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人間が宗教的であるのは否定しない。 「神」という概念は脳のかなり旧皮層と関連してることもあるが、 その微妙な位置が人間と動物とのボーダーラインにも見えてくる。 宗教的とは意義的なもんじゃなかろうか。 人間とはめんどくさい生き物。 食って寝て生殖して死ねばすむことを、それだけでは満足しない。 そこに「意味」などという厄介なものを持ち込まなければ自己を保てない。 肥大化した脳の副産物。 その「自己」の存在意義は本来生きていく上で個々が見出していくもの。 人間ひとりひとり同じではないからね。 悩み苦しみ葛藤することが自然であるし、それゆえの新皮質なんだろう。 価値とは、その報酬であるように思える。 ところが、これを十羽一絡げでお手軽に解決してくれるのが「宗教」である。 「私はなんのために生きているのか」を深夜の通販番組みたいにお悩み解消するシステム。 「いやあ〜これを飲んでからというもの体がホントに楽になりました」 「もうこれなしではいられません」・・・みたいな・・(笑) 通販には副作用はないだろうが、処方箋となるとちと問題だ。 副作用と依存的傾向が宗教には顕著に顕れる。 あ、もちろん全般ではないよ、健全な信者もたくさんいらっしゃる。 医者の処方箋も的確であれば、それなりに有効だ。 しかし処方箋は個人的に処方されるのであって、やはり十羽ひとからげとはいかない。 中にはよれてしまう者もいるし、医者の中にはそれで儲ける悪い奴もいる。 第一、処方箋を布教すること自体間違いだ。 それを誰かに伝える・・それ自体に問題はないが、 布教というのは、その人の存在意義という商品のプレゼンである。 これが宗教をイデオロギー化する。 イデオロギーは当然、対立を生み出す。 存在意義など個々のものなのに、それを一般化すれば軋轢を生む。 生き方がどうのなんて「大きなお世話」以外なにものでもない。 それを拒否される疎外感が信者をまた追い込んでいく。 だからより集まる、頑なになる・・・ 病院通いがやめられなくなる。 根元的に生きることに意味なんてないのだ。 意味などというのは後付けの価値。 悩み、もがいて生きていくのが人間。 一発解消などとはいかない・・・・それでいいんだよ。 |

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