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5−3.数学の出発点は抽象概念にあるって?−道理で分からない筈だ!−
数学というと文系の人は即座に、「えっ、あの記号だらけの?」と数式がすべてと短絡して考える。既に嫌いなためにバリアを張ってあるからそれ以上踏み込めない。これでは子供の教育はおろか科学の理解は出来る筈がない。そこで先ずこのバリアを取り払うことを考えなければならない。しかしそれは口で言うほど容易ではない。意味論が隠れている上に数学と物理を極めないことには何が問題であるか分からないのだ。井戸の中で自分が正しいと思っているだけでは自分のシステムが持つ欠陥も客観性も育たない。ここでもうまく行く保証はないが、少なくとも論理的に試す価値があることははっきりして来た。一見無謀に見えるが試みてみたい。 先ず、水滴の合体の問題を思い出して欲しい。答えはまだ言ってはいないがすぐに分かる筈である。そこでは1プラス1が1になると観察したのに数学では許さないのかという点が問題である。応用問題ではこの種の文の意味上の解釈が一通りでないことが起こるので国語力がとても大事なのである。ここで意味が不定とはどういうことなのだろう。文章は平易でどこにも難解な漢字も表現も出て来ない。しかし注意して見直してみよう。数学でなく物理の視点に切り替えて見直してみよう。最大のポイントは時間が隠れていることである。時間は動きであり変化であることが意味からくる概念としての結び付きである。記憶が連想であることの自然な帰結である。 「1になる」というときの「なる」が変化であるが何が変化したのだろう。2個あった水滴の状態が1個の状態に変化したのである。さあ、気が付いたと思うが自然界には1とか2、ましてマイナス1やゼロは存在しないのだ。これらは抽象的な概念でありそれにつけられた名前と記号なのである。もしひとなら一人、腕と足が2本、腕の先に五本の指がついているという表現から分かるように数字には単位がついている。同様に「=」も記号である。その意味は左辺と右辺があって、それらが厳密に、そして完全に等しいことを表わしている。状態の変化を表わすという規定はない。1個と1個が合体して1個になるのは全然無理の無い素直な表現である。何か勘違いをしたのではないのだろうか?(続く) |
理数教育
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5−2.トラウマにはトラウマで対抗!−それが具体的にやること?−
大概の先生が理数系の教育ができないことは明らかである。文系の人だって意味論をやっていないし集合論も知らない。ましてや数学と物理の違いなんてまるで分からない。試しに「時間とか認識なんて意味を知ってますよね。では分かりやすく定義してみて。」と訊ねてみるがよい。心でも精神でも犬でも猫でもよい。数学者は定義から始まるにも関わらず言葉の定義や意味までも習ったことがない。だから本心はコンプレックスだらけなのだ。それで数学という名前が消えてしまったのだ。天才でなければ過去の証明を教えるだけだから誰だって出来るわけだ。先生が教えられないなら子供はどうなるのだろう? 子供がもっとも信頼しているのはお母さんだ。その信頼に応えるべきだ。勉強、勉強と抽象名詞を連発するのをまず控えましょう。具体的に動詞を選ぶことで何をするのか伝わるようにするのだ。「この問題を解きなさい。」というのはよい。できたら後で質問するからね、と言って理解度を確かめる。出来れば朝の目が覚めた時に確かめるのが理想である。睡眠中に記憶の整理と整頓をしていることが実感できる筈だ。できないと諦めるのは一番簡単だ。子供も親も動物的で楽をさせたいのだ。しかしこれを読んだら分かる筈だ。潜在的な犯罪者は動物的であり理性や意志の力が弱いのである。 思い出すのである。躾をしていた頃の自分を。あのときと今では何年かたっているけれど可愛さが変わったのだろうか。育児は自分がする。けれど教育は先生に任せると思い込んではいないだろうか。先生の中には勿論いろいろな人がいて教え方がうまい人もいる。しかし教育は後から分かるのだ。時間と言う悪魔が隙を窺っていることを忘れてはならない。だから信用した振りをして補助をする意味で自ら教育に加わるのだ。子供は親を見て育つというのは金言で、親の動じない態度は信頼感を高める。子供にとって本当に親身に心配してくれているのが分かれば悲劇など起きる筈はない。 こうして理数教育の本質が時間の認識に到ることでようやく出発点に立つことになる。何事にも時間が関わっていることを知るのが第一歩である。時間が来たら眠るのではない。眠くなったら眠るのが原則だがその先がある。休むために眠るのではない。記憶を整理して覚えるために眠りがあることを肝に銘じるのだ。すなわちトラウマにするのだ。なぜかはもうお分かりだろう。記憶はニューロン間のシナプス結合によって長期記憶に移されるのだ。頭が良くなるためにはこれを頭に叩き込んでいる必要がある。だから記憶には時間がかかるのである。 子供の教育にはお母さんが最適なのにはいくつも理由がある。先ず言葉を教えてくれたことで動物から人間になれたのである。さらに育児本能がある。父親にもあるが比較能力は女性の方がある。感受性も豊かだ。これらの大部分はDNAに由来している。それから現代社会における構造の問題もある。親の虚栄心とプライドの問題だ。育ちや環境などの要因が絡むので早とちりされ易いが、普通の家庭では結婚してから女性は支配欲と闘争欲が増すのである。子供を産んで育てるための自然に備わった本能である。そして苦労して育てる見返りは感動というご褒美だ。これが時間的に後から来るのだ。 理数系と言っても大したことではない。理系と数学の違いを知ればよい。現在好きでないか嫌いという人にとって幸運なことはこのブログとの出会いである。今までのよそのブログとは違うという印象を受けられたらあなたはまともで見込みがある。少なくとも興味の芽が出たからにはもうちょっと伸ばそうとは思いませんか?(続く) |
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5−1.今のお母さんに出来ることってある?−ほっとくと手遅れかも!− |
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5.理数教育は妊娠初期の音楽から! −妊娠したって分かるかな?− |
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4.なぜ女性は優しくてお母さんは怖いか? −男の言い逃れ!−
ヒステリーは男にもある。4月からは女々しいとか男らしくないと言ってはいけなくなるようなので今のうちに問題を指摘しておきたい。歩いていると向こうから男が3人向かってくるとしよう。あなたは瞬時に3人を見比べる。しかし忘れていることがある。向こうもあなたを見比べているのだ!そんなの当たり前だ、と反発させるのが狙いだが、もし、向こうから女性が3人向かってくる時と一人だけで向かってくる時では反応が異なるだろうか。男と女の違いを知ることはいけないことでそれを言うのは間違っているだろうか? 言葉や表現に制約を課す動きは一人から始まったとしても政治的陰謀が絡んでいる。もしそれが女性のリーダーの場合その女性の取り巻きの男が早とちりをしている。勿論リーダーにも責任がある。そして早とちりの原因は幼児の時の躾とさらに時間を遡って胎児の時の環境にある。優秀に育てようとする母親の心理は共通しているから正しいと思うだろう。ところがこれも早とちりで偏見である。共通していれば正しいと誰が保証し保障してくれるのだろう?極端な場合、本能はどうだ?世の若い男は勿論、女性にも本能があることは認めざるを得ないだろう。これを無視したら若い世代には将来がない。現実に文明が高度になると少子化が進むが、無関係だろうか? 筆者の視点は脳の仕組みに基づいて考え直すという一点に凝集されている。特に手付かずであった本能が絡む問題を徹底究明しない限りテロの問題も宗教上の問題も拉致の問題も国家の問題も、そして政治の問題も男女の問題も犯罪もあるいは社会の問題もすべて解決はない。そして歴史は繰り返すだけになる。現にある政治家の判断で原爆が投下されたのである。ほんの一握りの政治家の判断による決断で歴史が変わることは多々ある。そしてそれが指導者であるから国民はそれを擁護させられることになる。そこでの常套手段は国益と云う言い逃れである。分かり易い説明が出来ないとき必ずこれが使われる。そしてその陰に潜む隠れた判断の主はとことん追及して行くと最終的に本能に行き着くのである。その手掛かりが若いときは優しい女性という訳である。 勿論優しくない女性もアホな男がいるのと同じくいるし、性の問題を別にすれば男女の違いを基に差別するのはある種の意図が絡んでいるからそれを見抜いた上で正さなければならない。現に殆どの職場で金儲けが第一という隠れた意図の下で働きアリの男性が優遇され、お茶汲みだとぼやく女性のストレスが高まった経緯がある。ただし、強調しておかなければならないことがある。公の場所ですべてを明らかに出来ない問題があることだ。国家の枠組みは変わらないから国家機密は保たなければならないとか、プライバシーに関わることだとか性に関する事柄など理解できるだろう。それでいて大国と国連の関係は未解決の問題を含む。小さな国でも対等に1票あげるし、内政不干渉の原則も変わらない。それならそのルールを逆用しようと考えるのは自然に見える。そして核兵器を考える国がいくつも現われることになる。 飛躍した発想は奇抜に見えてその実、男女の本能と世界の平和と戦争をすべて関連付ける新しい哲学に到達する。その鍵が脳の仕組みにあり、本能の理解と意図的な無視すなわちタブーの設定にある。そこに躾に基づく理性の形成と片方で言いながらビジネス社会の本質が絡んでいる。21世紀の哲学の始まりを意味することになるかも知れない。いやきっとそうだ! |





