脳と心、物理、数学そして音楽、健康、癒し、スポーツの科学

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理数教育

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理数系と文系の分離政策は誤りです。総合教育が必要です!(http://homepage2.nifty.com/prohits)
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6−5.またしても早とちりの名人さん! −否定と打ち消しが好きなお母さん、反対って?−

1.はじめに −反対と否定の混同−

 前回の内容について何人かのプライドの高いお母さんから間違っていると指摘を受ける。等式の両辺に同じ数を加えても引いても掛けても、同じ数で割ってもよいことは知っている。足し算の反対は引き算はいいが、掛け算の反対は割り算というのは違和感があるというのだ。これは言葉の綾なのだろうか? 違和感を感じることは正しい。自然は人間をそう感じるように進化させたのである。黒い大きな物体が迫ってくると怖い、或いは、恐ろしいと感じる。この反対はと訊ねると、「感じない」と言う。これは正しくない。「悲しく感じる」の反対は「嬉しく感じる」だ。「悲しく感じない」ではないのだ。

2.なぜ引き算と足し算は同じか −向きが反対なだけ、ベクトルの考え方だ!−

 正と負は0(ゼロ)を挟んで反対側に位置する。正方向を右向き、負の方向を左向きに取ると、「足す3」とは右に3移動することである。「引く5」は左に5移動する。では、右に(−2)移動するとはどういう意味だろうか? 答えは左に+2移動することである。3−2=3+(−2)=1の意味である。
同様に、1+1=(+1)−(−1)=+2=2は、初め+1の位置にいて、左に(−1)移動する、つまり、右に1移動することだ。数の正負の反転が右と左の方向の反転へと意味が変わることが理解できるだろうか? これが分かるためにはある程度の忍耐力が要る。お母さんは自分にはその忍耐力がないことを自覚しているのだ。それにも関わらず、お子さんにはそれを強要する。これは大変な身勝手ではないか。それを先生のせいにする。子どもにはもっと早くから忍耐力を身に付けさせないといけなかったのだ!

3.音量の強さはdB(デシベル)で計る −対数は自然に備わった計測の基準−

 例外は勿論あるが綺麗好きのお母さんは、散らかっていると片付けなさいと叱る。どれだけ散らかっているか計れるだろうか。空港周辺や新幹線、高速道路など騒音公害は社会的な問題である。音や熱とか情報には膨大な数の分子や原子が関与していて、個々の変化を追うことはほとんど無意味である。このような場合には、集団としての性質であるエントロピーの概念が必要である。このように、自然には個と集団がそれぞれに意味を持っている。放電や刺激の減衰曲線など、対数関数は自然界には普遍的に見られるが、その理由は、関与する要素の数が多いことによる。この対数を使うと掛け算は足し算に、割り算は引き算になる。

4.物理と算数の混乱 −単位がついた量は物理だ!−

 算数の応用問題には速度に関するものが多い。時速30kmなどと速度が関係する問題が小学校の高学年になると頻繁に現われるようになる。しかし、これを機械的に教えることはできても、内容を理解させることがどれだけ大変か、分かっている教師は殆ど皆無である。ここには物理の概念と数学の抽象概念のぶつかりあいがある。(続く)
6−4.算数と物理の混乱 −数学はおきらいですか? ではパズルは?−

1.お母さんは数学きらい −それなのに子どもには数学をさせたいって−

 お母さんは数学って嫌いと思い込んでいる。でも家計簿をつけたり安い店を探すなど数字にはとても厳しい。つまり算数は必要なのだ。そして、算数から数学へ移行するときに、数学の先生が問題があると一生数学が大嫌いになってしまう。そしてパズルが好きなら疚(やま)しさを感じながら解くことになる。算数と数学はスムーズにつながらないといけない。

2.数(かぞ)えることから存在へ −数(すう)の世界−

 前回、述べたように自然数から0(ゼロ)とマイナスの概念が生まれて整数の存在が確認できただろう。そして直線を引いたり長さを測るための物差しのように、目盛を振った数直線を考えると、−3,−2,−1,0,1,2,3,・・・と負の整数から0を経て正の整数へと規則的に並ぶことが分るだろう。ここまで来るのは難しいことではない。問題はここからである。社会的通念または暗黙の了解があるのに、数学者は気が付かない。そのために教えられない。それで習う方は理解が出来ないのである。
 仕掛けはこうだ。整数という集まりがある。マイナス(−)の符号は引くという意味から場所の指定に使われるように変化した。+2も”足す2”から2の目盛を指す場合があるように意味が変わり、5−2という計算が(+5)+(−2)となって引き算が消え、足し算になる。1+1も(+1)−(−1)と引き算にできる。こうして加減算が数直線上で右にいくら動くか、または左にどれだけ移動するか、という演算の考えに進むのである。

3.イコール(=)の意味の変化 −動から同じ状態の表現へ−

 はじめ数の計算から出発した時には、1+1は2、2・2が4(2x2=4)のように、計算式が2に”なる”という原因から生じる結果と教えられる。正しい答えを出すことという制約が先ず初めにあるのだ。間違えると人格を否定される。どうして間違えたのかが大事なのに訊いても答えられない。実は考える過程は脳の内部の変化であって、数学の表現の違いとは関係がない。イコールの意味は動的な変化ではない。
 イコールの記号”=”には確固とした意味がある。分数に必ず分母と分子があるように、イコールには必ず左辺と右辺がある。そしてこの二つは等しい、それも完全に等しいのである。例えば、9や0がどこまでも無限に続く無限小数を比べると、0.999…は1.000…と等しいか等しくないかのどちらかしかない。実は完全に等しいのだが、直感は小さいと感じる。そして論理的でないとどこまでもそれが続いてしまう。
 証明はいくつかあるが、例えば差を作る。
  1.000… − 0.999… = 0.000… = 0
∴ 0.999… = 1
 あるいは、0.999… = 3 x 0.333… = 3 x (1/3) = 1 としてもよい。

4.社会的規約や規則を覚える −なんか数学って社会みたい!−

 数学は実は国語とよく似ているのだ。数学ができないのは国語ができないのと似ている。国語は外国語の場合と殆ど同じで、「言葉を使って考える」という脳の仕組みが基本にある。そしてすべてに共通しているのが、言葉の意味の理解である。これが立ち遅れているのだ。例えば、「認識する」、「精神」、「時間」、「心」、「意識」、「考える」、「平和」などの言葉の意味を述べよ、という問題が試験に出たとしよう。答えられるだろうか。だれもできないだろう。因みに、
 「鏡を見ると左右が反転して見える。ではなぜ上下さかさまにならないのだろう。」
という問題はどうだ。すっきり納得できる答えが得られない問題はやまほどある。意味論の立ち遅れは、教育、学習、脳の発達のすべてに影響していて、教師の質を年々落とすために、できの悪い大人を作り出す。倫理意識が育たないのもそのためである。倫理の意味が教えられないからだ。
 話を、等式に戻そう。数は実数の世界である。ここで覚える規約は、
 ・左辺と右辺のそれぞれに同じ数を、足しても引いてもかけてもよい。
である。ついでに数学には意味論からの基本的なヒントがあり、それを示そう。
 ・マイナスの反対は? 足し算の反対は? 掛け算の反対は?
のように、”反対の概念”が必ず出て来るのだ。だから0(ゼロ)でない数で辺々割ってもよいことになる。割る数の逆数をかけると考えるのだ。

5.方程式を解く −分からない数をx(エックス)とおいてはいけないの??−

 よく学校で教えないことを家で教えてはいけないと誤解している人がいる。これは改めないといけない。脳が一番活発に発達しているときこそ、教えられることをどんどん教えるべきである。子どもの教育はしつけ(躾け)の延長上にある。意味を伝える努力を早い時期から続けることが親と教師の責任である。(続く)
6−3.お母さんでもできる算数の教え方 ―将来の数学に備えるためにー

1 はじめに  −なぁんだ、そんなことか、ええっ、そうなの?!−

  算数の基本は数えることにある。おはじきは、ひとつ、ふたつ、みっつ、・・・だし、一番星みいつけた、二い番星・・・、また秋にはトンボが1匹2匹・・・、指は1本2本と数える。ではカラスが、「カァカァカァ」と鳴いたら何回鳴いたのかな? 答えは勿論3回が正しい。それならば、カラスが「カ――――――――――――――――」と鳴いたら何回だろうか?
 これが1回と感じるのが自然で矛盾がない。なぜだろう? ここには本能的に黒い大きなものを認識して身を隠すという、哺乳類の祖先から受け継いだ身を守る仕組みがある。そして視覚と聴覚は同じ仕組みで発達するのである。目を中心とする視覚は、誕生に合わせて発達する。それに対し、耳の方ははるかに早い時期に発達する。胎児にとって母親の心音は、羊水の中でも格好の刺激である。そして頭の良し悪しも、この時期の刺激によって決まると言っても過言でないのである。

2 認識の仕組み  −神経細胞による比較が基本―

  そこに犬か猫がいるとしよう。どうして「犬だ」とか「猫です」と分かるのかというのが問題だ。一番の違いは鼻と口のところだが、目も耳も違う。四足で尻尾もあって毛が生えていて似ているところも沢山ある。幼い頃はどちらも同じと見えたのが、次第に識別するようになる。比較する能力が備わっているからだ。その能力は神経細胞が持っていて、刺激の強さに対して発火するかしないかの判断をすることで実現しているのだ。
 新しい神経細胞は刺激を貰うために手を伸ばす。運良く刺激をくれる細胞と出会うと、判断した結果を誰かに受け取って貰うために足を伸ばす。そして判断が適当なら周りのグリア細胞からご褒美の酸素を貰う。酸素が貰えない細胞は死んでしまう。つまり、殺されるのだ。お母さんが無知だと、こどもの神経細胞はいい刺激を受けることができないから、無駄に殺されてしまうのだ。孟母三遷の例のように、賢いお母さんはいい環境を探す必要がある。転居できなければ自分で環境を整えることだ。
 なぜ、心音によって賢くなるのかというと、心音は途切れる。背景と異なって境があるので、「ひとつ/ある」という意味と共に、「次の」信号という意味がある。だから、はじめにひとつを意味する記号として「1を発明」し、「次」の意味に対応して、「足す1」と決めたのである。1がふたつあると「2」、みっつあると「3」というふうにして、自然数が出来上がった。
 何もないとき、認識はできない。しかし、記憶に1があるため、「1がない」ことが分かるのである。この状態を「0」と決める。そして「次」の概念の反対の概念として「前」ができるので、0の前に対し、「−1」をあてる。その前は「−2」というふうにして負の整数が作られる。負の反対は正であるから、自然数は正の整数ということになる。足し算、引き算、そして掛け算は整数の位置を変える動作というように発展する。足し算は右に、引き算は左に、プラスは正だけでなく右に移動、マイナスはその反対になる。

3. 数える動作は物理や化学で算数ではない  −単位を混乱させないために−

  鉛筆は1本2本と数える。消しゴムは1個2個、カラスは一羽2羽だ。人間は手が2本、その先に指が5本ずつある。1本の手が5本の指を持っているのは理解できるか。そこには手が作られる過程が隠れていて、「時間」を考えないといけない。1本の木が沢山の枝と葉っぱを持っているのと同じだ。そして、「倍」と「半分」の概念が出来て行く。りんごやスイカを半分に切る。1個の半分に対応する数として、小数0.5が生まれる。このとき、10進法および割り算を教える必要がある。
 大事なことは意味である。倍は2倍のことである。2を掛けることで、大きさが変わる。同様に、半分は2で割ること、つまり2分の1を掛けることである。割り算では2や5で割れば割り切れるが、いつも割り切れるわけではない。従って、分数で表すしかないのもある。こうして整数から実数の世界へと数の概念が拡大する。ここでは、日常の世界と違うことがいくつもある。これを教えないと算数が嫌いになってしまう。お母さんのようにだ!

4. 常識と違う規則を知らないと虚栄心  −暗黙の了解という罠−

  最大の常識の違いは、「隣の」という概念と、「点」の概念である。整数や点を指定すれば、隣の整数、隣の点は意味を持つ。しかし実数には隣の点は意味がなく定義できない性質があるのだ! そこでは「位置」を表すだけで「点の大きさはない」のである。直線は大きさのない点の集まりなので当然、幅はない。もし何かを言おうとすれば、反対の概念を考えてみればよい。例えば、大きさがあるとする、とか幅があるとする、としてみる。矛盾がすぐ出てくるので、これらの仮定が成り立たないことが得られる。
 しかし、位置があることで二つの実数の間には大小関係がある。「点」は大きさがないにも関わらず、「位置」には大小があることが理解できないだろう。身近にいる数学の先生などに聞いてみるとよく分かる。これを教えられる人がいなくなってしまったのだ。その代わりに「暗黙の了解」の社会的縛りのために、知っている振りをすることになる。すなわち、コンプレックスによる虚栄心の発現である。(続く)
6−2.教育ママになるわけ?! −そんな馬鹿な! でも、あり得るかも!−

1.はじめに −自分ができないことを子どもに強要するママゴン!?−
  
 お母さん、特に若いお母さんほど教育ママになりがちである。幼稚園か低学年の子供に勉強をさせようと必死である。自分の若い頃の記憶がないため、ママゴンがどれほど怖がらせるか分からない。一種の弱い者いじめをしているのに気が付かない。なぜかというと、わが子と限らず弱い者をいじめるのは快感だからだ。その科学的な分析をしてみよう。相変わらず理解できないだろうが、或いは、何かがきっかけで、「あっ、そうか!」と閃かないとも限らないからだ。

2.教育ママの言い訳 −私のために将来偉くなって幸せになってね!?−

 誰のために教育ママになるのだろうか。単純で早とちりが得意のママほど、「子どものために決まってるでしょ!」と決まったように言う。本当は違うのだ。自分の虚栄心のためだ。人間の本能は、恐ろしいほどに将来にかけて生存を続けるように進化した。勿論、寿命が限られているから、個体としては死ぬに決まっている。生存とは種の保存の意味である。子どもの母親になって、親の死などからそれが分かり始めることで女性は変身する。

3.女性から母親への変身 −恥の文化からの脱却と子どもへの転化って矛盾しない?−

 社会の中にあって女性がしおらしさを見せるのには理由がある。その理由のために男性から差別されてきたのだが、男も女も理性の面からは差がないにも関わらず、依然として格差は縮まらない。その理由が分からないからだ。社会では本能はプライバシーの問題として極力抑えることと教育され、高度文明になるほど、恥の文化が徹底する。脳と心が構造的に二つの人格から出来ていることを学んだ読者諸氏は、他人の心を読めないばかりか、自分の心も読めないことを知っている。そればかりか、誰でも社会的な顔とプライベートな欲求の顔を使い分けるように、育って行くのである。言い換えると、世の中は騙し合いの世界なのだ。そして、頭の出来の良くない人が親になると、いかにしてそれを隠すかにきゅうきゅうとなるのだ。それが劣等感に基づくコンプレックスであり、それを隠すために弱いものには威張って見せたり、いじめて憂さを晴らすのだ。

4.女性の腹いせ  −伴侶を選ぶのか、選ばれるのか、夫も妻も私が選んだと言うだろう!−

 男社会が金儲けのためには何でもやるのは、何かをやるのに勇気が必要であることと同じである。女性でも勇気がある人はいる。しかし、荒っぽいことは先ずしない。大多数の女性は、成人になれば確実に遺伝的にスイッチが入り、子どもが欲しくなるのである。選択肢は教養や育ち、出会う相手の能力や資産などにより迷いが出る筈なのに、物語的には行かず、一旦、本能的に心を奪われると益々強まる。貴重な出会いを重視する仕組みがあるからだ。そして子どもを授かった母親は、いよいよ支配欲が強まるようになっているのである。派閥の長や会社の社長や重役のように、大勢の部下や社員を使う場合は、当然に見えるが、最終的にはどれだけ自分のDNAを残せるか、が最優先する。これが自律神経系の元の隠れた人格が持つ顔である。そして理性は、それを隠して我慢する人格の顔なのである。

5.教育ママになる理由 −皆どうせ分からないのだから、えっ、これって甘えなの?!−

 親が勉強家であれば、それを見て育つ子どもは極めて自然に勉強する。それが孟母三遷の諺の意味である。しかし、動物が先行すると、楽をしたいという本能が強まる。人間に特有の躾けは、可愛い子どもを動物と見做さないと出来ないのである。一旦、この視点が失われると、容易には元に戻らない。甘やかす親が増えるばかりで、意志の弱い子どもにしてしまう。元々母親が意志が弱かったのだ。そこへ支配欲が強まるから、事態が改まらない。つまり、教育ママは家の支配に転じるのだ。男の子には出世させ、女の子には出世する見込みの高い男を理想とする教育方針を打ち立てる。そして家庭では父親に構わず、支配権が高まるように行動する。もう、しおらしさなど微塵もない。あるのは身近な親同士の見栄と虚栄心による騙し合いである。平和がいいなんて独りよがりの利己心の発想である。

6.どうすればいいのか  −本能に従っていると滅びることを学ぶことだ!−

 二つの顔から出来ているため、世の中から悪が消えることなどあり得ない! そのために警察が必要で国家的テロにたいしては軍隊が必要なのである。では、誰が命を挺して国を守るのだ? 自分の子どもは嫌だ、では平等ではない。金持ちなら欲望を充たせるかも知れない。宇宙旅行も出来る世の中だ。無知な一般人を騙せば良いのだ。こうして議論は堂々巡りをする。あなたは我慢が出来ず、「あぁ、私には分からない!」と言うしかないだろう。(続く)
6−1.理数教育の欠陥、それは意味論の立ち遅れからだ!  −どうもすべてがそこからかも?−
 (筆者注)この稿は別の【言葉と意味と哲学】のカテゴリに書いた内容と同じである。強調の意味も込めてこちらにも載せて置く。

 英語が話せない日本人ばっかりだ。一体何年英語を勉強しているんだ、とよく外国人に訊かれる。こう話すと、そんなことはありませんよ、と糾弾される。英語の試験があるし、海外に長期滞在した人も数多い。違うのだ。国際会議で座長がいて講演毎に議論する機会ができる。そこで講演者に噛み付くシーンが殆ど無いという意味だ。質問しないのではなく、質問が出来ないのだ。ここには明らかに二つの問題が見られる。ひとつは質問するのは講演者に対して失礼だという座長の勘違いである。能無し座長が多すぎるのだ。座長の役割を心得ていないのだ。英語の文化を知らないためだ。いい講演には最低三つのいい質問があるのが常識だ。しかし、招待講演で時間を知らせることが出来ない座長ばかりだ。英語を知らないからだ。その結果、質問なしという非礼をしてしまう。すべて座長が悪いのだ。間違っているのだ。すべて無知から来るのだ!
 もうひとつは、英語の意味が分かっていないために議論にならないことだ。単なる質問に過ぎず、何を聞いていたのかという顔色をされる。例によって、そんな馬鹿な、と思う心が読める。中高大学と最低でも10年は英語を勉強しているだろう。それにも関わらず英語を知らない筈はない、と思うだろう。では例を挙げてみよう。[Why?]とはふたつの意味があるがお分かりだろうか?中学生だって「なぜ?」と訳すことができる。それが海外に10年いたという人でさえ、こんな単純な質問に答えられないではないか?ひょっとして、これはコロンブスの卵なのかも知れない。いや、それにしては易し過ぎるのだ。ヒントは物理法則と時間の悪魔だ。
 状況を分かり易くして、と頼まれた気がする。娘さんが帰らないうちに電話が来る。お宅のお嬢さんはいますか、という初老の男からの電話だ。電話を取った受付嬢は訝しがる。怪しむ。しかし名乗ると院長先生に取り次ぐ。しばらく間がある。そして怪しんで切ってしまう。しばらくして娘さんが帰宅する。早速詰問するだろう。「お前はだれと付き合っているのだ?」娘さんは唐突な質問をされてなにが何だか分からない。父親の剣幕に、「なんで怒られるの?」と聞き返すのが精一杯だ。英語なら "Why are you so mad?" だ。そして電話を受けた看護婦兼受付嬢に「なんで怒ってるの?」と尋ねる。 "Why is he so angry? What made him mad?" の意味だ。
 つまり、なんで怒ってるの、という疑問は二つの意味の疑問から出来ているのだ。ひとつは怒っている「理由」だ。なぜに対する答えは通常「なぜならば」という理由だ。 "Because" で始まるのが普通だ。それに対して、後者は違うのだ。「なぜ、何があったの?」と訊くとき、真意は、何が「原因」で怒っているのかを知りたいのだ。「原因」と「結果」は説明に必要だ。これは英語の問題であると同時に日本語の問題でもある。理系と文系を分離してしまった問題でもあるのだ。理由から結果または結論に到る説明が納得するかどうかの確認作業が前者の質問の動機であり、原因から結果に到る経過を推理する作業が後者の動機である。数学では前者が多いが物理では後者が多い傾向がある。そこに「時間」が隠れているためである。これを教えられる国語、英語、数学、物理の教師は一体どれだけいるだろうか?

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