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安芸Zツーリング城巡り
大型バイクで城めぐりツーリング 主に中国地方 城跡 神社仏閣、狛犬、大木 今は狛犬探索がメインになってます。

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琴弾天満宮 銭形 観音寺市
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向拝下 力士が支える
イメージ 16面白い顔の額
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細密な造りの青銅燈籠
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本殿
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本殿の彫刻
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拝殿狛犬は一対
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吽行は撮影しにくい位置
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年代不明 寛政あたりでしょうか?
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阿形
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シンプルながら堂々とした対です。
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神社から少し下ると銭形展望台があります。
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展望台より
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銭形の由来は寛永十年(1633)藩主・生駒高俊公が領内巡視の際、歓迎するため村人達が一夜にして掘りあげた伝承があります。
しかし寛永通宝の流通は三年後の寛永十三年からでこの伝承には
無理があります。
観音寺史では安政年間頃、幕府より沿岸警備の増強の命を受け
丸亀藩が荘内と有明浜の二か所に砲台を築造することになり、
藩主京極朗徹公が来訪した際に一興に供しようと普請奉行が
掘らせたとされています。
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縦122m、横90m、周囲345mの楕円形
展望台から見ると真円に見えます。
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琴弾八幡宮 石段参道 観音寺市
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一旦バイクで上まで上がりここまで降りてきました。
一方通行の車道があり、頂上まで上がれます。
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後姿 きっちり彫られています。
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大正十年(1921)
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出雲丸尾型の見事な復元です。円台に乗ってます。
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木乃鳥居
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義経奉納と云われます。
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木乃鳥居脇の対
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年代は不明
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        ??元年とも読めるかな 弘化かな
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            阿形 ♂ 口の開きが小さいです
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吽形は後をかなり補修
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続く参道石段
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蔵谷神社 石段脇に鎮座
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蔵谷神社
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小ぶりの構え型
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明治三十六年(1903)
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一旦石段が終わり右は青丹神社左は頂上に向かう参道
イメージ 35青丹神社
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鳥居脇に一対 拝殿前に一体
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鳥居脇 吽形
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阿吽で石工が違うようです。年代不明
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阿形
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拝殿前に吽形のみ
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この吽形は鳥居脇の阿形の対だったようです。
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平坦な道になり
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最後の石段
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琴弾八幡宮 観音寺市

琴弾八幡宮 観音寺市
云われによると、大宝三年(703)嵐の過ぎ去った夜に、海岸に一隻の船が現れ、妙なる琴の調べにうっとりした人々が、琴の主を船とともに山頂にひきあげ神殿を建て「琴弾八幡宮」を祀ったと云われています。
一の鳥居
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広い駐車場
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庚申神社
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庚申神社の狛犬
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昭和五十年奉納
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地蔵と五輪塔
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慰霊碑
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砲塔を載せた碑
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山の神神社と琴弾戎
イメージ 10山の神神社の大岩
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山の神神社の狛犬
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昭和?年
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慰霊碑
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慰霊碑奥の忠魂社
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砲弾碑があります。
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明治四十二年
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神幸殿
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神幸殿前より
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二の鳥居 山上の神社への入口
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承応二年(1653)1653丸亀藩主山崎虎之介治頼の寄進
ここより378段の石段
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鳥居前 備前焼の対
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明治十八年(1885)奉納
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イメージ 22随神門
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随神門前の対
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古出雲を玉乗りにしたような型
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明治二十七年奉納
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 随神門                 
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山田神社 観音寺市

山田神社 観音寺市
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入口鳥居
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拝殿
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出雲丸尾型 
本場出雲では来待石製なのでほとんどこの型は崩壊しています。
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      四国で模して造られたものが型を残しています。
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年代判読できず
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            阿形はえらく雑なコピー
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         足はろくに彫ってません バランスも変
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阿吽で差が有りすぎです
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立派な拝殿
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延喜式内 讃岐二四社鎮座 ここ山田神社も式台社です・
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本殿
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豪華な装飾です。
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のどかなところです。
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讃岐国一の宮 田村神社 高松
高松うどんはどこで食べても旨いです
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屋島
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田村神社 大鳥居
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由緒
当社の起源は極めて古く社記によれば和銅二年(709)に社殿が創建されたとあり往古より「田村大社」「定水大明神」又は「一宮大明神」とも称され、人々より篤く崇敬されてきた。

嘉祥二年(849)従五位下に叙せられ貞観三年(861)
官社となり名神大社に列せられ、讃岐國の一宮に定められて後は神階を授けられ建仁元年(1201)正一位の極位に叙せられた。

当社の奥殿の床下には深淵があり、厚板でこれを覆い殿内は盛夏といえども凄冷の気が満ちていて古くから神秘を伝えている。
又領内で水旱があれば領主奉行は必ず先ず当社に祈願したといい、定水大明神と称される所以である。

奥殿深淵には龍が棲み、覗いたものは絶命するとされて、開かれたことがない。
 
古来、讃岐は雨が少なく、古代から溜池が作られてきたが、当社付近は香東川の伏流水が多い地域で、農耕に欠かせない湧き水への信仰が、祭祀につながったと考えられている
境内図
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祭神は 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと) 五十狭芹彦命 (吉備津彦命) 猿田彦大神 天隠山命 (高倉下命) 天五田根命 (天村雲命)

とにかく色々なものがある神社です
お迎え布袋尊
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新狛
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八咫烏
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倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
桃太郎は稚武彦命(わかたけひこのみこと)
倭迹迹日百襲姫命が讃岐で暮らしていたとき,弟の稚武彦命(わかたけひこのみこと)が瀬戸内海地方の平定のため兄の吉備津彦命とともに朝廷から派遣されてきました。兄は中国地方の平定に向かい,弟が瀬戸内海一帯の平定を任されることになりました
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新出雲構え
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量産
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海軍少年飛行兵の碑
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零戦21型のプロペラのレプリカ
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天満宮の牛x2
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また牛 後は宮島社
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十二支像
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力石 〆は貫の略字 三十五〆で131.25 Kg
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随神門
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宇都伎社の鳥居
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龍がカッコいい
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宇都伎社拝殿
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田村神社鳥居
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田村神社 拝殿
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本殿
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色々ありすぎな神社です

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