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今日からトムハンクス主演の映画が始まる。前宣伝がすごい。科学と宗教の対立? キリスト教の国が製作した映画だ。しかもハリウッドだ。面白くないわけがないか? 誰かの批評を待つか。自分で見に行くか。勿論、見に行きたいのはやまやまだ。 見たとしたらどうなるか。当然、批判することになる。あれは科学ではない、などとだ。 しかし、見ないで批評ができるわけがない。これは興行なのだ。 と言っても、問題はそんなに単純でもない。宗教戦争は長い歴史を持っているのだ。 人の心を縛るのが宗教だ。信仰心を持続するかどうかは、社会環境に依る所が大きい。 特に日本は、ますます高齢化社会に向かっているのだ。宗教と科学は対立するのか。 既に書いたことであるが、宗教には神の概念がつきまとう。その神が曲者なのだ。 支配する側にとって都合がよいのが宗教であることは疑いのないことだ。しかしだ。 なにごとにも、おとしあながある。どんな宗教にも、神にさえもおとしあながあるのだ。 日本の仏教の歴史は長いが神道はもっと古い。インドでは仏教よりヒンズー教だ。 キリスト教が愛を掲げる。仏教が諦めの平安を謳う。天国と地獄はどちらにもある。 そして、こわさは死んだ者がゾンビとして再び現われて、生身の人間を襲うところにある。 一寸待った! 勿論、興行だから快楽を追い求める観客の楽しみを奪うつもりはない。 そうではなく、隷属的な国民になって落とし穴に気付かないどころか洗脳だよとなる。 生きている人間や生き物は筋肉があって、動くのだよ。ゾンビに筋肉があるかって。 そうだ。筋肉の代わりにモーターを使えばよいのだ。そしてトイかロボットができる。
無知なる庶民よ、恐れるな。パワーはエネルギーの単位だ。勇気もパワーだ。 庶民のパワーで支配者層を益々富めるセレブに高めよう。あ、これは面白い発想だ。 |
生命と神
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生命と神の正体は何かが掴めた。なんとも空しいことだが、植物の延長上にあり、宗教観が全く変容する予感がする。ごく当たり前のことだらけなのだ。(ホームページ→http://homepage2.nifty.com/prohits)
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数年前イタリアのペルージャの街の窓々に「グァルダ、ドヴェバイ」の垂れ幕が下がっていた。足を踏み出す前によく見なさい、という意味だ。われわれの頭は一つしかないから、何かに集中すると、他のことに気が回らなくなる。しかし、運動神経は並列にこなすようになっている。その仕掛けは、仮面理論にある。本能に従って活動する、又は活動したい大脳に対して、小脳が運動を担っていて、学習をするにも社会の制約に対しても理性と言う仮面をかぶる。運動をするにも練習が必要で、試行錯誤が欠かせない。英知が高くなると、試行錯誤からシミュレーションに進歩し、リスクを回避する方向に進む。 2.人間はだれでもロボットと同じ −そんなバカな! 絶対にあり得ない?− 人間と対話ができるロボットをヒューマノイドと言うが、このようなロボットを製作するには、脳の仕組みを知らなければならない。世界中で大勢の研究者が脳の仕組みを研究しているが、果てしない夢を叶える最終的な課題とも言える。その中で誰かがその仕組みを発見するのだ。いずれ分かることだ。そのとき、何が起きるだろうか。それをシミュレートすることは可能だろうか。先ず、考えられることは、否定的な考えだ。人間と違ってロボットには心がない、と言う。心とは何か知らないにも関わらず、そうあって欲しいという願望が仮面のあなたにそう働きかけるからだ。 3.対話こそ人間の証し −ここには途方もない重要機密が?!− 対話には言葉が必要である。無言の社会は存在しない。なぜか。情報の伝達のためばかりではない。情報力学理論から、ビッグバン以来のエネルギーの拡散が、四つの異なる相互作用によって、局所的に再結合することで、構造化する。炭素のネットワークによってアルコールやアミノ酸を初めとして有機化合物が作られ、DNAからいきものを作り出した。胚性幹細胞とそれからできる神経が、ネットワークを作り情報を記憶し、言葉を作りだして思考能力を獲得したいきものは、自然に逆らって構造物を作り出した。ネットワークこそ、自然の崩壊に対抗するための構造化そして組織化の鍵なのだ。 4.対話型ロボット同士が対話すると、だって? −そんな馬鹿な!?− ロボットが対話する。あなたのレベルでは、まだ想像できないかも知れない。対話型ロボットがロボット同士で対話する、など、あり得ないことだ。では、ロボットはロボットと対話できないのだろうか。対話してはいけないのか。どうしてか。誰が困るか。あまりに唐突な話なら、時間をかけて考えよう。意識はすぐには変わらない。いつも、仮面人間を通して大脳の記憶が作られて更新されるためだ。 5.ロボットの価値観は一体全体 −教師の役割、えっ、ロボットが教師!− 善悪の倫理観は絶対的ではない。本能の価値観は動物と同じであり、これによって生存し、生を享受する。しかし、社会にとっては個々の闘争本能を抑制しなければならない。一方で、警察や軍隊を持つのは社会の秩序を維持するために必要だからだ。そして、組織に投じられた個々の人間は、組織の維持こそ生き延びるための目的だと教え込まれる。そして、保身に走ることになる。プライドはそれをカバーするために必要な、逆の仮面だ。だから人間の教師でも好き嫌いが生じる。それならいっそのこと、ロボットに教師をやらせることはできないか、と考える。コンピューター・ネットワークは既にこの働きを行っているのだ。 |
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神の正体が超大エネルギーだと結論付けてから1ヶ月が過ぎた。何も変わらない。無反応という反応は何を語るか。脳科学は無反応の中に反応を観察する。多少見苦しいような議論が前回の投稿記事にコメントとして続いた。ここに、望みがあるとするなら、それは何か。短い応答で逆に扇動しているように見える。そうなら、卑劣なやり方だろうか? 2.人間はだれでも嘘つきなのか −そうなるのだって!?− 嘘つきが全部悪いわけではない、といずれ分かってくる。そもそも、全くの無防備で生まれてきた赤ちゃんは、言葉を話せない。しかし、恐るべき自然の仕組みは、赤ちゃんが愛されるように仕向けながら、その実は、母親の身体を否応無く自分のために奉仕させる。そして、間接的に父親もだ。そうとは知らず、人間は生長し続け、やがて成長を遂げる。そこに隠れている変化の機構はなにかが主題である。 3.DNAに隠された秘密 −これはまるで重要機密だ!− 受精卵が卵割をする、つまり胚性幹細胞が分裂を繰り返す。これは自己複製を行っているのだが、その仕掛けはDNAにある。プログラムにしたがって生化学反応が連続的に進み、身体の建設のための組織化が初めに営まれる。そのために欠かせないのが、神経細胞の登場だ。空間を占める多数の細胞がきっちりと整合し、プログラムに従って建設されて行く。神経によるネットワーク通信がなければできない。そして組織化は脳に総合統括本部をおいて、心臓をエンジン、血管を輸送路、筋肉をつければ身体機構はロボットと見做される。勿論、精密さは本物に敵わないが、力は負ける。そして精密さの鍵は脳による制御の仕組みにある。身体の建設が段階的に行われるように、脳の仕組みも段階的に変化するのだ。しかも当人には分からないように変化して行くのだ。 4.当人にわからない変化だって? −そんな馬鹿な!だけど聞きたいって?− 子育てをした人は、反抗期があったことを思い出せるだろう。なぜ、反抗するのか。「なぜ? どうして?」という問いかけに対して、「そうなっているから、そうなるように出来ているから」という答えでは、英知は生まれないと前回に書いたが、何度でも書く価値がある。疑問に対してその理由を考える習癖が身に付いた、或いは責務を負っているが故に、反抗期についても考察し、その答を見出した。反抗は必然なのである。 先ず、人間は動物か動物ではないかが理解の鍵となる。誰が動物でないと教え込んだのか。社会だ。母親だ。恥の文化だ。文明の発達がそうなるのだ。紳士淑女がプライドを支える基本だ。躾こそトラウマの原点である。なんと母親がトラウマを作るのだ。言葉を覚え躾に慣れるうちに、次第にいい子に変わって行く。このとき、内部では心理的葛藤が起きている。パブロフの犬が、餌を目の前にしてお預けを食うのと、変わりはない。食べたいのに、食べたら叩かれるのだ。いじめと同じだ。 5.意識の変化と変容 −文系理系を超えて先ず興味を持たせる教育を− 神経細胞の、或いはその元の幹細胞の最も顕著な性質は、比較にある。初めは粗く、次第に繊細になって行く。それも組み合わせによって変化するばかりでなく、色の違いのように新たな質の情報に気が付くように変化する。最初のうちは、犬も猫も区別がつかない。何度も見ていると尻尾だけで分かる。記憶が連想方式だからだ。物陰にいるのが想像できるようになる。さらに、視覚及び聴覚から言葉が繋がると、思考へと進む。興味は注意力を高める。 思春期は身体と興味の両面が変容する時期である。その感覚は新鮮で、死に対する意識など全然ない。だから、悟ったなどと言ってしまう。話は通じたい。しかし理解されない。自分の感想を押し付けて、聞いて欲しいのに、劣等感が強まりどうしてよいか分からないのである。だから、段階があること、段階毎に時間がかかること、興味がずれていると理解が難しいことなどを体感して貰うように持って行くことになる。これが言い訳だ。 |
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遂に神の正体が超大エネルギーだと結論付けたが、それによって何が得られるのか。ひょっとして知らない方がよいことを知ってしまったのかもしれない。研究者としては、謎があれば解く職業だ。謎がなければ謎を創り出す。そのために脳細胞をこき使う。もがき苦しんで、遂にからまった糸がほぐれて解けたというインスピレーションが訪れる。それが快感を生む。但し、問題も生む。社会的認知の問題だ。 どうしても生物の枠を超えられないのが人間だが、社会となると、人間は仮面をかぶる。仮面をかぶるのが好きになれないように、家庭教育を受けた結果、人の仮面が気になるのだ。そして二面理論を発見して人に応用した結果、仮面理論に到達した。なんのことはない。人間だれしも嘘つきなのだ。 2.人間はだれでも嘘つきなのか −そう思いたくないけれど、そのような気がする!?− 嘘つきが悪いか、という指摘は一瞬ぎょっとさせる。悪意が入るのが嘘をつくとは限らない。金が目当てで協力させたガンマンが凶弾に倒れ死ぬ直前に、主人公にそうだと嘘を教えられ、やはりと頷いて納得して満足して息を引き取る。自分の悲しみを内に秘めて、楽しい雰囲気を出すのがプロと割り切る俳優は、まさに仮面の典型だが、音楽家も然り、小説家になると必然となる。なにしろ、誰かの盗作と言われないためには、新しいアイデアを考え出さなければならない。 こうして社会の文化は必然的に嘘を生み出すばかりか、嘘を強要する。嘘をつかなければ黙っているしかないことになるが、政治家は演説が専門の職業だ。これからは官僚も組織の中で隠れていることが難しくなる。匿名でうまい汁を吸う悪事が次々と露見する結果、そうなるのだ。組織の中での保身が本能的な自己保存欲の強さの表れとして理解され始まった結果である。外務省の嘘は、情報戦からは極めて当たり前だが、国の役割も変貌しているのだ。 3.エネルギーと国家の尊厳? −知的エネルギーの価値とパワーは??− 民主主義の欠点を指摘するのは嘘つきだろうか。神を引き合いに出したのには、いくつかの理由がある。ひとつはもっとも身近な存在だからだ。存在とは大げさに聞こえるだろう。ご神器とは鏡に勾玉、そして剣である。そのどれもが現実的な意味があるから身近なのだ。仮面には攻撃と守備が必要である。現実に歴史は繰り返すことを学んだ。勾玉は財宝や富の象徴で、その延長に子どもから国民の労働力つまりマンパワーに到るたからがある。そして鏡こそ、自分の、社会の、国の、世界の仮面の裏表を見るための象徴になる。 なぜ鏡がと思う。自己を見るのに必要である鏡が、認識論から自我の認識につながることは、従来の観念論を以ってしても出来なかった。脳の構造論が欠けていたからだ。ここに到って、認識論も脳科学も必要最小限の仮定で、確立できるのである。知的エネルギーこそ、神が意図しなかった宇宙の産物なのである。そのパワーを高めて行かない限り、人類の将来は絶望的である。 4.ストレス社会は神か悪魔か? −死に直面するまで考えたくない問題なのか!?− 科学が明らかにした宇宙の真理や法則は、無知とは程遠い。「なぜ? どうして?」という問いかけに対して、「そうなっているから、そうなるように出来ているから」という答えでは、英知は生まれない。それにも拘らず、自分は無知無能で手遅れと感じる多数の人々がいる。そして、その責任は自分の側にあると思っている。それが違うのだ。一旦、洗脳された頭は、容易に修正されない。そして無知なまま、貴重な労働力を提供して社会に貢献する。そして、親になり新たな労働力を生み出す。 そしてやがて来る死のときを迎える。無知なので悩まないで済むと、今のところ考えているかもしれないが、実際は数万の自殺者がいるように、社会のストレスは高齢者であろうと、容赦なく押し潰す場合が多い。自然災害は神の化身の悪魔の仕業として、諦めるとしても、社会のストレスは、単に犠牲になる人の個人的な問題として見過ごされる。 5.世の中は変わるか −平和と地獄の狭間にある幸福!− 嘘と創作とは、発想が同じと考えると、分かり易い。反対のことを考える。相手がこう思うだろうと推察すると同時に、いやそうは思わないだろうと考える。すると、思わぬことが見えてくる。このまま平和が続くだろう。いや、平和が続く筈は無い。平和でなくなるとはどういうことか。こうして飽くなきジレンマに入り込むか、いやきっと誰かが平和にしてくれると思ってもよい。要は、自分の保身さえ図れればよいのだ。 こうして利己主義がはびこると、人間不信に陥ることになる。見えなければ何をしてもよいという風潮はこうして生まれる。そして歴史が繰り返される。ただ循環するだけだ。戦争がきっと起こる。しかも次の戦争では、核兵器が使われることになる、かもしれない。言い訳はある。国民を守るためだ。 6.何が言いたいのか −なあんだ、それを言うのに遠回りしてる!− |



