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アッコーでビザンチン時代の教会を発掘 『ハアレツ』(2011/06/11)より By Jack Khoury 『イスラエル北部での公共施設の発見は大きな躍進。キリスト教の初期から影響を大きく受けていたといわれるアッコーからキリスト教施設が発見されるのは初めて。 イスラエルの考古学局は、イスラエル北部の町アッコーでビザンチン時代の公共施設を発掘した。大きな突破口となる発見だ。 その建造物は約1500年前のもので教会として使用されていたとみられる。建造物は、現場で行われていた無許可の掘削を奪回するため、イスラエル考古学局が行った正式な掘削の際に発見された。 掘削はアッコーの東部に位置する土手の西100メートルでなされた。将来その現場近くにアズリエリ・ショッピングモールが建設される予定だ。 イスラエル考古学局の指揮下で行われた掘削の責任者、ヌーリット・ペイジ氏は、その町の主教が、宗教としてのキリスト教の発展の中で、非常に大きな影響力を持っていたとキリスト教文書の中で語られているという。 今回の発見は初期キリスト教でのアッコーの役割を明確に証明する最初のものとなった。「これはアッコーの研究の中での重要な発見だ」とペイジ氏は語る。また「地中海の近くの住居以外でビザンチン時代からの遺物が残っていないことを考えると」特別な重要性を持っているとつけ加えた。 考古学局は建造物の大きさと見事な建築形式から、それがビザンチン時代のアッコーの町の主教が使用していた公共施設だと語る。考古学者たちは、建造物に使用されていた屋根瓦や近くで発見された装飾を施された大理石、陶器の破片、指輪を指摘し、今回の発掘物がキリスト教関係のものであると語る。』 (一部翻訳:だいすけ) |
イスラエル考古学
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旧都のトンネル発掘が完了 『Ynet 2011/1/26』より ――シルワンのダビデの町と西壁をつなぐ用水路の発見が複雑な反応を呼ぶ。腹を立てるアラブ人たちは発掘が歴史のためではなく政治的なものだと主張 『火曜日エルサレム警察は旧都の警備を固めた。それはイスラエル考古学局が7年間かけた新しい水路の 完了が告げられたためで、その水路は町の城壁の地下真下を通るものであり、神殿の丘から遠くなく、暴 動の発生が懸念されていたからだ。しかしながら、シルワン居住区の緊張に関わらず、何の変わった出来 事も無しにその日は終了した。 その新しい水路は実際第二神殿期に遡る排水路である。全長700メートルで、シルワンのダビデの町と考 古学公園、また西壁近くのダビッドソン・センターをつないでいる。 おそらくヘロデの時代に掘られたその水路は、考古学局とイスラエル自然観光局による発掘の際に明らか になり、エラッド基金により援助されていた。水路は大きな通りの下を通り、ワディ・ヒルウェ居住区の アラブ人家庭の下を通っている。 イスラエル考古学局の考古学者でエルサレム地区代表のユバル・バルク博士は、その旧都の真下に位置す る水路は、エルサレムの住人たちや神殿に向かう巡礼者たちが使用したのではないかと説明する。水路は 主に排水路として使われていた。バラクは当時の限られた手段によってであるが「エルサレムで路面電車 を作るよりも短時間で」造られただろうと冗談めかして語る。 考古学局は訪問者のために水路を開放する計画を考えている。バルクは「発掘に伴う繊細さには十分注意 している。しかしこのような発掘はユダヤ人の歴史だけではなく、3千年から4千年の歴史を明らかにす ることになる」と語った。』 (訳:だいすけ) |
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『グーグルが死海文書をオンラインへ』 『Ynet 2010/10/21』より ―技術系最大手の企業とイスラエルが、古代の考古学的財産の公開データベース化計画を発表 『世界でも高い重要性を持ち、神秘的、また厳しく公開が規制されてきた考古学的財産である死海文書がまもなくグーグル化される。 技術系最大手のグーグルとイスラエルは火曜日、研究者と大衆に向けて、最初の包括的で検索可能な巻物のデータベース作りに共同で取りかかることを発表した。死海文書はヘブライ語やアラム語、ギリシア語を含む2千年前の所蔵物で聖書時代のユダヤ教と初期キリスト教に光を当てた書物だ。長年にわたって、専門家たちは巻物の閲覧が厳しく規制されすぎていると不満を漏らしてきた。 一旦、その画像がアップされると、誰でも原本のコピーと画面上の英語訳が無料で詳細に調べることができる。所蔵物は数カ月中に利用できるようになり、高度な赤外線技術のために、判読可能な箇所が増えるという特徴があると職員は語る。 「私たちは過去と未来を皆で共有するために両者をひとつにしている」とイスラエル考古学局の職員であるプニナ・ショールは語った。 死海文書はユダヤ砂漠の洞窟で1940年代後半に発見され、前世紀における最も偉大な発見のひとつだと考えられている。 最初の発見から数千もの破片が近くの11の洞窟で発見された。その3万あまりが最初の発見物と共に考古学局によって写真に収められた。それらを組み合わせて900以上の写本が復元された。 数十年にもわたって、500もの巻物へのアクセスはイスラエルから独占的な認可を受けた少数の学識編纂者の一団に限られ、彼らだけが破片のジグソーパズルを集め、翻訳し、出版を行ってきた。その状況は1990年代の初期、以前には出版されていなかった多くの本文が出版された時に変化を見た。 制限された閲覧 しかし現在でさえ、研究者の閲覧はエルサレムのイスラエル博物館で厳しく制限されており、原本は暗やみの中、温度調整された部屋で保存されている。 学者たちはおよそ一カ月に一度下りる当局からの巻物閲覧許可を受けなければならない、とショールは語る。大概の場合閲覧は許可されるが、閲覧室に一度に入る人数が2人と制限されているため、スケジュール調整の問題が出てくる。研究者たちは希望した部分をガラス越しに3時間しか見ることを許されていない。 巻物がオンラインに載せられることは学者たちに羊皮紙を研究する無制限の時間を与え、新しい仮説が浮上するきっかけになるかもしれない、とショールは語る。 「これは究極のパズルで、人々は今それを再整理し、新しい解釈を導きだしている」と彼女は語る。 学者たちは原本の写真と共に39巻に渡る巻物の本文を閲覧することが可能だが、批評家たちは本は高価で扱いにくいと語る。最先端技術を駆使して撮られた新しい写真は原本より見やすいとショールは語った。 その精密な画像は、NASAが宇宙画像を撮る際に使用した最先端の赤外線カメラで撮影されている。それは何世紀にわたりかすれ、判読不可能になった巻物の部分を明らかにすることができる。 その画像がアップロードされ、原本の品質より優れていると分かれば、学者たちはエルサレムに行き巻物を自分で見るよりも、これに頼るようになるかもしれない、とエルサレムのヘブライ大学ユダヤ思想教授ラヘル・エリオールは語る。 「破片が閲覧可能になればそれだけ素晴らしい。この分野の学者にとって新しい行、新しい文字、改善した読み方は大きな喜びになる」と彼女は語る。 「新しい解釈を促進する可能性も」 この新しい協力関係は、この他の情報と共にオンラインで歴史的遺物の一覧を作成しようとしているグーグルの原動力によってなされた。 「過去の遺物は博物館の地下の箱にしまい込まれている。私たちはこれらのものがどれだけインターネットで利用可能かと自分自身に尋ねた。その答えは多くのものが利用可能ではなく、十分ではないということだ」とグーグル・イスラエルの職員ヨッシ・マティアスは語る。 グーグルはヨーロッパの諸大学からの古書や、イラク国立大学の考古学的発見の写真などをネットに載せる働きをしている。一方、このプロジェクトは違ったものとなるとマティアスは語る。それはこの巻物が閲覧できることで議論が多い本文の新しい解釈を呼ぶことと、この巻物が世界的な魅力を持っているからだと話す。 18年間にわたって、巻物の破片は世界中の博物館で公に公開されてきた。最近の展示は米ミネソタ州のセイント・ポールでなされ、15の破片が公開された。 アメリカでの典型的な3カ月の展示が25万人を引きつけたことは、この巻物がどれほど人々を魅了するかを物語っている、とショールは語る。 「これらがオンラインに上ると巻物をさらす必要はすぐに無くなるだろう」とショールは語った。「自分の事務所で、または長椅子に座りながら誰でも好きなだけ写本の巻物破片をクリックして、見ることができる」 この巻物の周辺には多くの謎が付きまとっている。これらの古代の本文が誰によって写本されたか、またどうやってそこにたどり着いたか誰も分かっていない。巻物はその集団生活と、黙示的戦争の論文と共にヘブライ語聖書の部分を含んでいる。 長年にわたって研究者たちの間でその起源を巡り、多くの議論がなされている。 ある者は、初代キリスト教とつながりがあるとされる禁欲的な集団エッセネ派が、第1世紀のユダヤ人の蜂起の際に巻物を隠したと考え、ある者は、それらはエルサレムで記され、第1世紀に町を征服したローマ人から逃れたユダヤ人避難民によってクムランの洞窟に隠されたものだと考えている。』 (訳:だいすけ) |
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ヘブライ大学の考古学者らが族長時代の碑石を発見 『エルサレムポスト(2010/7/27)』より 碑石に刻まれた法典は17、18世紀の青銅期中期に遡る 『族長アブラハムの時代のもので二つのくさび形文字の碑石に書かれた文書が見つかった。これは有名なハンムラビ法典の一部と似た形式と言語で書かれている法典を含んでおり、イスラエルでの考古学的発掘で発見されたのはこれが初めて。 17、18世紀の青銅期中期に遡る法典は、北部のハツォル国立公園におけるエルサレム・ヘブライ大学の今夏の発掘によって見つかった。しかしながら、その文書が古代に書記たちの学校があった場所である――ハツォルで記されたと決まったわけではなく、どこからか運ばれた可能性もあると、ヘブライ大学考古学部のウェイン・ホロウィッツ教授は語る。 ハツォル法典の断片を本の形式での出版準備をしているチームの代表であるホロウィッツは、今週、この発見によって可能性のある、聖書の律法とハンムラビ法典のつながりをさらに研究するための興味深い道が開かれたと語った。 考古学者であり、政治家であった故イガエル・ヤディン教授を記念して設立されたハツォル発掘のためのセルズ基金として知られる――ハツォルの発掘は、ホロウィッツの同僚であるアムノン・ベン・トル教授とシャローン・ズッカーマン博士の指導の下に行われている。ヤディン氏は遺跡でなされた1950年代、1960年代の発掘によって、王宮の区域で数多くの文書を発見した。 くさび形文字は世界最初の文字形態として知られており、一番古いものはイラク南部のシュメール人文明で現われ、元は象形文字が発端となっている。これは古代中近東における文字形態として広く用いられた。文書は葦の尖筆を持って粘土板の上に書かれ、くさび形の模様を残す(英語のキュネイフォームという言葉はラテン語の“くさび”から来ている)。次第にくさび形文字は線状の文字へと移行していく。 新しく発見された断片はアッカド語のくさび形文字で記され、奴隷と主人に関する個人的傷害の法律問題を扱っている。それは今のイランで109年前に発見された、紀元前18世紀の有名なバビロンのハンムラビ法典にある法律を思い起こさせる。新しい断片は偶然王宮の区域で発見された。 研究者たちはその律法が、「目には目を。歯には歯を」などの聖書の律法のいくつかを反映していると語る。ユダヤの聖者たちはこのレビ記や出エジプト記、申命記からの節に関して、誰かの目や歯を失わせた者の目や歯を実際に取り除くのではなく、その価値に応じた金銭的賠償責任を負うということだと説明してきた。これまで解読された言葉の中には、「主人」、「奴隷」と、明らかに「歯」を示す体の一部を指す言葉が含まれている。 ホロウィッツはこの文字形式がハンムラビ法典と似通っていると語る。ハンムラビ法典とはバビロニアの第六の王であるハンムラビが制定したもので、規格化された刑罰を含む282の法律からなり、関わったのが奴隷であるか自由人であるかなどの社会的ステータスに応じて、「目には目を」などの法律をもって調停している。ハンムラビ法典は王自身の権力をも限定しているが、西洋式の憲法のようには成っていないと学者たちは語る。 ベン・トル教授は、今この断片はイスラエルで発見されたくさび形文字の文書記録の大きな言語資料を構成していると語る。同じような物事を扱ったこれまで記録の中には、人や物の発送、現地の女性が関わる法廷論争、掛け算の表を記したものなどがある。また長年にわたって発見されたものでは、古代の二言語の辞書や、法律と経済的な文書、未来を予測する文章などがある。これらが示すのは、青銅期の中期と後期においてハツォルは学問と政権の中心、高いレベルの書記たちの集まる場所であったということだと、ベン・トル教授は語る。 ヘブライ大学とイスラエル探査協会の後援のもと発掘を続ける考古学チームは、さらなる碑文を回収できると期待される青銅期時代から、歴史的価値のある建造物を発掘し始める。』 (訳:だいすけ) ※聖書に登場する「ハツォル」はソロモン王が建設事業を行ったことで有名(1列王記9章15節)。 |
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『イエスのバプテスマの場所が立入禁止に』 『エルサレムポスト(2010/7/21)』より よどんだ汚水に浸かる巡礼者たち 『イエスがバプテスマを受けたとされている場所が、ヨルダン川の汚染のため、巡礼者立入禁止になる恐れが出てきている。 聖書に記載された川が死海に流れ込む地点から数マイル離れたカサール・アル・ヤフード(Qasar al-Yahud)という場所は、毎年10万人以上の訪問者を惹きつけている。その大半が自分たちの救い主が2千年前にバプテスマを受けたように、ちょうどその同じ場所でバプテスマを受けることを望む者たちだ。 しかし、干ばつと灌漑(かんがい)によって、力強かったヨルダン川下流は、ガラリヤ湖から流れてくるよどんだ流れに変わってしまった。その流れはエリコ近郊を通る際、汚水によって増水する。イスラエル衛生局員たちは「汚水、立入禁止」という看板を立てることを検討している。 この場所はキリスト教にとって最も神聖な場所のひとつである。バプテスマのヨハネがイエスにバプテスマと授け、彼をメシアだと宣言した可能性の最も高い場所としてあがめられている(マタイ3章13節−17節)。聖書によると、この場所で、天が開け、天からの声が「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と言ったとされる。今日、このバプテスマの場所はイスラエルとヨルダン国境のちょうど中間に位置している。 イスラエル軍はこの場所を「軍事閉鎖地域」と指定しており、イスラエルからの訪問者は軍隊と自身の入場を調整することが求められている。「旅行者はそこでバプテスマを受けることはできるが、当局はその水域を改善することを検討している」とイスラエル観光局報道官がメディアラインに語った。 「現在、当局は保健省、環境局・公園管理局と共に、旅行者がこの場所を訪問し続けられるよう尽力している」「ここはとても重要な場所」と彼女は続ける。「私たちは、訪問者たちが望んでいるように水に入れるようにするため、水質が改善されるよう最大限のことをする」 何十年も忘れられていたが、この場所のアラビア語名は“ユダヤ人の城”というもので、それはまた紀元5世紀の男子修道院の名前でもある。しかし2007年より、イスラエルはキリスト教徒の旅行者たちをその川岸に呼び込むため、200万ドル(約2億円)を投資し、車椅子でも通行できるようにし、日陰、バプテスマのためのデッキ、その他の設備を増設してきた。入場料は無料。ヨルダン側にも似たような場所は存在するが、西岸地区側をイエスが利用されたということでより聖なる場所と考えられている。 メディアラインからの質問に応えて、イスラエル保健省は環境・公園管理局に検査のためのバプテスマを受ける水のサンプルを要求したが、未だそのサンプルの結果は受け取っていない。 「これは複雑な問題なので、政府関連省庁からの長官たちによるハイレベルでの議論を必要とする」と保健省は声明を出した。「最終的な決定が出るまで、保健省からの指示に変化はない」とする。 健康上のリスクをよそに環境・公園管理局は、軍隊との調整無しに旅行者へ場所を開放する復旧努力を続けている。』 (訳:だいすけ) |




