|
マスコミよ、そろそろ目を覚ませと言うと宗教じみてくるが、英才教育には脳の仕掛けが絡んでいる。恐らく、数学や物理の他に国語も優れている筈だ。 なぜかって? 数学は数学語で考える推理小説だから。小説家は公認の嘘つきだ。想像力がない作家は盗作するしかない。そして想像力は創造力となんら変わらないのだ。頭だけだと想像だが、手を動かせば創造になる。 もし利益が欲しければ→ http://homepage2.nifty.com/prohits
|
理数教育
[ リスト | 詳細 ]
理数系と文系の分離政策は誤りです。総合教育が必要です!(http://homepage2.nifty.com/prohits)
|
自然数が0(ゼロ)を含まず、1,2,3,・・・という正の整数の集まりのことであることが分かってくると、集合の概念が出来てくる。2の倍数を偶数、1が余る整数が奇数という集合の概念はこうして掛け算や割り算と共に脳に創られる。そして整数に対して、半分とか3等分、4等分など、整数同士の比K:L、或いはL分のKという‘有理数’が分数として創られる。反対の概念から発展した具体的な例である。さらに、2乗(または自乗)したら整数になる数が考えられ、その中に無理数があること、2乗したら負(マイナス)になる数が虚数、実数と虚数で複素平面上の点の位置が表わせること、複素数まで来ると完成してその先が必要でなくなることなどが分かったのである。 2.計算から数学へ 集合の中でも‘1’やゼロは別格である。積は、1*K=K*1=K、商もK/1=Kということは誰でも知っている。このとき数字1の意味は、単位‘e’のことであるが、この意味を教えないから単位を理解できないばかりか集合論も前に進めないのである。速度は物理の話なのだが、算数や数学の応用問題によく顔を出す。これを批判できる人はいなかった。意味論について誰も知らなかったからだ。s=vtという公式を記憶することは簡単だ。しかし単位という概念の建設は国語の問題だ。こうして知識は総合的に連想記憶で結ばれて出来上がって行くことが、分かるだろうか。 3.文句ばかり言うお母さん コンプレックスを持つお母さんほど文句を言う。当然だ。充たされていれば文句など出ない。数学の対偶を知らないで目をきょとんとするばかりだ。すべては始まりがある。出来の悪い子どもは、出来の良い子どもがいるのと全く同じ理由で存在する。先を読めるかどうかが鍵だ。「後悔先に立たず」を習った筈だが、人は必ず後悔する。なぜか。目先に目が行くからだ。子どもがどう育つか知っている人はいない。 幼児とそれ以前の時期の躾けの不足は、悔やんでも悔やみ切れない大損失なのである。子どもの脳は既に発達している。うまく刺激を与えないと発達が阻害されてしまう。それを虚栄心で誤魔化すのがコンプレックスお母さんのヒステリーになる。時間に関する我々の感覚は、まだまだ真剣さからはほど遠い。もともと人間は怠惰な動物なのである。それでもなんとか暮らして行けると思い込んでいる。いや、実はそう思い込まされているのだ。 4.では手遅れをどうするのか このブログを書いていて分かって来たのだが、余りに手遅れだと強調しないでもう少し元気付けることは出来ないだろうかと、予期しなかった別な考えが出て来た。方法はある。意味論を学ぶのだ。言葉がすべてといっても良い。こどもの教育、両親の責任と会話を通しての議論が、母親の虚栄心を認識させる。母親の脳を改善すること、これが答えだ。そうでないとヒステリーによる精神的疲労から過剰睡眠、そして病気や早死にといったリスクを負うことになるのだ。
母親が支配欲を強めることについて触れたが、健康でなければ意味が無いことは明らかだろう。母親こそ本能で生きている証しだ。読者の中に怒りの声が上がることを期待しているのがお分かりだろうか。挑発している理由はお分かりだろうか。なぜ、このブログを立ち上げたか、その真意はお分かりだろうか。無知は許されないのだ。そして文明を維持するためにはアメとムチが必要なのである。(続く) |
|
ひとつ、ふたつ、・・・と数えるのに対応して、‘1,2,・・・’という数字と足し算の‘+’の記号が造られた。さらに、1個あったりんごが食べてしまってない。しかし記憶が残っているため、「ない」ことが分かる。それで‘0(ゼロ)’と引き算の‘−’も必要になった。数の大きさを比べることから、1−3は計算が出来ない筈だ。このとき、目を使うのだ。 南に向かって立っているとする。3歩前に進むことと、(−3歩)南に進むことの意味を考える。−3は+3の反対だ。南の反対は北だ。だから、3歩バックする、つまり、北に3歩行ったところに移動することになる。この反対の考え(概念)をいろいろな例で、早く学習させることが極めて重要なのである。行く−帰る、捨てる−拾う、などの動作から、形容詞の、値段が安い−高い、背丈が高い−低い、大きい−小さい、黒い−白い、という風に沢山ある。このとき、「値段、背丈、色」などの概念が出来ていないと反対の言葉が出て来ない。「行く」の反対は否定の「行かない」に直結してしまうことになる。これが早とちりの例である。 2.掛け算の反対は割り算 −倍の反対は半分− りんごやすいかやピザを半分に切る。30センチのものさしを2回使って倍の60センチの長さのひもを作る。+1の倍は+2だが、+1の半分は+0.5になる。こうして正負とゼロの整数から小数が必要になる。有理数は整数の分数で表わせること、ルート(√)2やパイ(π)は無理数であり、これらを総称して実数という。大事な変化は、一つ、二つと数えたときから、数には数直線や平面に原点を決めて目盛を振ると、対応する点があることを連想するようになることである。しかも、この点はどれも大きさがないのだ! 3.新しい概念の建設と社会規約? −暗黙の了解の落とし穴− ここまで来ると、数学の領域に入っている。例えば、分数には必ず分母と分子があり、等式には‘=’のイコール記号を挟んで、左辺と右辺が必ず両側にある。これなど馬鹿げているくらい当たり前過ぎだ。しかし、規約を覚えるときにはこれに気が付かないといけない。つまり、「同じ数を分母と分子に掛けても割ってもよい。同じ数を左辺と右辺に、足しても掛けても引いても割ってもよい」という厳然とした社会的ルールが基本的な数学の規約なのだ。 x−1=2 から x−1+1=2+1 として x=3 が求まる。 2−x=−5 から −1を辺々に掛けて x−2=5 とする、などのプロセスを通して方程式が解けるようになるのである。 4.何事も反対の概念で考える −だれでも皆、二重人格者なのだ!− こうして数学は人間性を変えることになる。反対のことを考えるのが数学である。対偶は論理の出発点にある。哲学者は数学者なのだ。そして人間の脳の構造と仕組みによって、人は皆、二重人格者であることがその裏付けになっているのである。(続く)
|
|
6−6.お母さんが知らなかった算数の教え方 −えっ、国のせいなの?!− 1.はじめに ー知らなくていいという落とし穴だって!− これまでの学校の教え方の最大の欠陥を指摘しよう。それは先生がよその子どもを教える仕組みのままだからだ。私が本気で教える場合は、先ず子どもの頭の出来具合を診る。そしてどこまで育っているか、たとえば、忍耐力は、興味の対象は、分かったことをどう表現するか、会話の能力は、などを診断する。これは医者がすることとなんら変わりが無い。そして、背景の家庭とくにお母さんの隠れた顔を推理する。なぜかというと、教育はこどもの頭を洗脳することだからだ。独裁政権では独裁者の命を長く保とうと必死で、国民を洗脳することは誰でも知っている。しかし、洗脳って何ですか、と訊かれても誰も科学的な説明ができなかった。だから、一種の早とちりで洗脳は恐いと思い込んでしまう。 2.意味から教えること −意味ってなーに、に逃げないこと!− 学校ではできないことがある。学校や塾では集団教育になる。集団とは誰が理解したか分かる反面、理解できない子どもに分かった振りをさせる圧力が生じる。お母さんの虚栄心の原点は社会構造にあるのだ。そして教育の名医がいないと来ている。政治家が教育の問題を語れないのは虚栄心を作り出す社会的圧力のためだ。最も本質的な点は、プライドを第一とする高度文明社会では、人間の隠された人格の教養を高めるには手遅れになりがちなことである。 一旦、虚栄心を心に確立したお母さんには到底信じられないことだが、敢えて言うと、子どもを優秀に育てることは不可能なのだ! 勿論、脳の仕組みを知ったからこのように極論できるのだが、これを聞いて怒らないお母さんはいないだろう。ではその怒りは誰に向けたらよいのだろう? 3.勉強の意味 −勉強しなさい、と叱るより前にやることがあるって?− 「勉強する」とは学習することだろうか。教科書に書いてあることを理解するのなら、日本語の勉強が先ず第一だ。そして記憶することが勉強だろうか。さまざまな要因が絡んで子どもが育ってきた。子どもはお母さんと同じく一人ひとり違っていて個人差があると思いがちである。医者は病状から類型化して対処法を考える。違うことは身体の症状が手当てを必要としていることだ。 実はこどもの脳も手当てを必要としているのだ! 必ず思春期が来るように、DNAコンピュータによる身体の、そして心もだが、完成に向けたプログラムは休まずに働いているのだが、そのような自覚は教えられない限り、変化中の当人には分かる筈がないのだ。これを支援するのが教育の役割であり、教育者の責任なのである。では、お母さんはどうしたらよいのだろう? 4.身体で勉強する?? −この意味を理解できるかな??− 身体とはなんだろう? 欲求を生み出すところというのが答えだ。何のための欲求か。成熟するためだ。つまり本能だ。そこでまた、早とちりの名人に釘を刺す必要がある。金儲けをしたいという欲求は本能には無かったという事実である。「そんな馬鹿な!!!」と叫ぶのが分かるが、本能とは自然の中で生き延びるための欲求なので、お金なんて自然にはないではないか、と言うと全員が黙り込んでしまう。
つまり、成長する段階で学習して学んで行くときに、新しい欲求が生まれる。それは環境に応じての話だから本能とぶつかることも多い。このときに冒頭で述べたように、洗脳による身体の側の脳の教育が鍵になるのだ。だから脳と心は身体の健康と密接に関係しているのだ。(続く) |





