[脳科学と癒し]1−2.分からなくていいって? −勉強しなかったから? 本当は母親の責任!−
2008年9月7日
1.はじめに −アホな母親は社会にとって必要なのか?−
脳の研究が進むに連れて伝えたいことがどんどん出来てくる。必死で分かるように書く。しかし分からないと言われる。どうも勉強する意欲が足りないようだと、過激な言葉で激励する。今度はアホなどと言ってくれるなと叱られる。どうせアホですよとむくれられる。どうせ読んでも伝わらないから、という気持ちは誰が抱いたのだろう。読んで欲しいから書くのではないか。一体全体、私の潜在意識の主の頭はどうなっているのだろう。こうして、ブログを利用して自分を知る旅に出ていることを知るのだ。
2.分からなくてもよい −時間的背景が異なるから一卵性双生児でも違ってくる−
自分が感覚があると分かるのは意識があるときだけだ。眠っていると意識がないから何も考えられない。それがトイレの感覚を感じる。朝になって小鳥のさえずりが耳に聞こえてくる。マンション住まいでは目覚ましアラームの音で目が覚める。どうして意識が無いのに感じるのだろう? 今度は逆のケースだ。慣れてくると目覚ましアラームが鳴っても起きない。スヌーズ機能で繰り返し起きなさいと呼びかける。しかし、起きない。今度は感覚に音が来ない! これは不思議だろう。えぅ、当たり前過ぎて不思議でも何でもないって??
このとき耳は聞こえていないのだろうか? 試しにもう7時過ぎたよ、とだみ声で話しかけてみる。あるいは聞きなれない音を使う。目が覚める。つまり、潜在意識の主には耳に聞こえる音は届いているのだ! 本心のあるじが私を操っていて、私の小脳を活性化してくれないと私の意識はないのだ。そしてこの自分の主を育てたのは他ならぬ私自身なのだ! 自分が楽をしたいと思うのを、後になって困るから起きなければダメよ、と諌めるのが母親の役目である。勿論父親でもよい。
3.誰かが叱るまで直せないの? −自分で治せるなら医者は不要−
言葉を知らないと世話をしてくれる人がいないと生きられない。だから社会は言葉を教え込むように教育を徹底しようとする。しかし最初の教育は胎教から始まる母親の側にある。だから母親の教育が間接的に躾けと家庭教育に反映されるのだ。現代の文明社会は資本主義の下での紳士淑女の仮面を被るカーニバルに似ている。うまく躾けないと親が笑われると教育すればよい。近所付き合いはこのためにある。
こうして競争社会につきものの「力の論理」が頭脳つまり学歴社会になっている。おかしい。頭が良いのではなく、ずる賢いことが求められる社会なのだ。だから身の回りから騙しがなくならない。アホな母親にもいいところがある。人を騙してはいけません、と幼児教育をする。だから子どもは戸惑う。学校では先生が二つの顔を持っているし、他の子どもはそんな先生にゴマスリして騙す。だからいじめはなくならない。いじめている側に快感があるばかりで罪悪感などないからだ。
アホな母親には「いじめてはいけません」と口では言えても、「どうしていけないの?いじめってなーに?」とか、「私、いじめられたの」とわが子に言われても分からないし、説明ができない。
4.言い訳 −ああ、また同じ言い訳ね−
母親が悪いのだろうか? 実は父親だって、いや、先代の祖母だ、いや祖父だ、などと言っても始まらない。母親が忙しいから本を読む暇が無い。違います。躾けの意味と仕組みが分かっていないのです! 幼児教育には沢山の心理学者や教育者それに金儲けのための業者がひしめいている。その誰もがチャンスを窺うばかりで、誰一人として仕組みについて明確に言える人はいないのだ。これが政治のトップまで不見識の標本を作る。
そして安泰なのは官僚だ。これが首相が退陣したら官僚も交代などとなったら、必死で考えるだろう。社保庁のごまかしや無駄遣いの責任を問い質しても、過ぎたことだと認めるのが国民だ。そして国益の名の下に政治は闇に包まれて何をやっても分からないまま、民主主義の犠牲者になるのを待っている。
5.ぐちる自分 −ようやく自分が分かってきた−
実は昨日は一日中音楽漬けで、ヴァイオリンをお昼近くから夜の部まで聴いた。そのくつろぎの中で癒される反面、いい音の役割を考えさせられた。ヘッドフォンやオーディオとは違ってホールに響き渡るいい楽器とピアノの音に包まれる。深い安らぎの中に一人一人の弾き方と表現の陰の、時間的な背景が想像できてくる。つまり、パフォーマンスの端はしにそれぞれの家庭環境や教養、そして自己主張と聴衆にたいする思い遣りが見えてくる。
対する聴衆の側にいる自分は何と楽なものだ。勝手に比べて好奇心を満足させているだけだ。まるで批評家だ。そんな中で面白い考えが浮かんだ。音楽は音だ。風になって吹けば空気だと分かる。音はホールの隅々まで平等に届く。しかも同時に伝わる。聴衆にも演奏者本人にもだ。演奏者自身には演奏と言う小脳の運動が課せられた上で、意識して聴くというフィードバックがある。この仕組みを知っている人はいないから、経験でしか身に付かない。これが共感を生み出すのだが、ときどきそれに出会えたのだ。それを書き留めたかったのだ。(続く)
(キーワード 手遅れ 躾け 共感)
|