神主見習いのご祈祷帳 blog

祈りとは、出来そうもないことを願う虫のいい心根ではない。必ず実現させると誓う決意。

東京の神社

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奥さんが友人の神社で七五三の手伝いに行っている間、散歩がてら他の神社参りに行ってきました。
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この神社も七五三に3組ほど来ていました。
みんなで仲良く写真を撮っていましたね。

日本武尊が東国平定の道すがら、当時白鳥村といったこの地に滞在した遺徳を偲び、村民が白鳥明神として奉祀したことを起源としています。
御祭神は、日本武尊、天児屋根命、徳川家康命です。

この神社は正月明け8日に行われる「とんど焼き」が有名です。
「とんど焼き」とは、正月飾りの門松や注連縄などを1箇所に集めて燃やすと言う全国各地で見られる行事で、地方によっては15日の小正月明けにおこなうところもありますね。
この神社では江戸の古くからのしきたりで正月明け8日におこなっているようです。
「とんど焼き」は平安の昔からおこなわれていたと言われ、民間では神様に関係のある「尊いものを焼く」と言う意味で「とほど焼き」と言われていました。
それが、焼くときの「トンドヤ」と言う囃子言葉や、火の燃えるさまや音が「ドンドと燃える」と表現される事などから「とんど焼き」と言われるようになったようですね。(諸説あるかもしれませんが。)
この火に書き初めの清書を燃やして高く上がれば字が上達するとか、この火で焼いた餅を食べると1年間病気にならないとか言われている新春のおめでたい行事です。

今年時間の都合が付けば行ってみようかな。
皆さんもいかがですか?ちょうど成人の日でお休みでしょうから。

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そういえば、この神社茅の輪のお守りがあったんですけど、スサノオも御祭神としていたのかなぁ?
また機会があったら行って調べてみよう・・・。

外出した日のお昼休みに寄った神社です。
「地図を見るとこのあたりなんだけどなぁ」なんて言いながらうろうろしているとそこに神社がありました。

えっ!ここですか?

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ビル群の谷間の神社というのはいくつか見ましたが、この神社、境内にビルがあるって感じですね。
何でこういうかたちになってしまったのか非常に疑問です。

御祭神には天津彦火邇々杵尊が祀られており、相殿に、平将門公と菅原道真公も祀られています。
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築土神社主神 ・天津彦火邇々杵尊(アマツヒコホノニニギノミコト)は我が国を最初に統治し、その土台を築きました。
この土台の上に国が成り立ち、以来、我が国は、初代神武天皇より現在まで実に125代もの間、絶えず繁栄を続けることができました。

堅固な国の土台を築いた邇々杵尊の御神徳により、安全で堅固な建築工事を祈願しましょう。
ということで、建築業界の方達が多く参拝されるようです。
ヘルメットに貼るシール型のお守りなどもありました。
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しかし、すごいところに建ってるなぁ・・・。
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それにも増して、築土神社のサイトの色遣いがなんだか怖い感じがします。
さわやかと言うよりはなんだか恐怖系のサイトに見えて・・・。

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千住天王素盞雄神社の続きです。
この神社、奥の細道で有名な松尾芭蕉が出立した場所でもあります。

『奥の細道』の旅は、松尾芭蕉(1644-1694)が五百年忌を迎えていた西行法師をはじめ、当地で没した藤原実方(さねかた)、能因法師などの古の歌人の足跡を訪ねるみちのくの歌枕探訪の旅であり、また、31歳にして露と消えた悲運の将・源義経を追慕する旅でした。
【序文】
 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
【現代語訳】
月日は永遠に旅を続ける旅人であり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。船頭として船の上に生涯を浮かべ、馬子として馬のくつわを引いて老いを迎える者は、毎日旅をして旅をすみかとしている。古人の中には旅の途中で命を無くした風流人が多くいる。

松尾芭蕉のゆかりの地であるこの神社の御朱印は2つでセットのようですね。

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以前お参りに行ってまだ紹介していない神社があったので紹介しますね。

ここ千住天王素盞雄神社は南千住駅から徒歩5分、日光街道沿いにある神社です。
ちょうど日光街道が立体になっているところで、車からだと見下ろすかたちになってしまいますね。
神社があるのは知っていたのでいつか寄ろうと思っていました。

御祭神は神社名からわかるように素盞雄大神と飛鳥大神(別名:事代主神・一言主神)です。
素盞雄大神について一つ物語を紹介します。

蘇民将来子孫也 茅の輪(ちのわ)の由来

 スサノオノ命(みこと)が遥か遠くの南の海に妻問いにでかけたときのことです。
 陽はすでにどっぷりと暮れ、旅に疲れはてたスサノオノ命は蘇民将来(そみんしょうらい)・巨旦将来(こたんしょうらい)という名の兄弟に宿を乞いました。裕福で立派な家に住む弟の巨旦将来は、顔もやつれ衣服も汚れたその姿を見て、怪しみ惜しんで貸しませんでしたが、家も小さく貧しい生活をしていた兄の蘇民将来は、粟柄を座とし、粟の飯で精一杯のもてなしをしました。そして歳月がたち・・・。
 再びその地を訪れたスサノオノ命は兄に御礼を言い、「もしも疫病が流行したとき、あなたの家族は茅(かや)で作った小さな輪を腰につけていなさい。きっとそれから逃れ、子孫は永く栄えるでしょう。」と伝え帰りました。その後、突然二人の住んでいる村に疫病が流行りましたが、不思議なことに茅の輪をつけていた兄の家族だけは助かり、弟の巨旦将来の家は途絶えてしまい、それ以来、村人は疫病が流行ると「蘇民将来子孫也」と口々に唱え、茅の輪を腰に付け疫病から免れるようになったということです。
 この<蘇民将来子孫也>は、ふりかかる悪疫災厄から御祭神スサノオノ命にお護りいただく言葉として、またその腰に付けた小さな茅(かや)の輪は、6月の大祓に御神前に設ける大きな茅の輪(ちのわ)神事・茅の輪守となって現在に伝わっています。
皆さん知っていましたか?
茅の輪を6月の大祓の時に御神前に設けている神社は素盞雄大神のこの神事になぞらえているんですよ。

またこの神社ではなかなかかわいいお守りを授けてくれるのでもし良かったら記念にいかがでしょう。

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前回紹介した大國魂神社に寄った帰りに通り沿いにあった神社に寄ってみました。
この神社の創建はあまりに古く定かではないようですが、延長五年(927年)に制定された「延喜式」という法典にその名を連ねる、多摩地方有数の古社で、社伝によれば垂仁天皇の御代の創建といわれています。
現在、調布町総鎮守となっていて人々の信仰も厚いようですね。

写真を取り忘れてしまったのですが、寛政八年(西暦1796年)に建立された市内でもっとも古い狛犬があります。
願主は「惣氏子中」「惣商人中」となっていて、今から二百年前、すでに天神の市が開かれていたことがわかります。
歴史のある神社はやはり素敵です。

御祭神である菅原道真公に、もうちょっと頭が良くなるようにお願いしてきました。
少しは良くなったかな?
(毛も生えたらいいのに・・・。)

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