脳と心、物理、数学そして音楽、健康、癒し、スポーツの科学

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理数教育

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6.教育の秘訣または秘策はなにか?−既に手遅れかもね!−
 このブログはいろいろなカテゴリに分かれている。でたらめに書いているように見えるだろうが、実際はかなりいい加減にでたらめである。これはひとつのいいアイデアだと思ってしたことだが、考えというものは「時間」の悪魔によって、集中すれば疲れて飽きてくるし、閃くためには音楽やスポーツが必要だし、何よりも食べたら眠くなってしまうので必ず中断が入る。それで思いついたら書いてしまおうと思ってテーマを絞り込んだ積りでスタートしたのである。しかし、マグマでつながった知能火山帯は富士山において脳の仕組みについての考えを一挙に噴き出してしまった。だから、ここからは二面理論に基づいて理数教育を考えることになる。
 二面理論による脳の仕組みから考え直すと、教育とは何かが具体的に見えてくる。人間は先ず、子宮の中で脳が造られると自分で知識を獲得しようとする。生きるために必要な情報処理をするためである。ここではまだ刺激に対して受動的である。なぜならまだ筋肉を制御する運動機能ができていないからだ。次に、お産における産声から始まる声帯の運動が少しずつではあるが制御ができるようになって行くに従い、外に対して働きかけをしてコミュニケーションをするようになる。泣き方を学ぶのだ。うまく泣くとご褒美が貰えるのだ。抱いてあやして貰ったりおっぱいを貰ったりするから学習するのだ。
 目が開くとつぶらな瞳は光刺激を求めて一杯に開かれ、動く物体を認識しようと筋肉を鍛え始める。もう積極的に外界に向かって情報収集をしようとしているのだ。そして感覚器官は総動員され、フィードバックによって自分の泣く声を耳で聞くようになる。そしてたまたま「うまんま」という音が出るとご褒美が出る。そして「ママ」が言えたと言って母親は狂喜するだろう。ここではっきりと分かることは、学習には自発的に行うものと教師役がいて教えられながら学んで行くという能動と受動の二面性があることである。
 しかしひとつ重大な見落としがあることを指摘できる。何かしたらご褒美をあげる、というのはよい。記憶が生きている間は「時間」の悪魔は隠れているだけだ。けれども、何をするにしても動機がある、というのが犯罪捜査の鉄則である。殺人の場合は尚更これが重要である。無差別殺人もうさを晴らすためなど欲望を充たすためという動機がある。幼児や子供の動作も例外ではない。さあ、ここだ!
 母親を含めて子供の周囲には人がいる。全員社会のメンバーだ。盲点はここだ。赤ちゃんはまだ動物だ。なぜならまだ社会の判断を知らないからだ。それで躾によって早く社会の一員になるように厳しい調教が始まるのだ。トイレだ、言葉だ、二足歩きだ、と親は忙しい。「ちょっと、お母さん、忘れていませんか?」と言いたい。「脳の中のことですよ!」と言って思い出させるのだが、お母さんが学習していなければ思い出すことはあり得ない。つまり、「手遅れ」である。そして次の策に行くしかない。目安は妊娠6週目頃、音楽を聴いていましたか?
 勉強が好きな子供の場合、積極的に勉強をする。親はそれを見守っているだけで良い。ひとつだけ重大な問題があるが、それ以外は放っておいて構わない。興味があればよいのだ。重大な問題ってなんだろう。気になる。答えは確率論的出会いだ。いい教師に対して悪い教師との出会いはある場合致命的だ。好きで興味があった分野の芽が摘み取られる。たまに悪い面を見せて善悪を判断させる必要悪の教師に当たることもある。しかしいい教師ならそれを教えることができる。こうして問題は二面性の分岐の重なりとなって分析して行くことができる。この出会いをどう受け止めるかが将来を決めることになるのだ。このとき母親が最も主要な教師であっていい教師かそうでないかが問われるのに、殆どの場合ご自分は気が付いていないのだ!
 気が付いていないのは止むを得ないとしても、それならいつ気が付くだろう?ひょっとして一生気が付かないままかも知れない。そうなのだ。ある大事な時期に何らかの理由で勉強が出来ない場合が起こるのだ。そして後になって勉強できればいいが、重大な障害によってそれができなくなってしまうのだ。心のトラウマすなわち潜在的なプライドが自分の心にバリアを作ってしまうのだ。世の中うまくしたもので、という。夫婦がいて性格が反対だとか、似たもの同士などと都合よく言う。けれどもトラウマについて考える夫婦は皆無だ。無理もない。トラウマが何か心理学者ばかりか精神科の医者ですら何も分かっていないのだ。なぜか。彼らは科学者でないからだ。科学者でも分かっていないのだから誰一人として分かっていないというべきだ。
 これだけ過激な発言をする人はいない。だからといって反論が期待できないのが分かるだろうか。怒るのは簡単だ。問題は怒ったとしてもしばらくすれば落ち着いて来るから、そこでどうするかにかかっている。何もしないのが賢明だという結論に落ち着くしかない。発言したくとも発想が出ない。下手な発言をしようものなら恥をかきそうだ。口は災いの元だ。沈黙は金だ。だから発言しないでおくのだ。これが重なるといつでも発言しないばかりか発言する気にもならなくなってしまう。大勢で動くのならばいい。怖くない。かくして付和雷同型の人間が多数を占めることになる。これが民主主義ではないか。違うってば!ブログに書けば怒るのも勝手、落ち着くのも勝手なので是非感情の動揺を味わって欲しい。

5−7.気が付くって一体どういうことなのー?−寝過ぎないこと!えっ、何ですって!−
 「何も考えていないことにどうして気付くのか?」という問いかけは最高に優れた問題である。考え方は二つある。一つはぼんやりしている時は何も考えていないとする考え方で、もう一つは全然違う考え方だ。前者は全然科学的ではない。根拠が何か分からない。筆者がよく使う手はぼんやりした振りをすることである。これが出来るのだ。居眠りしてる振りをする。電車の中で中年以上に見える方が乗って来るとかなりの男はこの手を使う。しかし眠った振りをしても見破る方法がある。彼らはそれを知らないで寝た振りをするから滑稽で哀れでもある。
 本当に眠ると意識が無くなる。けれども意識を失うという失い方とは異なる。後頭部を強く殴打されると脳震盪を起こして気を失う。クロロホルムなどの薬物をかがされて気を失うのは映画やテレビでお馴染みだ。柔道などで羽交い絞めで落とされるとか柔術でみぞおちを突いて当身を食らわすなど意識を失う場面はいろいろとある。当身に対して活を入れるとか冷水をかける、あるいはアンモニアをかがせる、などの蘇生術もいくつか知られている。けれども意識を失う機構ばかりか意識とは何なのか、無意識と意識はどういう関係があるのかなど意識の仕組みは、これまでまだ誰にも解明されていない神秘的な領域であった。それが遂に解明されたのである!というより7年ほど前に既に解明されていたのである。
 それから実に7年あまり、完全主義に徹しようと努力しながら、この発見をいかに発表しようかともがき苦しんで来た。ただの発見なら科学論文として発表しさえすればよい。通るか通らないか、受理されるか断られるかは内容と書き方、証明法などいくつか要件に基づくレフリーの判断に任せられる。通常、学術論文は独創的であることは勿論、学術的価値が高いこと、論理が明快で分かり易いこと、などが要求される。その上でジャーナル毎に異なる選び方をする。基本的に金儲け主義の出版社の特徴は隠せない。だからリスクを冒すことはあまりやらない。
 このブログでは日本語で書いているが、内容がどうにも伝わらないのである。7年とはその理由を追い求め続けた期間である。遂にその理由を発見したのだが、それが「時間」であったのは皮肉そのものである。思い返すと大学院の授業で宇宙や4次元時空の数理などを講義していたのだからもっと早く気が付いてよかったようだが、この「気が付く」仕掛けに時間が深く関わっているのだから何ともしようがないのである。つまり、気が付くためには脳の仕組みを知らなければならない。しかし誰もそれを知らない。ということは気が付かないということになる、という論理だ。
 きっかけは推論法の発見だ。普通、推論法というと論理学か情報学そして数学だ。けれども新しい推論法は確率論に基づいた物理的な演繹法である。ファジー推論とも異なり、具体的な手法であるが勿論弱点はある。不完全な知識を元にしていかに正しい結論に持って行くか、そこには一種の閃きが必要なのだ。これがジレンマの最たるものであった。これを睡眠とスポーツそして音楽と執筆の夫々に、いろいろな屁理屈をつけて分散させて餌を撒いて大物がかかることを期待したのである。(続く)
5−6.人間性にたいする躾の影響がこんなに怖いものなのー?  −どちらを選択したところで!−
 こどもが学校から帰ってくる。「ただいまー!」と元気がいい。玄関のドアは開けたまま、靴は脱ぎ捨てたまま、ランドセルは放り投げたまま、そして母親がいなければ夜まで持ち越されるだけだが、もしその場にいれば一大バトルが展開される。「子は親の鏡」を学んでいる親なら恥ずかしいことと知っている。自分がなっていないと思われる!大変だ!だから躾を厳しくしてきたのだ。それがしつかっていないのだ! 自分の子育ては間違っていたのだ。どうする?
 これは問題ではないのだ。躾の殆どは「親が子の鏡」なのだから。よく向き合って食事をすると左利きになると言う論拠もそこにある。「言葉を教えたのも私だ。私がいなかったらこの子もいないのだ。私こそすべてだ。私に逆らったら何が起きるか分からないからね」、とまで行くと恐ろしい。忽ちいくつかの事件の記憶に連想が行くことになる。ちょっと考えただけでも出産を境にして女性から母親になると人格が変わることに誰しも疑いの目を向けることなどないだろう。変わってもよいし仕方がないからだ。次の世代とはそれほど貴重で大切なのに、それを殺すとは!
 大阪や秋田、そして首都圏で起こる身の毛もよだつ殺人事件! そのたびに誰も答えが出せない。そればかりか自分の子供の学校でなくてよかったと胸をなでおろす。この感じ方に対して共感するか、違和感を持つかは誰も問わないし問えないのだ。いじめの問題も大きな社会問題だ。日記やメモによる自殺した子供の苦しみや悩みの気持ちは想像にあまりある。そしてこれも自分の子供に限っていじめる筈は無いしいじめられて自殺などする子ではないと思う。自分の子供で自分が躾けて自分が一番よく知っている。私の分身だ。私がいじめられていないのだからあの子もいじめられてなんかいない。私が自殺などしないのだからあの子もする筈がないではないか、と強気だ!
 自分がなぜ攻撃的になったかは恐らく気が付かないし気の付きようがない。なぜなら子供に対する愛情のせいだと思い込むからだ。我が子のためなら火の中水の中、死さえ恐れないのが母性愛だ。我が子を敵から守ることが最優先だ。そこで守ることが攻めることと殆ど同じ概念であることを知らないのだ。ただし、忘れてはならない条件がある。これを読んでいる今現在と、何かが起こってしまった将来のどこかの時点、これは今日の午後になるかも知れないし、5年後に来るかも知れない、あるいは来ないかも知れないのだが、兎も角起こったとしたらその時点で何が違うのだろうという視点で考えることだ。
 「うちでは厳しく躾をした。子供もおとなしいし、よくしつかった方だ。学校でのことは分からないが先生も何も言って来ない。何かあるのではと心配ばかりしていたらきりがない。私達の小さい頃はいじめなんてしょっちゅうあった。親友もいたから楽しかった。ああ、数学の先生だけは嫌いだった。威張ってばっかり、あれ以来数学が大っ嫌いになったのだ」などと発展して行く。どうしても鏡を見て化粧をする時のように冷静になった積りで何も考えていない自分に気が付かない。何も考えていないのだから気が付く筈がない。能天気と同じで気が付かないことに問題があるのだ! (続く)

5−5.躾の効果と数学との関係だって?−そんなことが起こるなんてあり得ないか!−
 躾は赤ちゃんを動物から文明社会の一員としての人間に格上げする大事な教育である。赤ちゃんは生まれたばかりで目も開いていないから、まだ頭がよい筈はないと思うだろう。ところが大違いだ。名前だって覚えているし、粗いけれども目が開いたらすぐに動くものを認識できるのだ。証拠はいくつもある。泣いている赤ちゃんに子宮で録音した心音や時計の音を聞かせると泣き止む。他の音と識別できるのだ。最近では誕生前でも子宮内の赤ちゃんの性別が分かることから、名前をつけておなかの赤ちゃんに話しかけるお母さんがいる。生まれて呼びかけると泣き止むとか何らかの動作で識別していると感じるお母さんが何人かいる。時計の規則的な音でも安心感を抱くことは眠ることで裏付けられるが、仔犬や仔猫でも認められる。これらは参考になる事実だが確実に再現性があるというわけではない。そのためこれまで科学論文では取り上げられなかった。本能に到っては誰一人として科学の対象とは思ってもいなかった。
 本能を定義しようとするとどうしても経験や体験を元に演繹しようとする。例えば二本足で立つときにころんで怪我をしないように反射的にあごを引くとか足の裏でものを掴むような動作など誰からも習わないにも関わらず生まれつき持っている行動パターンを指すことになる。今では動作は少なくとも3種類あることが分かっている。反射運動と意識化の動作、それに無意識の動作の三つで、どれも筋肉の動きが絡んでいる。初めの反射は詳しく調べられている。熱いものに触れたような緊急時に脊髄まで信号が行くと即座に筋肉に指令が帰って来て手を引っ込める。しかし意識が感じる前に手が勝手に反応する。脚気のテストでも膝下を叩いて反射の有無を調べる。
 意識と無意識の動作は議論の沸騰するところだ。現象心理学や応用心理学が何とか科学に昇格させて貰おうと必死だ。しかしいくら努力しても科学としての洞察力がない限り、十分な演繹も帰納も出来ない。無無識と意識の定義も出来ない。F.クリックが意識を科学的に研究しなければ脳研究が進まないこと、そして今や研究すべき時期に来ていることを主張したのはもう10年ほど前になる。そして意識を科学的に研究しようと国際的な会合がいくつか組織化されて筆者も何度か参加したのである。しかし主に文系の研究者の集まりの中では異端視されるのが関の山だ。これから述べることも理解出来ないだろう。
 躾は排便から始めるだろう。夜泣きを叱り付ける親はそうはいないからだ。これがしつかると楽になるから若い母親は必死でしつける。このとき母親の頭は何をしているだろう。厳しい躾が我が子の頭脳を萎縮させることになるなんて考えないことは明らかだ。なぜそうなるかも考えない。ただひたすら楽になることだけを考えているのだ。これが愛児を正常な人間にする唯一の道だと固く信じて疑わない。これを疑ってかかるなんてとんでもない。小児科医の話をいくら聴いても誰ひとりとしてそんな馬鹿げたことを話す人はいない。
 しかし赤ちゃんの脳は発展を続けている。いつから発達を始めたのかは分からないがいつの間にか手足を動かし口も使い大きくなって行く。目も開いて大きな瞳で見る。笑う。そしてそのうちに母親の忍耐も我慢も切れるときが来るのだ。勿論父親の責任もある。前にも書いたが若い女性は闘争本能を隠している。一方若い男子は将来性を喧伝するがあくまでも将来のことだから確実性は保証されない。そして運命的な出会いによって愛情を感じて結婚する。そこに本能が隠れているのだが勿論本能はそれを教えない。それどころか本能がそう仕向けているのだから知ることが出来ないようになっている。そして育児本能が現われると母親は自分の分身に対する愛情と育児のための闘争本能の板ばさみになる。夫のほうはそうとは知らず次第にとばっちりを受けて恐妻家になって行く。プライバシーの陰に隠れて表に出ないことが多い離婚にはこのような経緯があるのだ。そしてこれが育児と躾にもろに影響を及ぼすのだ。(続く)

5−4.自然界には1も2もないだって?     −そんな馬鹿なことがあるのか!−
 どうしても考えられない人はそう多くはいない筈だ。なぜなら子供の頃にケーキを二つ出されたら必ず大きい方を選び、同じ量なのに2個に切ってあるのと1個では2個の方が大きいと思って選んだことが必ずあるからである。ないと言う人は忘れただけだろう。夕闇が迫る頃一番星を見つける。続いて2番星など数えることは比べることと同じく数学の基本である。夕空が茜色でも反対側はもう暗い。グラデーションの中に何もない!けれども次第に暗くなり目も暗さに慣れてくると星が見えて来る。このとき1個という概念を認識する。
 背景の中に目立つ点か境界で仕切られた領域があるとき1個、1本、1人、1匹、1羽など単位を付けて対象を限定し、その対象が「ある、いる、存在する、見える」という概念から「数えられる」という概念が加わり一本の指と比較される。そうすると単位が違っても指が1本に変わりはないことから、「1」という抽象概念が形成される。指が2本なら「2」の概念となって「数」の概念と集合と要素が定まって行く。これは開集合であるがしばらくは10本の指とか二人で20までとか10進法で100までなど数字の概念が確立する。記号あるいは文字「1」は、この概念を分類して他の概念と区別できるように作られ選ばれたのである。
 万里の長城のように昔の人間によって建造された人工物が自然には出来ないのと同じく、概念も自然にはない。イメージと共に頭の中、脳の記憶の中にだけ作られ、しかも誰にも見ることが出来ない。言葉と文字の発明によって記憶が確認出来るようになり概念が名前と対応付けられると、見えない概念は次第に注意されなくなって行く。言葉の方で意味を文章で表すことで辞書が作られると概念の形成は個人に任されることになる。形成には労力が要るため個人差が生じることから、概念を多く知っているかどうかは能力と見做されるようになり頭の良し悪し及び知識の量という視点で個人を評価するようになった。
 しかし、記憶や思考に関する脳の構造が分からなかったために概念の形成や概念そのものが何であるのかが科学的に解明出来なかったのである。数学は抽象概念を扱うので更に個人差が如実に現れる分野である。従って意味論を教えられないと理解が出来ないのである。他の原因でこれがカバーされると数学者になれるのだが、それは確率的である。だから音楽と同じ様に天才の出現によって進展があるのである。(続く)

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