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イスラエル考古学

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聖書関連の考古学、最新ニュースを翻訳してお届けします。

今回はイラクの「エゼキエルの墓」について。

(※死者に祈りをささげることについては聖書は賛成していないのでご注意を)



エゼキエルのユダヤ人アイデンティティーをイラクが消去
(2010/1/15)





『何世紀にも渡って、キリスト教徒とイスラム教徒はバグダッド南部の小さな町アル・キフルにやって来て、預言者エゼキエルの墓を訪れ、祈りを捧げてきた。

はっきりとしたヘブライ語碑文と、契約の箱の絵から分かるアル・キフル寺院の特徴的なユダヤ性は、今まで異教の崇拝者を煩わせることはなかった。14世紀に寺院の隣にミナレット(尖塔)が建造されたが、その内装はユダヤ的なままであった。イラクのユダヤ人社会の大半はその地を60年前に退去したが、シーア派教徒たちがその聖地を大切に扱ってきた。

現在までは、である。

最近、イラクの地元報道機関である「ウル」が報道するところによると、イラクの考古学・遺産局がその墓の上に巨大なモスクを建造する計画を立て、修復の一環としてヘブライ語の碑文と装飾がその場所から取り外されているという。

エルサレムのヘブライ大学教授シュムエル・モレー、中東研究における1999年のイスラエルの受賞者、イラクのユダヤ研究協会委員長は、水曜日エルサレム・ポストに話す中、この報道を認めた。

「この墓が冒とくされるというニュースを私が初めて聞いたのは、友人であるドイツ人学者からでした。その遺跡におもむいた際、私に電話をかけ、いくつかのヘブライ語碑文は石膏で覆われ、墓の上にモスクが建造される計画になっていると聞きました。彼は墓に気がかりな変化を発見し、取り返しのつかない損害が与えられる前に、素早く行動を取るように私に警告しました」

「私はアラブ諸国でユダヤ人の権利を擁護している団体の米代表、シェロモ・アルファッサ氏と連絡を取り、この状況について伝えました。その後、ウル報道機関から、考古学・遺産局がモスクを建造し、ヘブライ語碑文とその装飾を消去するという報道を見たのです」とモレーは語った。

彼は友人に遺跡の進行具合を確かめるように頼んだ。最近その寺院を訪問した者によると、碑文のいくつかは石膏の層によって今は隠されているという。

イラクの報道機関はその寺院は保存状態が悪いので、破壊しなければならないとの主張を伝えている。しかしながら、モレーはイラクの考古学・遺産局が「イスラム主義者によって圧力を受け、ユダヤ人がイラクと関わりがあったという証拠を歴史的に消去し、イスラム教の到来の1千年前からユダヤ人がその地に住んでいたという事実を消そうとしている」と考えている。

バグダッドで生まれたモレーの話によると、その墓を訪れる多くの現代のイスラム教徒は、エゼキエルがユダヤ人だとは気付いていないという。

聖書でアラム・ナハライム(二つの川のアラム)と言及されているイラクは多くのユダヤ的な宗教遺跡を抱えている。エゼキエルがそこで埋葬されただけでなく、エズラやダニエル、ネヘミヤ、ナホム、ヨナもそこ埋葬された。(エゼキエルの墓と言われるもう一つの墓がイラン南西部のデツフルにある)。

2003年の米国主導の侵攻から間もなく、イラク当局は強力な観光誘致を期待して、ユダヤ人の遺跡を大切に扱う意向を示した。2009年の3月には観光省が宗教の信条に関わりなく、イラクの全ての遺産を保存する考えを表明し、すぐさまエゼキエルの墓の修復に取りかかるはずだった。

しかし、ユダヤ人の聖なる場所の将来は、現在のサダム・フセイン以降の狭量の状況では厳しいように見える。特にイラクには8人のユダヤ人しか残されておらず、少数派のキリスト教徒は原理主義者によって迫害され、古代のシーア派のモスクは爆破されている。

「ユダヤ人の遺跡が保存されるように願おうではありませんか。しかし、手遅れになる前に誰かが介入しなければなりません」とモレーは警告した。』



(訳:だいすけ)



テルアビブの地域での最古の遺跡が発掘されたニュースがありましたので、
最新のものを翻訳して掲載します。

(※僕は聖書から見て、地球と人類の歴史が10万年前までさかのぼるとは考えていません)

けど、興味深いニュースです。




テルアビブで古代の住居が発掘される(2010/1/12)


『考古学の発掘によりテルアビブで先史時代の住居跡が発見された。これは同地域で発掘された中で最古のもので、7800年前から8400年前にさかのぼるとイスラエル考古学課は月曜日に伝えた。

この掘削は、ラマットアビブにある「グリーン・フィッチマン」プロジェクトのアパート建設に先立って行われた。

1万3000年前から10万年前にさかのぼると見られる古代の遺物も同様に発見された。

イスラエル考古学課を代表して発掘を行う考古学者アイェレット・ダヤンは、この発見が当時を研究する者にとって「重要であり、驚くべきもの」だと語る。

「最初に私たちはテルアビブの地域に常に存在していた8000年前の住居の痕跡に出くわした」とダヤンは語る。「この場所はヤルコン川の北岸に位置し、ナハル・アヤロンにある川の合流点と遠くない場所にある。このため、古代の居住者たちは生活の場を選んだと推測される。河川の周辺には肥沃な沖積層の土壌が存在し、古代においては、集落にとって好ましい場所と考えられたのだろう」

この遺跡では、少なくとも3つの部屋からなる古代の建造物の跡が発見されている。

遺跡の年代を証明する陶片が発見されており、それは先史時代にさかのぼる。

先史時代(新石器時代としても知られる)には、人は遊牧民的な存在で狩りを行い、定住地に住み採集をし、次第に農業に従事するようになっていった。

加えて、刀状の石器のようなフリント(黒灰色の石英)も発見されており、このような用具を打ち砕いた後に出る大量の破片があり、古代の道具作りの産業の存在を示唆されている。

この遺跡で、より古いものとみられるフリントの用具も同様に発見された。それは先史時代中期(紀元前10万年)の狩りの道具で、紀元前1万3000年にさかのぼる。

他の興味深い発見は、玄武岩で出来た器の土台の破片と、河馬やおそらく羊や山羊のものとみられる動物の遺骸である。』


(訳:だいすけ)


ナザレでイエスの時代の住居が発掘される



『ハアレツ(Haaretz)』HPより(2009/12/22)
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1136599.html



イスラエルの考古学者たちは、イエスの時代にさかのぼる可能性のある初めての住居跡をナザレ北部の町で発掘した、と月曜日に発表した。

イエスの時代のナザレの姿に新しい光を投げかける発見だと考古学者は語り、貧しいユダヤ人たちが住む50戸ほどの家屋からなる小さな集落であったことを示唆した。

ナザレの古い女子修道院の中庭を建築者が掘削していると、壁や隠れ家、貯水池の跡が見つかったとイスラエル考古学部門の考古学者、ヤルデナ・アレキサンダーは語る。

アレキサンダーは加えて、当時のガラリヤのユダヤ人が使っていた粘土や石灰の器も発見されたと記者に告げた――それはこの住居が質素なユダヤ人家族の所有物であったことを示している。

「イエスと彼の子ども時代の友達はこの家を知っていた可能性がある」とアレキサンダーは語る。

「私たちが得られるわずかの文書証拠から、紀元1世紀のナザレは谷に位置する小さなユダヤ人の村落であったことが分かっている」とアレキサンダーは語り、「今までイエスの時代の墓がわずかに発見されたことはあったが、この時代の住居跡が発掘されたことは一度も無かった」と加えた。

岩の中に掘られた大きな穴も見つかり、その入り口は隠されていたようで、その中でこの時代の粘土細工も見つかっている。この穴は紀元67年のローマ人に対する大蜂起に先立ってなされたユダヤ人の対策ではないかと、アレキサンダーは推測する。


(訳:だいすけ)


今日、とても興味深い記事を発見したので翻訳して掲載します。
(おそらくまだ日本語ではニュースとして出ていないと思います)



イエスの時代のらい病者が、「聖骸布」の謎に光を投じる


『ハアレツ(Haaretz)』HPより(2009/12/16)
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1135491.html


水曜日、イスラエルの専門家たちは「聖骸布」――イエスの遺体を包んだと言われる埋葬布が、実際はイエスの時代のエルサレムからの物ではないと発言した。

この結論は、エルサレム旧市街のはずれにある墓から見つかり、布に包まれていた1世紀の男性の遺骸の発掘から得られたものだ。またその遺骸は証明されたケースとしては最も古い「らい病」患者であった。

この布に包まれた男性のDNAと共に、イエスの時代のエルサレムから埋葬布の破片が見つかったのはこれが最初で、この布は複雑な織り方をした「聖骸布」とは違い、二つ織りの簡素なものであった。布に関する歴史家であるオリット・シャミール博士はそう証明することができる。

この1世紀の「布の墓」から得られた結論は、らい病に関しての知識の重要な欠けを補ってくれた、とエルサレムにあるヘブライ大学感染病・熱帯病研究のサンフォード・エフ・クヴィンセンターに勤めるマーク・スピゲルマン教授は語った。

シャミールとスピゲルマンンはどちらも遺骸の分子調査を行った大学の専門家チームに属していた。「布の墓」として知られる岩堀りの墓から見つかった遺骸は布に包まれた状態だった。この墓はヒノムの谷の下部に位置し、「アケルダマ」や「地の地所」(マタイ27章3節−8節、使徒1章19節)として知られる墓地の一部だ。――この場所はユダが自殺を図ったと言われている場所の隣りである。

この布に包まれた男の墓は、アンナスという大祭司(紀元6年−15年)の墓の隣であり、アンナスとは、イエスをローマ人に引き渡した大祭司カヤパの義父にあたる。これらの事実からこの布に包まれた男が祭司や貴族の一員だったのではないかと調査員たちは考えている。

放射性炭素年代測定法を使い、調査員たちはこの男性が紀元1年から50年までの時代にさかのぼることを確認し、この人物は第二埋葬をされていなかったことを発見した。これはこの型の墓としては特に珍しい発見であった。

当時、第二埋葬は一般的に行われていた習慣で、遺体が埋葬された一年後に骨を取り出し、骨つぼに移し替えるというものだ。

一方、この墓に至る入口は漆喰(しっくい)で完全に塗り固められていた。

スピゲルマン教授によると、このように密閉されたのは、この男性がらい病を患い、結核で亡くなったからだと説明する。その男性の骨の中から両方の病気のDNAが発見されている。

発掘において布に包まれた男の髪の毛のかたまりも発見されており、これは埋葬に先立って儀式的に切られたものと考えられている。

地面からの高い湿度のためにエルサレムでは、このような有機物が保存されていることはまれなので、このふたつの発見はとても貴重なものだ。

スピゲルマン教授と同僚のチャールズ・グリーンブラット教授は、らい病の起源と発達は未だに不明瞭なところが多いと語る。旧約聖書で触れられていたらい病とは、疥癬(かいせん)などの皮膚発疹(ほっしん)なのかもしれない。

現代、私たちの間知られているらい病は、インドをその起源とし、中近東に持ち運ばれ、ヘレニズムの時代に地中海の国々に入ったと考えられていた。

ここでのらい病と結核の感染例、イスラエルに残る30パーセントのDNA、古代から現代までに至るヨーロッパの事例から、中世に蔓延したらい病は、ヨーロッパが都市化するに従って増加した結核により排除されたことが証拠によって判明した。

(訳:だいすけ)


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