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[9月16日] これほどまでに利己的とは
このところ脳の仕組みについて整理している。年齢を考えるとボケがいつ来てもおかしくない。
哲学者を自称するには裏づけが必要だ。これまで税金で好き勝手に研究生活を楽しんできた。
他人との比較は容易だ。研究で報われた人の数はごく少数だ。大多数は無名で成功とは縁遠い。
勿論、成功とは何かとか、さまざまな成功や失敗をした人生かあるのを考える。業績評価だ。
これを自分で行うのだ。自己評価。科学者を自称するから客観的に眺めることは朝飯前なのだ。
残念ながら現役中に目立つ業績を挙げることはなかった。常に研究途上だ。途上国と同じだ。
幸いなことに今年の初頭に一切が灰色の霧が晴れるようにきれいに澄み渡った。予想道理だ。
見当を付けて推理をしていたら結果はその通りだったのだ。紆余曲折だらけの長い道程だ。
かのフェルマーの定理の解決までの時間に比べればなんという短さだ。たったの10余年だ。
教育も心残りだ。一体何人の学生が育ったか。皆、中途半端で送り出したような気がする。
教育者の家庭に育ち商才は皆無。メカとあらば分解し修復を試みるが元には戻らない人生だ。
その報いが心残りとなってわが心を苛むに違いないのだ。現役では完成しなかった研究の対象。
それが自分自身の頭の中で起こっていることを理解することになったのだ。他人事ではない。
認識とは、意識とは何かと追及し、自己認識の領域に踏み込み、やっとのことで解決したのだ。
しかしそれが公表につながらない。インターネットでこそこそと小出しに書いているだけだ。
なんとも面白い。逆説としてもこれほど奇妙なこともない。誰でも知りたがる。脳の仕組み。
なぜ目も耳も二つあるのか。男女がいて愛し合う。音楽やスポーツを楽しみよく学びよく遊ぶ。
なぜ学ばないといけないのか。こんな陳腐な問題ですら分かるように説明するのは難しい。
時間を定義しなさい。相手が何を考えているか当てなさい。どうして熱烈な恋愛は冷えるのか。
苛めはなくならない。お局もだよ。貧富の差も。そして誇りやプライドは劣等感の裏の顔だよ。
いくら練習してもうまくならないのは無知のせい。これなど誰も切れるか黙るしかないよね。
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