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[8月2日] 日本の教育は変わるか
今日は久しぶりに書店に寄ってみた。たまたまモールを歩いて気が向いたからだ。
実は先日から気になっていたことがある。温度とは何か。学校でどう教えるかだ。
1気圧の下で沸点を100℃、氷点を0℃として摂氏温度が定まる。華氏は何たらだ。
どこでエネルギーと結びつくか。物体によって異なる温度の上昇率は比熱で表される。
そして熱量がカロリーという単位で登場する。問題は物体がない場合の温度の定義だ。
こうして物理の量には日本語には馴染みがなく外来語のまま居座るものが多いのだ。
長さは尺貫法が使われていたが今ではメートル法に統一された。花火の尺球が有名だ。
旧街道にあった一里塚も4kmだ。アメリカでは頑固にマイル、ヤード、インチのままだ。
ガロンやパイント、フィートなど、日本の三十三間堂や百尺観音など生活に関わる。
寸分も違わずと言う。数学と違って物理の世界に出てくる数値は皆単位が付いている。
長さの単位がnm,mm,cm,m,km等、質量がmg,g,kg,ton等,時間がms,s,m,h等。
これらが元々はエネルギーから出来たのだ。途方もない量のエネルギーからだ。
そしてエネルギーは形を変える。電気エネルギー、原子力、水力、火力、重力等だ。
我々は水と食物を摂取して重い骨格を動かす。生化学エネルギーが動力源だ。
そして太陽の恵みの下で奇跡的な幸運に恵まれて進化し子孫を増やして来れた。
それが限界に近づいて来ているのだ。本能のままでは人口爆発が避けられない。
幸い文明が高度化することにより先進国では歯止めがかかる。しかし貧しい国は別だ。
生を受けた人間の半数が女性。子供が欲しい。これは基本的な欲求だ。本能なのだ。
単位のスケールが違っても法則が変わらないのがスケール則だ。等速運動s=vtだ。
脳科学で事故を減らすために意識や注意力を高めることを日本語で表現するのだ。
違う言葉になってしまう。日本語には科学は馴染まない、いや馴染んでいないのだ。
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