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この神社は、どなたかのブログに書いてあったのを見て行ってみたいと思った神社でした。 誰のブログだったかな?後で探してみよう!! ↑ 神社側からとった鳥居。 下からはタイミングが悪く写真に取れませんでした。 結構急な坂ですよ。車だと空に上っていく感じ。 銀河鉄道999とかこんな感じなのかも。 御祭神が応神天皇、仲哀天皇、神功皇后なのですが、由緒書などを見ると応神天皇のところには『品陀和気命(ほんだわけのみこと)』と書いてありました。 『ほんだわけのみこと』は応神天皇の別名なのですが、このような漢字が当ててあるのは始めて見ました。 おそらく神仏習合の影響なのだと思います。 今調べたら、誉田別尊とか誉田別命とか書くところが多いようですが、品陀和気命、品陀別命と書くところもあるみたいです。
勉強不足でした・・・。 平安初期、桓武天皇の御代に征夷大将軍・坂上田村麿が東夷征伐の折にこの地に陣を張り、八幡三神を勧請し武運長久を祈ったのがはじめとされています。 この場所は昔から要所であったのでしょうか。 時代時代の国策に翻弄され続けた神社のようです。 (以下赤羽八幡神社サイト抜粋) 明治16年に上野熊谷間の鉄道敷設によって宝幢院とつながっていた敷地を分断された。 明治20年、陸軍工兵大隊の大手町からの移駐先に社殿の後背地を管轄していた東京府から差し出されて供出。 明治41年稲付に出来た兵器補給廠と東北本線との武器輸送のために現参道に軍用鉄道敷設。 大正には東北上越方面との物資輸送増大で旧参道部分に赤羽貨物駅設置。 戦後になって昭和60年東北新幹線と埼京線敷設のため、こんどはお山の腹にトンネル貫通。 かつて徳川家の庇護や加増もあって、明治の初年ころには四千坪を有する雄社であったが、このように時代ごとの国策の影響をかむって身を削られ続けてきた神社である。これも太古、地の利をもって坂上田村麿が東北地方鎮圧のための拠点と定めた時からの宿命なのか。現在も、時代遅れでとうに建設不要とみられる都道85号線道路計画にまた参道と階段が計画線上に掛り、神社は苦慮している最中である。 確かにすぐ後ろは線路で新幹線や埼京線、京浜東北線など常に走っていました。 何気に鉄道マニアにはいいスポットなのかもしれませんね。 (写真は新幹線の連結部分) それはそうと末社の稲荷神社の前にこんなものが立ってました。 確かに神道も世界平和を願っていますが、これはキリスト教系のものじゃないのでしょうか? 非常に不思議な気分になりました。 (勝手に誰かが立てたのかな?) |
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2007年04月26日
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