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安芸Zツーリング城巡り
大型バイクで城めぐりツーリング 主に中国地方 城跡 神社仏閣、狛犬、大木 今は狛犬探索がメインになってます。

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可部招魂社 広島市安佐北区可部
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太目の玉乗り
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可部の街を見守る
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         大正八年(1919)丁度百年になります
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太く造られています
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阿形
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昨年の豪雨で氾濫した根谷川を眺める
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拝殿 招魂社の扁額が二つ
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お願い 良い文章です。
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拝殿内
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本殿
イメージ 16本殿
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義勇奉公碑 猿田彦神社拝殿 
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猿田彦神社本殿と砲弾
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碑にもなっていなく地面に直に立っています。
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筒瀬八幡神社 広島市安佐北区安佐町
イメージ 1旧亀山発電所
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大きなスズメバチの巣 留守です。
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何度も洪水に見舞われています。
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太田川最初の水力発電所 明治四十五年・大正元年(1912)送電を開始しました。
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神社入口 神社後方に川岸特有の森林が残されています。
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社叢 
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社叢は蛇行する川の内側に出来た段丘上にあるので、洪水時にも
あまり破壊されることなく自然の姿を現在も保ち続けています。
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狛犬 目が巻き毛??
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眉毛が巻き毛でした。
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              阿形
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起き上がり観音 由来
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平成3年に川から引き揚げられた観音石
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神社脇の太田川
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拝殿
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拝殿
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扁額
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奉納額
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大木をくり抜いた賽銭箱
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棟札 御蔵米五俵
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棟札
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本殿
イメージ 25三方に廻した縁を支えるため、三手先の組物を構成しています。
明和五年(1768)の建立
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下の浜明神社 広島市安佐北区可部
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佐々木星峡先生寿碑 筆をかたどった面白い形の碑です。
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良い姿の玉乗り
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阿吽とも子持ち
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尾道石工の流れです。
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明治二十三年(1890) 石工は不明
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吽の子             阿の子
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後姿はスッキリ
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江戸尾道の狛犬の姿を伝える対です。
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拝殿 鋳物の水桶
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カエルが支えています
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拝殿内の奉納額
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本殿
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物流の拠点となっていた可部の船入り掘は太田川の船運最大の港となり、
周辺は宿場町として栄えましたが、時代の変遷と共に鉄道や車にその機能を取って変わられ衰退、現在船入り堀は明神公園となっています。
神社の向かいの明神公園
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舟入り堀の頃から変わらずにここにあるこの燈籠は当時毎晩灯りがともされ船の安全を守る「船神さん」と呼ばれていました。
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燈籠の銘文には航海・水運の神として知られる「金比羅大権現」の文字が刻まれています。
文化5年(1808年)に可部の鋳物師・三宅惣左衛門により鋳造
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両延(りょうのべ)神社 広島県可部町
旧称は白石山にあるので白石八幡宮 
祭神は三女神 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后
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建久元年(1190)武田朝信が宇佐八幡宮の御分霊を下四日市に勧請
建長五年(1252)武田信時が現在地の大毛寺村白石山に奉遷。
安芸武田氏没落後衰微し、宝永三年(1706)、12箇村の氏子により再建
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可部の地は古来より川運の集積地であり、また瀬戸内海側から可部街道が、この地で出雲街道・石見街道に分岐して山陰側へと向かう古くからの交通・物流の要所でした
物資の集積地であることから、木炭など他に必要なものを容易に
得ることができました。
毛利家臣の熊谷氏の臣、三宅勘兵衛が長州移封に伴わずこの地
帰農し鋳物を始めたのが起源とされています。

また廿日市で鋳物師をしていた山田氏の庶流とされる久枝壱岐が、天文年間(1540頃)可部に移住し鋳物を始めたという説もあります

現在も鋳造関係の企業が集まっています。
江戸時代の鋳物師が製作した鉄燈籠は船神さんと呼ばれ親しまれています。
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この鉄燈籠は戦後のものです。
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手水舎
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石段下に浪速
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阿吽とも花を頭に乗せています。
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天保十四年(1843)
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                 阿形
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             ちょっと怖い顔に見えます。
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随神門
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随神さん
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石段中ほどから奉斎殿、鐘堂に至る道があります。
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奉斎殿
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奉斎殿 由来
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子供が描いたような赤穂浪士
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              鐘堂
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                昭和四十四年 
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            随神門から続く石段
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拝殿 拝殿前は鉄製の水
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扁額
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恵比寿&大黒
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              拝殿内
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              本殿
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出崎森(でさきもり)神社 広島県海田
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再訪、2年前に訪れていました。
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宗像大社の大宮司支族・宗像久延が神託を受けて、
霊亀元年(715)霜月二の卯日、海田の包ケ浦に村人総出の松明の火に迎えられ、一祠を建立し宗像三女神を奉祀して"宗像明神"と称したと伝えられます
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永禄元年(1558)毛利氏の部将で安芸中野の鳥籠城城主・阿曽沼元郷が神殿を再建
旧本殿はその後寛保三年(1743)年に再建
旧弊拝殿は弘化元年(1844)年に再建され茅葺の大宇は壮観であったと伝えられます

ところが平成4年(1992)年8月18日火災により社殿を全焼。

現在の社殿は、氏子崇敬者により、平成8年(1996)10月に再建されたものです
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神馬
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平成狛 後に古い出雲蹲踞
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古い出雲蹲踞 以前来た時は苔が全身に付いてました。
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以前(2年前)豪雨で洗われたのかも
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摩耗が激しいです。
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    天保くらいでしょうか
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阿形
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あまり口を開けてません
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もう少しふるいかも知れません 文政?
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火ともしまつり 由来
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親松明
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隣の八雲神社の小さな神馬
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隣の八雲神社
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八雲神社本殿
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出崎森神社 本殿
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なつかしの二宮金次郎像
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