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自作の小説とイラストで・・・

【科学、哲学のお話し】

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なぜ私は私なのか

「親方、なんで私は私なんでしょうかねえ」

「なんだぶっきらぼうに、夕べなんか悪い酒でものんだのか ? 
そりゃあおめえ、おめえが藤原紀香だったら、いまごろ一発やってるかもしれねえじゃねえか」

「じゃあなんで私は私なんですかねえ・・・」

「なにが私だ、気持ち悪い奴だなあ、おめえはどっから見てもおめえじゃねえか」

「見た目ってことっすか ? じゃあ、見た目を変えたら私じゃなくなるんですかねえ」

「う~ん、一概にそうともいえんか・・・男は中身だからな」

「中身ってなんすか」

「そりゃあ、おめえ心意気よ、むずかしい言葉でいやあ精神てやつよ」

「じゃあ親方、その精神てのが親方と入れ替わったとしたら、あっしは親方で親方はあっしということになるんすかねえ」

「悪い夢でも見そうなこというんじゃねえよ・・・・要はな、おめえがおめえだと思ってるからおめえなんだよ」

「そんなもんすかねえ・・」

「そらあそうだよ、おめえがおめえじゃなかったら、そんなくだらねえこと聞かねえだろ ?」

「ああ、つまりそう聞くこと自体があっしなわけなんすね」

「そうよ、そんなこと聞かなきゃあ、私だろうが毛虫だろうがどうでもいいことよ」

「つーことは毛虫も私だと思えば、私になっちまう・・ってことっすか ?」

「そうよ、要はそう思うか、思わねえかのはなしよ」

「じゃあ、今日の親方の弁当もらってもいいっすか ?」

「馬鹿野郎 ! なんでそうなる」

「だって、親方があっしだと思えば、その弁当はあっしのじゃないすっか ?」

「て、て、てめえ。ふざけるな ! !  腹へった奴が私なんだよ ! !」

結論  なぜ私は私なのか・・・・・腹が減るからである

無限という幻想

無限という幻想

さて、宇宙の果てってどうなってるんだろう・・・
誰もが投げ出すテーマだ。
以前、考え続けた結果、空間とは概念であるという結論にたどり着いた。
つまり、われわれの呼ぶ「宇宙」というものは、空間を実体化したものであり、それゆえに「果て」に思い悩むのだと。空間とは物質ありきの概念であり、それ自体には実体はないのだ。
それは時間と同じであり、時間に実体でないように、空間もまた実体ではないのだ。
実体がないものとはどういうものなのか、概念である、それは物質の距離を測るための尺度として作られたもの、
つまり、頭の中にだけあるものであって、実際には存在しない。
実際に存在しないものに「果て」も「始まり」もない。0と無限大は同じということだ。
宇宙という言葉は0である。空間は拡がりもしないし、縮みもしない、それは物質の尺度として頭の中で伸びたり縮んだりしてるだけ。

宇宙なんてものは存在しないんだよ。
存在しないものに起点も終点もない・・・果てなどない・・・もちろん可視できるわけがない。
われわれは勘違いしている、真空さえも実体であると。
われわれの呼ぶ「宇宙」とは物質間の空間ごとひっくるめて実体としている、そのことが、この永遠の謎を生み出しているのだ。

旅は終わったのか・・・
いや、まだ旅は続く・・・立ちはだかる相対性理論。
空間は曲がるのだ・・曲がるのは実体だ・・概念が曲がって物理現象を起こすわけがない。
最近ではついに重力波まで検出されたというではないか。
さて、どうする・・・

だからといって、引き返すつもりはさらさらないのだ。
空間が重力で曲がるなら、それは逆に空間ではないことの証明なのだ。

これからは怖い哲学に向き合わなければならない。
概念と実体の本質的な関係を知らなければならない。
時間とはなにか・・・情報とはなにか・・・意識とはなにか・・・

おぉ怖い・・・

宗教と存在意義

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おいらはあらゆる宗教を信じないが、
人間が宗教的であるのは否定しない。
「神」という概念は脳のかなり旧皮層と関連してることもあるが、
その微妙な位置が人間と動物とのボーダーラインにも見えてくる。

宗教的とは意義的なもんじゃなかろうか。
人間とはめんどくさい生き物。
食って寝て生殖して死ねばすむことを、それだけでは満足しない。
そこに「意味」などという厄介なものを持ち込まなければ自己を保てない。
肥大化した脳の副産物。

その「自己」の存在意義は本来生きていく上で個々が見出していくもの。
人間ひとりひとり同じではないからね。
悩み苦しみ葛藤することが自然であるし、それゆえの新皮質なんだろう。
価値とは、その報酬であるように思える。

ところが、これを十羽一絡げでお手軽に解決してくれるのが「宗教」である。
「私はなんのために生きているのか」を深夜の通販番組みたいにお悩み解消するシステム。

「いやあ〜これを飲んでからというもの体がホントに楽になりました」
「もうこれなしではいられません」・・・みたいな・・(笑)

通販には副作用はないだろうが、処方箋となるとちと問題だ。
副作用と依存的傾向が宗教には顕著に顕れる。
あ、もちろん全般ではないよ、健全な信者もたくさんいらっしゃる。
医者の処方箋も的確であれば、それなりに有効だ。

しかし処方箋は個人的に処方されるのであって、やはり十羽ひとからげとはいかない。
中にはよれてしまう者もいるし、医者の中にはそれで儲ける悪い奴もいる。
第一、処方箋を布教すること自体間違いだ。

それを誰かに伝える・・それ自体に問題はないが、
布教というのは、その人の存在意義という商品のプレゼンである。
これが宗教をイデオロギー化する。
イデオロギーは当然、対立を生み出す。
存在意義など個々のものなのに、それを一般化すれば軋轢を生む。
生き方がどうのなんて「大きなお世話」以外なにものでもない。

それを拒否される疎外感が信者をまた追い込んでいく。
だからより集まる、頑なになる・・・
病院通いがやめられなくなる。

根元的に生きることに意味なんてないのだ。
意味などというのは後付けの価値。
悩み、もがいて生きていくのが人間。
一発解消などとはいかない・・・・それでいいんだよ。

無関係の美学

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朝起きると私は日本国民であった。
でも私は日本国とは無関係である。

午前、会社で仕事をした。
でも私はその会社とは無関係である。

給料をもらう、税金が引かれている。
関係が発生してるのは、金銭であって私ではない。

国籍は私ではない。
社名も私ではない。
専属課も私ではない。

私は仕事であり、友人であり、家族である。
私は言葉であり、創造であり、音楽である。

私とは笑いであり、哀しみであり、怒りであり、喜びであり、憂いである。

私は選択する者であり、選択される者ではない。

スプーン一杯の幸せ

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スプーン一杯の幸せとは、スプーン一杯の快感物質である。
人間の脳容積がある程度決まっている以上、
スプーン10万杯、もしくはシャベルカー一杯の快感物質は無理なのだ。

アンフェタミン、エフェドリンを使ったところで、結果は周知の事実だろう。
つまり「幸せ」はある程度平均化されているということだ。
三日酒を断った一杯のうまさと、日々の三杯の酒のうまさは似たようなもの。

「幸せになるには金がいる」という暗黙の洗脳社会に毒されることなかれ。
それでも快感がほしいなら、頭を三倍の大きさにしてみるかい ?
歩きづらいと思うぜ (笑)

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