントの考えではなく、一世紀ユダヤ人クリスチャンの読み方をすべき。
私たちは教会の根であるイスラエル(国家ではない)につながっていなければならない。



終わりに

今回意見をここに書いたのは、いのちのことば社に感謝していて、お世話になっているからであって、少しでも貢献できることはないかと思って書きました。
みことばが私たちにとって力のあるものになることを願います!

僕はエキュメニズム(教会統一運動)に反対しています。

なぜかというと、まず、そのエキュメニズムの中心となっているのがローマ・カトリックであること。

ローマ・カトリックはイエスの十字架の犠牲が、罪を贖うのに十分と考えず、毎週のミサではカルバリと同じようないけにえが何度もささげられている、(ウエハースが奇跡的にイエスの体になると考えている)

聖書は確かにいろんな場所でイエスは一度だけ死んだと教えている→『民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。』ヘブル7:27

また、エキュメニズムに反対する理由とは、神に規模は関係が無いということがある。

神は民の数を数えたダビデを裁き、多くの民を従えていたギデオンの兵士を減らし、イエスやバプテスマのヨハネはわざわざ人が遠のいていくこと(わたしがいのちのパンであるなど)を言った。(実際多くの者がその言葉のために去った)

そして、またエキュメニズムは無千年王国説か後千年王国説に陥っている。無千年王国とは文字通り、黙示録に書かれているサタンが縛られる千年の期間は無いと考えるもの、また後千年王国とは今現在が千年王国であり教会が勝利を得るときだとする考え。

なので、後千年王国説を信じていると、教会のすべきことはこの世の金融機関、政治を支配してこの世に神の国を建て上げようとする。


それは全く間違っていて、イエスはピラトに「わたしの国はこの世のものではありません」と言い、弟子たちに対しても、「あなたがたは知らなくてもよいのです」と言われた。

それに、イエスは「自分の十字架を負いわたしについて来なさい」と言われた。「あなたは王さまの子どもなんだから、神さまは金持ちになってほしい」という繁栄の福音は聖書の福音ではありません。

使徒たちの時代の教会制度を見ても、教会全体のリーダーもそれをまとめる必要性も説かれていない。



しかし、この世と教会はエキュメニズムを進めていくでしょう。そして、おそらくローマ・カトリックの法王がリーダーとなり、世界的な教会を作るということは聖書も預言している通りです。

また、法王が聖書の言う、反キリストになる可能性はとても高く、

聖書を知っているクリスチャンはその運動に、反対すべきだと思います。

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