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妻の実家で出てきた古文書についてまとめてみました。 他にもいくつかあったのですが、その前に修復したい・・・。 いくつかファンのみ公開になってます。
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神社関連
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神社関連とかその他宗教の話など
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これは巻物の中で比較的に綺麗な状態で出てきたものです。 安政2年と書いてあるので西暦に直すと1855年ですね。 152年前ですか。 こんな事が書いて有るみたいです。 許状 算術依熱心別紙箇條 之趣令伝授之●日々 精勤不浅故今又初等 十章之伝自先師所受 持貫通肯不遺委曲令 伝授之畢以来熱心之 徒●有之者宣依先規 格式被●伝者也仍算 術初等許状如件 最上流三伝 櫓山堂 安永伝語 別号格斎 橘篤愛 海野●輔殿●はよくわからない字 これなんでしょう? 算術を教えても良いという免許状でしょうか? 海野さんもうちの家系にいないですし。 誰かこの巻物の凄さを教えてください。
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ある家系図の一部です。 さてどこからの家系図だと思いますか? と言うよりなんでうちにこの家系図があったのだろう???? ただわかっているのはうちの直系ではないみたいです。 うちの直系は例えば徳川家なら『家』と言う字が名前に使われるように名前に特定の文字が使われています。 この家系図の人は『景』が使われているようですが、うちの先祖にはいないようなので、もしかしたら親戚なのかもしれませんし、近所の人なのかもしれません。 ただこの家系図があると言うことは何らかの繋がりがあったのでしょうかねぇ・・・。 さて、この家系図の始まりは誰からだと思います?
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妻の実家で発見した『神道裁許状』ものです。 神道裁許状とは、江戸幕府から「諸社祢宜神主法度」を与えられて幕府の神道政策の手先となった吉田神道である吉田家が各神社の神職に出した許し状のこと。 狩衣や烏帽子などの着用には吉田家の許し状が必要で、官位のない社人は必ず白張のみを着用するものとした。 ちなみにこの規定に違反し、裁許状の交付を受けずに装束を着用した場合は幕府によって取り締まられた。 1枚目の写真は1676年(延宝4)に第5代目当主が戴いた神道裁許状です。 2枚目の写真は1740年(元文5)に第6代目当主が戴いた神道裁許状です。 3枚目の写真は1755年(宝暦5)に第7代目当主が戴いた神道裁許状です。 これらの他にもいくつかの神道裁許状が出てきています。 一応、名前と場所だけは伏せさせていただきました。 ただ、第○代当主というのは正しいかわかりません。 明治に作られた家系図の元にした覚書に記載されていたもので他の文献が出てきていないため正しいかどうかはわからないのです。 神道裁許状については本物そうですね。
でもどこかで真贋判定して貰う必要があるのかなぁ・・・。 |
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本日、講習会を終了しまして無事神職になれることになりました。 これからは神のみこともちとして精一杯やっていく所存です。 どうぞこれからもよろしくお願いします。 講習会の内容については後日順番にアップしていきたいと思います。 取り急ぎお知らせまで。
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