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イスラエル考古学

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イスラエル考古学の最新のニュースです!

「これまでで最大の発見のひとつ」と呼ばれるものが、エルサレムで発掘されました。

歴史が徐々に明らかになり、聖書の記述の確かさが証明されていきます。

日本語に訳したのはこれが最初だと思うので、読んでみてください。





エルサレムにおける最古の文書記録の発見


「エルサレムポスト」(2010/7/12)

考古学者が紀元前14世紀の破片を発掘



『ヘブライ大学が最近、紀元前14世紀に遡る粘土製の破片を発掘し、エルサレムで発見された中で最も古い文書記録だといわれている。

その小さな破片はたったの2センチ×2.8センチで、表面の部分は1センチにすぎない。厚い部分はより大きな碑文の一部であったことを思わせる。考古学者たちはこの古代の破片により、ダビデ王に征服されるよりはるか以前、エルサレムが青銅時代後期において主要な都市であったという重要性を証言していると語る。

この非常に小さな破片には、古代のくさび形の記号により書かれたアッカド語が含まれている。研究者たちは、記号がただ「あなた」や「あなたは」、「彼ら」、「すること」、「後に」などの言葉を単に含んでいるだけで、大して重要でないように思えるとする一方、その文章の質の高さが非常に高い技術を持った書記によって書かれたことを示していると語る。もしそうならば、この破片はかつて王室の一部であった碑文に書かれたものであるかもしれない。

この発見は、旧都の南側の壁とダビデの町の間に位置するオフェルという場所で取られた盛り土から発見された。オフェルでの発掘はヘブライ大学考古学部のエイラット・マザール博士によって行われ、ニューヨークのダニエル・ミンツやメレディス・バークマンら米の寄附者によって資金が提供されている。

マザールによると、この破片はオフェル発掘中のウェット・シフティング(水を用いたふるい分け)で1カ月半前に発見されたもので、今週になって報道陣に明らかにされたのはこの発見の詳細が確かなものとなるように、破片の分析が終わるまで待ちたいと研究者たちが考えたからだ。

このオフェル破片の以前にエルサレムにおいて発見されていた最古の文章の一部は、ダビデの町にあるシロアハの池で発掘された碑文であり、紀元前8世紀に遡るもので、オフェルでの発見より600年“若い”ものだった。

アッシリア学の学者であるヘブライ大学教授ウェイン・ホロウィッツは元大学院生であるタカヨシ・オシマ博士の協力のもとその文字の解読を行った。ホロウィッツが言うには、文字はそこから文脈が測れないほど崩れているが、文章の質が何らかの作者の由来を示していると語る。

「私たちが分かるのは、この破片がとても良い文字で書かれ、碑文は非常にまとまって構成されているということ。このことが示しているのは、この碑文の作成を任された人が第一級の書記であったということだ。

この時代において第一級の書記が見いだせるのはただ大きくて、重要な場所に限られる」と彼は語る。

ホロウィッツによるとこの碑文断片の高い質は、エルサレムの当時の王からエジプトのファラオに送られたメッセージの一部である可能性が高いという。

この破片がエルサレムの粘土で出来ていることから、ホロウィッツはエルサレムが当時、中心的な都市のひとつであったと語る。

「これはエルサレムが偏狭な田舎ではなく、その地域の主要都市であったことを示している」と彼は語る。

マザールはその破片を「今までで最も重要な発見のひとつ」と呼び、これをきっかけに大きな発見が続くことを願っていると語った。

「この小ささの断片がそれだけで転がっていたわけがない。このような断片がたくさんあるはずだ」と彼女は語る。

2月、マザールによって率いられたヘブライ大学のオフェル区域での発掘は、ソロモン王と第一神殿に遡る約3千年前の石の古代要塞を発見した。

長さ70メートル、高さ6メートルの壁は、当時のエルサレムに大きな規模の要塞を建設することのできる労働力と資源を保持していた、強大な中央政府があったことを示していると考古学者たちは語る。』


(訳:だいすけ)


バビロンの遺跡

保護と利益の間で引き裂かれるバビロンの遺跡


『エルサレムポスト (2010/5/7)』より



遺跡には大きく盛り上がった丘が多く、町の95%が未だに未発掘のままとされている


『イラク、バビロン――イラクの古代の都市バビロン遺跡を修復しようとする米国支援の計画が、遺跡の保存かお金儲けどちらが優先事項かと論争するイラク高官たちのために脅かされている。

現地の役人たちは迅速に崩れかけている遺跡を修復し、客を集めるためにレストランやギフトショップを開きたい一方、バグダッドの考古学局員たちは過去に行われ、装飾が過度で失敗した修復の二の舞を避けるため、より綿密な修復作業を好んでいる。

空中庭園とバベルの塔で有名な数千年前の遺跡は過去数十年間にわたってひどく損傷を受けてきた。イラクの緑豊かな南部奥地で、発掘された神殿と宮殿群の大半は1980年代に以前の支配者であったサダム・フセインによって再建され、塔の建造物を建築するために現代の黄色のレンガが使用されたが、それが本来の壊れやすい日干しレンガの残存部分を台無しにしてしまった。2003年のサダム・フセインの失脚後、遺跡に居を構えた米国の軍事基地がさらなる損傷を加えた。

この遺跡は大きく盛り上がった丘で占められており、それらが95%の未発掘の町を覆っているとみられ――考古学者たちは徐々にそれらが発掘されることを望んでいる。

彼らが議論しているのが、それを実現するためには、遺跡管理と保護計画を書かせるためにイラク人を訓練するような、時間がかかり、細部まで行き届いた仕事が必要であるということ、またそれが国際的な資金を募集し、ユネスコ世界遺産の地位を獲得するに至るということだ。

2年間の計画のため70万ドル(約7千万円)が米国務省によって提供され、ニューヨークに拠点を置く世界文化遺産基金による計画が昨年から開始され、それが成功するなら、バビロン計画は、都市文明の誕生を目撃するこの国での古代遺跡保護のモデルとなるだろう。

「バビロンで行われていることは適切で、科学的段階にのっとっているので私は楽観的だ。万事うまくいけば、バビロンでの働きが新しい展望を開いてくれるだろう」とイラクの貧しい考古学局代表クアス・フセイン・ラシッドは語る。

紀元前3千年期に基礎が築かれたバビロンは、パリのルーブル博物館に飾られている法律の石板で有名なハンムラビ王の下、約4千年前に勢力を現した。それに続く時代にその町は征服、破壊、再建を数回繰り返し、紀元600年にネブカドネザル王のもと、25万人を誇る世界最大の都市となる。

ネブカドネザルは、世界の七不思議のひとつ、空中庭園をホームシックに陥った妻のために建造した。彼はまたイスラエルからユダヤ人を捕囚にし、ユダヤ・キリスト教の伝統の中でぬれ衣を着せられ、それ以降その町の名は罪と同義語となった。

遺跡の状態を受けて、世界文化遺産基金は計画を拡大し、即時修復の必要がある二つの遺跡を修復するため米国に100万ドル(約1億円)を求めている。2500年前のナブ・シャ・ハーレ神殿と、かつてネブカドネザルの町の主要な入口であった歴史価値の高いイシュタル門の一部だ。

その荒廃した遺跡の中で、神殿にはアーチ状の部屋と、神々への祭壇をたたえる中庭があり、最も見込みが持てるものとなっている。

「この神殿が最も本来の構造を保っている」と計画管理者のジェフリー・アレンが説明する。「新バニロニア期からの物としては、ほぼ完全な神殿という珍しい事例だ」

しかし1980年代に建造された日干しレンガの上のしっくいははがれ落ち、ある箇所では現代に付け加えられた建築材の重さで古代の壁が引きはがされている。シロアリに侵食された木製の梁も同様に崩壊しており、天井の一部を陥落させ、壁の下部は近隣の農耕による増水によって浸食されている。

45フィート(13.7メートル)のイシュタル門の基礎は今も荘厳で、竜や雄牛などの装飾を施されたレンガで建造されている。セメントの床が1980年代に敷設されたが地下水を門の壁まで押し出してしまい、レンガを崩壊させ、下部の浮き彫りにされた動物たちを台無しにしている。

バビロンは昨年再び公に開放されたが、わずかばかりの訪問者がいただけで、そのほとんどが地元の住民であった。遺跡は2005年までアメリカとポーランドの軍事基地であり、2009年のユネスコの報告書では軍事基地が重機で遺跡に損傷を与えていると非難した。

しかしアレンやその他遺跡を研究する者にとって、サダム・フセインの統治時代からの損傷のほうがはるかに深刻だ。

イラクの昔の栄光ある王たちと自身を関連付けようとしたサダム・フセインは、自身の国の遺跡再建を命じた。ネブカドネザルの南の宮殿には今、現代の黄色いレンガでそびえ立つ壁があり、その多くにサダムの名が刻印されている。その宮殿と近くの再建されたギリシア式円形競技場は以前、毎年恒例の音楽祭を祝うために使用されていた。

その作業は「多くの失敗をかかえながら、大急ぎで行われた」とバビロンで10年間働く現場の副管理長アイード・ガーリブ・アルタイエは語る。

現在周辺地域は安全で、地方高官たちは訪問者が――お金を持って――この遺跡に再び訪れてくれることを切に願っている。バビリの知事は早急な修復を促し、さらなる研究のためには待てないとしている。

「私たちは遺跡での作業ペースに満足はしていない。それは全くもって考古学委員会で軽視されている」と地方議会のメンバーであり、考古学・観光委員会の代表でもあるマンソール・アル・マナエは語る。

すでにこの地方自治体は遺跡の一部を接収し、現代の建造物のいくつかを訪問者のための施設へと改装し、1990年代にサダム・フセインが建てた丘の上から遺跡を見降ろす宮殿の所有権を主張している。

「私たちはレストランやその他の呼び物を作るため、投資を呼び込む最大限の努力をしている」とアル・マナエは語り、遺跡のことを「地方と国に対する大きな収入源」と語った。

この行政官は1月、考古学局に隠れてユネスコに接触し、バビロンにおける作業を共同で行う手紙にまでサインした。しかしバグダッド行政はその手紙を取り消した、と政府考古学局代表ラシッドは語る。

この国が衝突の年月を経て次第に治安を回復し始め、旅行客はイラクの豊かな歴史に魅かれ、ポツポツとウルのジッグラトや、聖書の族長アブラハムの生誕の地、それに南部まで足を向けている。

バビロンでツアーガイドを数十年しているモハマド・タヘルは1970年代から1980年代に西洋の旅行者がバベルの塔の遺跡にやって来て――残されているのが正方形の形をした草でいっぱいのただの丘であっても――聖書の重要性を祝うために式典を行っていたのを覚えているという。

世界文化遺産基金のアレンは、綿密な計画を作製するために今立ち止まることは、後に国際的な寄附者を呼び寄せることになると主張する。

「そのような問題を解決するまで、新しい発掘は前に進めない」とアレンは語る。しかし一旦解決されたなら、「いつの日か素晴らしい遺跡となり、大きな可能性を持つこととなる」』(訳:だいすけ)








『バビロンの中から逃げ、それぞれ自分のいのちを救え。バビロンの咎のために断ち滅ぼされるな。これこそ、主の復讐の時、報いを主が返される。バビロンは主の御手にある金の杯。すべての国々はこれに酔い、国々はそのぶどう酒を飲んで、酔いしれた。たちまち、バビロンは倒れて砕かれた。このために泣きわめけ。その痛みのために乳香を取れ。あるいはいやされるかもしれない。私たちは、バビロンをいやそうとしたのに、それはいやされなかった。私たちはこれを見捨てて、おのおの自分の国へ帰ろう。バビロンへの罰は、天に達し、大空まで上ったからだ。主は、私たちの正義の主張を明らかにされた。来たれ。私たちはシオンで、私たちの神、主のみわざを語ろう。』エレミヤ51:6−10


バビロンはメディア・ペルシャ帝国を用いて、神に滅ぼされました。
その滅ぼされた遺跡を今でも見ることができます。歴史的事実です。

聖書の中でバビロンは何度も現れるテーマで、創世記から黙示録まで聖書を通して登場します。

ハバクク書に現れる「カルデヤ人」もバビロンの別称です。
そのハバクク書を注解した書「ハバクク書註解」というものが1947年に発見された死海文書の中に含まれていました。死海文書の聖書解釈法は新約聖書と非常に似通っています(紀元前2世紀からほぼ同時期に書かれた)。

その書にこうあります。

なぜなら、見よ、わたしは興すカルデヤ人を。この国民は、たけく、はげしい。
この意味は、キッティームにかかわる。』(『復刻 死海文書』p.212)


キッティームとは、「ローマ」であると多くの学者が考えています。

何を言っているかというと、死海文書は過去のバビロン捕囚の出来事が、これから起こるローマの侵略を象徴していると注解していたのです。
同じように、新約聖書にも「バビロンにいる婦人たちによろしく」とペテロが書いています。(1ペテロ5:13)また黙示録に登場するバビロンには7つの山があると書いてあります(黙示録17:9)。ちょうどローマにも7つの丘があります。

言いかえるとバビロンは終わりまで存在し、新約聖書の記者たちはローマが次のバビロンであると認識していたということです。


『私たちは、バビロンをいやそうとしたのに、それはいやされなかった。』これはちょうどマルティン・ルターたち宗教改革者たちの経験したことではないでしょうか。
ローマ・カトリックをいやそうとしたけれども、結果はどうなったでしょう?
『私たちはこれを見捨てて、おのおの自分の国へ帰ろう。バビロンへの罰は、天に達し、大空まで上ったからだ。』
この通り、バビロンから出ていきました。

バビロンは過去に裁かれ、これからも裁かれる対象です。
私たちがバビロンの遺跡の栄華を見るとき、黙示録で言われているように同じような光景が繰り返されるということを覚えておきたいものです。


わざわいが来た。わざわいが来た。麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた大きな都よ。あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。』黙示録18:16−17



この世のどんなきらびやかな物でも過ぎ去ります。
ですが、来るべき次の世に希望を持てるクリスチャンは何と幸いなことでしょうか。ハレルヤ。
イスラエルでは現在でも発掘によって、聖書の記述が確かめられ続けています。
今回、ソロモン王時代の城壁とみられるものが発掘されたので、翻訳してお届けします。

現代は本当に興味深い時代です。

終わりの時代は急速に進み、かつてない速さで動いています。





エルサレムの城壁はソロモン王までさかのぼる



「エルサレム・ポスト」より(2010/2/23)



『エルサレム旧都の外壁の外側で最近発掘された古代の石造りの要塞が、3千年前のソロモン王の治世にさかのぼり、その時代についての聖書の記述を支持するものだ、と月曜日遺跡に集まった記者団に考古学者エイラット・マザールは語った。

その外壁の年代が確かなら、発見されたものはエルサレムが強大な中央政府の本拠地であり、紀元10世紀には巨大な要塞を作るのに必要な資源と、人力を有していたことを示唆するものとなる。

「これはイスラエルでの第一神殿期における最も重要な建造物だ」と月曜日にマザールは語った。「そしてこれが意味することは、紀元前10世紀当時、エルサレムはこのような建設を行う力のある政府であったということ」

全長70メートル、高さ6メートルの都市の外壁の区画が発見されており、それは「オフェル」として知られて、ダビデの町と神殿の丘の南の外壁の間にある区域に位置していた。

その町の王室に続く内側の守衛詰所は、外壁の複合建造物の中で発掘され、その守衛詰所に隣接した王室と共に、見張りの塔はケデロンの谷付近の広い区画を見降ろしている。

オフェル区域の発掘はヘブライ大学の援助と、ニューヨークで聖書考古学に興味を持つ、ダニエル・ミンツとメレディス・バークマンの資金援助のもと、3カ月間以上かけて行われた。

発掘作業はイスラエル考古学局とイスラエル自然公園局、東エルサレム開発会社の協力を得て行われた。またエルサレム・ヘブライ大学の考古学部生や、オクラホマ州エドモンドのハーバート・W・アームストロング大学からの学生ボランティア、雇用作業者など多くの人が発掘作業に参加した。

「発見された町の外壁は、支配権力が存在していたことを証明する」とマザールは語る。「その外壁の強度と建設様式は高い水準の工学の存在を示しており、その町の外壁はケデロンの谷の西側の坂頂上にあり位置的に高く、戦略的に重要な位置にあるオフェルの東端だ」と話す。

「この外壁についての最新の発見、第一神殿期の門、また遺跡で見つかった陶器を比較すると、私たちは大きな確信を持って、今回明らかにされた外壁は紀元前10世紀の後半、ソロモン王の治世にエルサレムで建造されたものだと主張できる」と彼女は続けた。

「この時代のもので、エルサレムのソロモンの建造物についての記述と関連性を持つものが発見されたのはこれが初めて」と彼女は付け加える。

「聖書はソロモンがフェニキア人――建設に秀でた者たち――と共に神殿と新しい王宮を建て、その周りを町で囲み、おそらくより古いダビデの町の城壁につながっていたことだろう」

マザールは具体的に1列王記3章を引用し、「ソロモン王が自分の家と主の宮を建て終わるまで、エルサレムの城壁は周りを囲んでいた」という箇所を挙げた。(※訳者注…新改訳では多少の違いがある)

城壁の複合建造物の中の6メートルの高さの守衛詰所は、メギドやベエルシェバ、アシドドのような第一神殿期の典型的な様式を備えていた。その守衛詰所は4つの同じ様式の部屋と、主なふたつの通路から成る左右対称の形式をとっていた。

その場所には24メートル×18メートルを占める隣接する大きな塔が建っており、町の入口を守る見張りの塔として使われたと思われる。現在、その塔はすぐ近くの道の下に位置しており、さらに発掘が行われる必要がある。

守衛詰所の近くにある王室の盛り土の床で発見された陶器の破片も、その複合建造物が紀元前10世紀にさかのぼることを証言している。発掘者たちはその床の上で、火による破壊を免れた大きな保存瓶の残がいを発見しており、その建物の一階部分が貯蔵庫として使用されていたことが明らかになった。ある瓶は古代ヘブライ語の碑文を部分的に残しており、それが政府の高官に属していたことを物語っている。

「今回発見された瓶はエルサレムで最大のものだ」とマザールは語り、「それらに刻まれた碑文は政府役人に属していたものであり、明らかに王室に焼いた食べ物を供給する仕事を監督していた者のものだ」と付け加えた。

陶器の破片に加えて、その区域で異教の偶像も発見されており、瓶の取っ手には「王さまへ」と刻まれた物があり、それらが王政の中で使用されていた事を証言している。またヘブライ人の名前を記した印鑑も発見されており、その建造物が王政に関わっていたことを示している。

しかしながら、他の考古学者たちはエルサレムにあったと聖書に記されてある強大な王政の存在はほぼ神話的であり、その時代に関して言えば強い政府は存在しなかったと位置付けている。

バル・イラン大学の考古学教授アレン・マエールは、その要塞がマザールの主張するほど古いという証拠はまだ見ていないと語る。エルサレムにおける前10世紀の残存物は存在するが、と彼は語り、当時に強大で、中央政権化された政府が残っていたという証拠は「希薄だ」と語った。

ある者はダビデ王やソロモン王についての聖書の記述が正しいと考え、他の者はそれらを完全に退けるが、真実はそのどこか中間にあるとマエールは語った。

「ダビデ王の物語の中に歴史性についての核心がある」と彼は話す。』




(訳:だいすけ)




イスラエルの考古学者たちが1400年前のワインプレスを発掘



『ハアレツ』(2010/2/15)より



『月曜日、イスラエルの考古学者たちは、非常に大きく、その時代の物としては先進的な1400年前の変わった形状のワインプレスを発見したと発表した。

八角形をしたその圧搾器は幅6.5メートル、深さ16.5メートルあり、エルサレムとテルアビブ双方から40キロメートル離れたイスラエル南部の地で発見された。

ここにあるのは6世紀から7世紀にかけての居住地の工業と工芸の区域で、そこは農業地帯の真ん中に位置していた、とイスラエル考古学課の発掘指導者ウジ・アド氏は説明する。

この時代、すべての場所は昔のローマ帝国の東半分――ビザンチン帝国の一部であった。

ワインプレスの大きさからして、そこで生産されていたワインの量は非常に大量であり、地域で消費されるものではなかったことを意味している、とアド氏は会見で語った。

ワインはおそらく、主要な輸出市場であるエジプト、またはヨーロッパに向けて輸出されたであろう、と彼は語る。

また同じようなワインプレスがそこから20キロメートル離れたアシケロンの北部で以前にも発見されていると彼は付け加えた。

この圧搾器の収集する大だるの形は、普通堆積物はその角で集められるので、実用的ではないとアド氏は指摘する。大だるは慣習的な円状や四角形に造られたのではなく、形状の美しさの理由から、このように造られたのだと彼は結論付ける。

このワインプレスは複雑であり、この時代の物としては非常に高いレベルの技術を持っていたことを表し、世代を重ねて学び改善していったのだろう、と彼は語る。

この器具全体は本来幅15メートル、深さ16.5メートルの大きさをしており、モザイクの敷石が中央に敷いてあるブドウが踏む床を含んでいた。その「踏み床」から流れ出した果汁は分配するための大だるに行き、その穴から両側にある収集桶に流れるようになっていた、とアド氏は語る。

本来モザイクの床を覆っていた長方形の敷石も、その踏み床の周りで見つかっている。ブドウはおそらく踏まれる前にそこに置かれ、ときにはそこでブドウの最初の発酵がそこで始まっただろう、と彼は推測する。

圧搾器が発見された場所のナハル・ソレク地方議会代表のエリ・エスコジド氏は、発掘現場は保存され、一般に公開されると語った。その地域での発掘は、2005年にガザから退去を受けた居住者のため、新しいコミュニティーの農地となる予定の場所で行われた。』



(訳:だいすけ)




今日も、興味深い考古学ニュースを発見したので、翻訳してお届けします。




考古学的発見がエルサレムの1500年前の道路を明らかに


『ハアレツ』より(2010/2/10)


『イスラエル考古学課とエルサレム開発局は水曜日、エルサレムの古代地図を裏付けるビザンチン時代からの考古学的発見を公開した。

古代のモザイクで形作られた「マダバ地図」は、マダバ(ヨルダン西部の都市)にあるヨルダン系の教会で発見され、ビザンチン期のイスラエルの地を描写している。

このマダバ地図は、現存する中で最古のエルサレムを描いた地図であり、紀元6世紀から7世紀にさかのぼる。

この地図によると、西側からのエルサレムの入口は大きな門を通り、町の傍を通る中央にあるひとつの大通りにつながっている。この道路が存在していたことを確証するものとしてはこれが初めての証拠である。

その地点が旧市街の中の交差点であったことと、旧市街で最も人がにぎわう市場の入口であったことから、現在までその場所での考古学的発掘の許可は出されていなかった。

しかしながら、この数カ月その地域でエルサレム開発局が掘削を行った結果、考古学課は地図の発見を証明する掘削を行うことができた。

およそ道路の地下4.5メートルから、古代の道路を構成していた1メートル近い石材が発見された。

「現在、最も人であふれているダヴィッド通りが、1500年前に存在していた古代の通りを実際維持していることを見れるのはとても素晴らしいことだ」と監督考古学者であるオフェル・シオン博士は語る。』



(訳:だいすけ)



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