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03, 2012, Valence France Nikon D700
サラと初めて出会った時、
青い瞳がとても印象的で、
美しい人だと思った。
生粋のフランス人で、
キリスト教の家庭に育ったのに、
ヘジャブ姿が素晴らしく良く似合う。
チュニジア人のご主人と結婚をして、 イスラム教に改宗した。
今ではコーランを熱烈に愛し、
信仰に幸せを見つけたという。
モスクへ足蹴く通い、戒律を厳しく守り、
1日5度のお祈りも欠かさない。
3人の男の子のお母さんで、
自宅でベビーシッターもしている大の子供好き。
イスラムを信仰するまでには
色々なことがあったという。
「今は心の平安を見つけたから・・・」
そう語った、彼女は幸せそうだった。
長男のモハメッド
2番目、3番目の男の子達
義理の妹さんや家族とは、血を分けた実の家族よりも
仲が良いのだそうです。
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「私はイスラム教徒です、ハグしてくれますか?」
パリの広場に立った男性に人々は・・・.
The Huffington Post Japan 11月20日記事転載
120名以上が亡くなったパリ同時多発テロからわずか数日後、
パリのレピュブリック広場にイスラム教徒の男性が立った。
彼は目隠しをしており、そばには2つのボードが置かれていた。
1つには、
「私はイスラム教徒です、ある人は私のことをテロリストだと言います」
そして、もう1つのボードには、
「私はみなさんを信じています。みなさんは私を信じてくれますか?
信じてくれるのなら、ハグしてください」と、書かれていた。
果たして人々は、男性をハグしたのだろうか?
一人、また一人と彼に近づき、
そして多くの人が彼を抱きしめた。
中には目に涙を浮かべている人もいた。
動画は11月17日にYouTubeに投稿されている。
「テロリストとは、何の理由もなく他人を殺そうとする人です。」
男性は目隠しを取った後で語った。
「真のイスラム教徒はそんなことはしません。
イスラム教の教えは殺人を禁じています。」
テロの後、イスラム教徒への風当たりが強まっている。
世界の一部のモスクは襲撃され、
「移民を受け入れるくらいなら自分が国を出たほうがまし」と言う人もいる。
そんな中、この男性の行動は、人間の温かさを教えてくれた。
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イスラム過激派によるパリ同時テロの後、
フランスではイスラム教徒市民への嫌がらせや暴力などが心配されていましたが、
実際、南部マルセイユ市では、地下鉄駅を出ようとしていた
頭を覆うスカーフ「ヘジャブ」を身に着けたイスラム教徒の女性が、
若い男に殴られ、軽傷を負う事件などがありました。
11月29日にパリで開かれた、
「イスラム教徒と市民の団結・フランス会議」での報告によると、
13日のテロ発生から19日までに、イスラム教徒への暴力や嫌がらせは、
これを含めて24件発生したといいます。
それとは逆に、「こんな時にこそ、お互いの理解と団結が大切。」と、
今回のテロ後のイスラム教徒市民の心痛を察して、
全国のモスクに親愛のメッセージを送る人なども現れます。
中には、「 自由に平和的に信仰を生きている500万人のイスラム教徒達と共に、
アッラーの名を使って 人殺しする1万人の蛮人達と戦いましょう ! 」と、
街頭で、テレビのカメラを前に宣言をする77歳のおばあさんも・・・。
善意の方々の方がずっと多いことに救われます。
世界中で理解と歩み寄りが生まれるよう、
祈らずにはいられません。
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フランスのパリで起きた同時テロ事件から2週間目の11月27日。
パリ中心部の施設で開かれた、フランス政府主催の追悼式典に、
オランド大統領をはじめ政府関係者、遺族の方々や警備や救助に当たった1000人以上が出席し、
テロで犠牲になった人達を悼みました。
正直、同じフランスにいても、パリから600キロメートル以上離れているためでしょうか、
テロの起こった日以来、テレビのニュース漬けになりながら、
どうしても、この出来事の大きさに見合った「実感」というものが持てずにいたんですが、
犠牲者の方々130人全員の名前と年齢が、まるで終わりが無いかのように延々と 読まれとき、
一番年少の少女は17歳、 犠牲者の方々の平均年齢が30歳、
こんなにも大くの20代、30代という若い命が落されたことに涙が止まりませんでした。
式典では犠牲者の写真がスクリーンに映し出され、
ヤエル・ナイムと他二人の女性歌手により、
ジャック・ブレルの代表曲 【Quand on n'a que l'amour (1957作) 】が捧げられました。
Quand On N'a Que L'amour 「愛しか持たない時」- Jacques Brel (ジャック・ブレル) 作詞・作曲
Quand on a que l'amour 愛しか持たない時
A s'offrir en partage 私たちの大きな愛の A jour du grand voyage おおいなる旅立ちの日に Qu'est notre grand amour 分かち合い捧げよう Quand on a que l'amour 愛しか持たない時 Mon amour toi et moi いつの日もいつの時も Pour qu'éclatent de joie 君と僕の愛は Chaque heure et chaque jour 喜びで満たされる Quand on a que l'amour 愛しか持たない時 Pour vivre nos promesses 誓いを生きるため Sans nulle autre richesse 富など何もなくても Que d'y croire toujours いつも信じて Quand on a que l'amour 愛しか持たない時
Pour meubler de merveilles 巷の醜さも Et couvrir de soleil 太陽の光で覆い La laideur des faubourgs 素晴らしさに満たされる Quand on a que l'amour 愛しか持たない時 Pour unique raison 分かり合えることと Pour unique chanson 歌だけが Et unique secours たった一つの救い Quand on a que l'amour 愛しか持たない時
Pour habiller matin 朝を装うために Pauvres et malandrins 貧者にも盗賊にも
De manteaux de velours ビロードの外套を Quand on a que l'amour 愛しか持たない時 A offrir en prière ちっぽけな詩人によって Pour les maux de la terre 地上の苦しみ達に En simple troubadour 祈りが捧げられる Quand on a que l'amour 愛しか持たない時
A offrir à ceux là 光を求め Dont l'unique combat 苦しむ人達に Est de chercher le jour 手を差し伸べる Quand on a que l'amour 愛しか持たない時 Pour tracer un chemin 人生の分岐点で Et forcer le destin たどるべき運命の A chaque carrefour 道筋を示し Quand on a que l'amour 愛しか持たない時
Pour parler aux canons 軍隊の太鼓を説得するには Et rien qu'une chanson 歌だけが Pour convaincre un tambour 大砲に語ることができ Alors sans avoir rien Que la force d'aimer 愛する力だけで
Nous aurons dans nos mains 私達は世界中の友を Amis le monde entier 得ることが出来る 「愛しかない時」 "Quand on a que l'amour" は1956年に発表された、
フランスで最も愛されている亡き歌手の1人、ジャック・ブレル Jacques Brel の最初のヒット曲です。
この曲は「反戦と愛」を歌っていますが、1956年と言えば、第2次世界大戦が終わって10年経ちましたが、
世界各地で紛争が耐えることはなく、このことに心を痛めるブレルの心の叫びのようにも感じられます。
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金曜の夜、君たちはある素晴らしい人の命を奪った。
私の最愛の人であり、息子の母親だった。
でも君たちを憎むつもりはない。
君たちが誰かも知らないし、知りたくもない。
君たちは死んだ魂だ。
君たちは、神の名において無差別な殺戮をした。
もし神が自らの姿に似せて我々人間をつくったのだとしたら、
妻の体に撃ち込まれた銃弾の一つ一つは神の心の傷となっているだろう。
だから、決して君たちに憎しみという贈り物はあげない。
君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちをこんな行為に駆り立てた同じ盲目に屈することになる。
君たちは、私が恐れ、隣人を疑いの目で見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。
だが君たちの負けだ。 私というプレーヤーはまだここにいる。
今朝、ついに妻と再会した、何日も待ち続けた末に・・・。
彼女は金曜の夜に出かけた時のまま、そして私が恋に落ちた12年以上前と同じように美しかった。
もちろん悲しみに打ちのめされている。
君たちの小さな勝利を認めよう。でもそれはごくわずかな時間だけだ。
妻はいつも私たちとともにあり、再び巡り合うだろう。
君たちが決してたどり着けない自由な魂たちの天国で。
私と息子は2人になった。
でも世界中の軍隊よりも強い。
そして君たちのために割く時間はこれ以上ない。
昼寝から目覚めたメルビルのところに行かなければいけない。
彼は生後17カ月で、いつものようにおやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。
そして幼い彼の人生が幸せで自由であり続けることが君たちを辱めるだろう。
彼の憎しみを勝ち取ることもないのだから・・・・。
パリ在住の仏人映画ジャーナリスト、アントワーヌ・レリスさん(34)は、
13日夜にコンサートホール「ルバタクラン」で起きたテロで妻エレンさん(35)を失った。
「金曜の夜、最愛の人を奪われたが、君たちを憎むつもりはない」という書き出しで始まる文章は、
妻の遺体と対面した直後に書いた。
「君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈したことになる」と憎しみを否定。
「君たちの負けだ。(略)幼い息子の幸せで自由な日常が君たちを辱めるだろう。
彼の憎しみを勝ち取ることもないのだから」と、1歳半の息子と2人で普段通りに暮らし続けることを宣言している。
文章は19日現在、フェイスブック上で20万回以上共有された。
レリスさんは、「文章は、幼い息子を思って書いた。
息子には、憎しみを抱かず世界に目を見開いて生きていってほしいから」と語った。(パリ=渡辺志帆)
2015年11月19日23時19分 朝日新聞
妻エレンさん(35)
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ISを空爆するより、Facebookプロフをフランス国旗化するより、
大事なこと―パリ同時多発テロ
志葉玲 | フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和) 2015年11月17日 7時30分配信
アフガニスタン、イラク、パレスチナ、シリア・・・戦争の犠牲
今月13日に発生したパリでの同時多発テロは、私にとっても大変ショックだった。
フランスには、大事な友人達がいる。私の友人達は無事だったようであるが、それでも多くの人々の命が奪われたことには変わりない。テロの犠牲者となった人々へ心より哀悼の意を表したい。
今回のテロを受けて、安倍首相を含む各国の首脳は、次々にテロの根絶を誓う声明を出している。
だが、あえて言おう。今後、世界各国がシリアのラッカや、イラクのモスルへ猛空爆を行ってISの拠点を殲滅したとしても、IS指導者バグダディやISの幹部らを皆殺しにしても、テロは根絶できない。
まして、Facebookが公式で呼びかけている、プロフ画像をフランス国旗の色にするキャンペーンも、パリのテロ被害者に共感するという点では意味はあるにしても、テロをなくすためには、何の意味もない。
何故、テロが起きるのか。
IS的な過激思想に走る人間が出てくるのか。
その根源には、「自由と民主主義」への絶望、そして憤りがある。
空爆された市場で、猛烈な爆撃で地面ごとえぐり取られた民家跡で、血と膿と消毒薬の匂いただよう病院の中で、悲しみ、憤る中東の人々の、心が千切れるような絶叫を、私は何度も聞いた。
「これが、自由なのか!?民主主義なのか!?」
イラクや、アフガニスタン、パレスチナ、そしてシリア・・・中近東の罪のない民間人を何人殺そうが、「自由と民主主義を愛する」国々の人々がその責任を問われ、裁かれることはない。
「自由と民主主義を愛する」国々は一方で、人々を抑圧し、その権利を奪いとっている国々を支援している。
そのダブルスタンダードへの絶望と憤りこそ、IS的な過激思想が広がる最大の要因だ。
だから、仮にISの指導者らを殲滅したとしても、その過激思想を引き継ぐ者達が現れ、テロを繰り返すことになる。
テレビで戦争のことを報じていると、途端に視聴率が下がり、戦争の現実である凄惨な映像は「視聴者からクレームが来るから」と放映されないか、何が写っているかわからないくらいボカシが入れられる
そんな日本のメディアばかり観ている人々には、おそらく想像がつかないだろう。
多くの場合、中近東の国々では衛星テレビで、各国の状況が日々報じられている。
そう、中近東の人々はそれこそ、毎日の様に同胞達が虫けらのように殺されているのを日々観ているのである。
或いは、彼ら自身の目で文字通り目の当たりにしているのだ。そんなことを、第一次中東戦争(1948年)以来、中近東の人々、イスラム教徒の人々は、ずっと、繰り返し経験しているのである。
私の知る中近東の人々の多くは、暴力を嫌う、平和的な人々だ。
だが、そんな彼らでさえも、やはり欧米諸国の「自由と民主主義」のダブルスタンダードには、辟易している人々も少なくない。
まして、この間の「対テロ」戦争で、理不尽に家族や親族を奪われた人々の一部から、欺瞞に満ちた「自由と民主主義」と決別し、過激なテロリズム思想に走る者が出てくるのは、止められないことだろう。
パレスチナで取材していた時、現地の人々から聞いた話が耳に残っている。
「自爆テロ犯の若者は、自爆する前から心が死んでいる。
全てに絶望している。だから、自分が死ぬことも他人を殺すことも躊躇しない」。
米軍による空爆下のイラク首都バグダッド取材時に出会った、イスラム義勇兵達のことも忘れがたい。
「俺達はイラクの同胞を殺そうとする米国と戦う。
そのために全てを捨てて各国からイラクに来た」。
これから戦地で命を落とすことになるかも知れないわりには、義勇兵達の顔は晴々としていたことが印象に残る。
米国から見れば、彼らはテロリストだが、彼ら自身は命を代償にし得る彼らの「正義」があるようだ。
もっとも、彼らのうち、ISに参加した者もいると思われ、それは私の気を重くさせるのだが。
今後、世界各国が協力して、例えIS自体を殲滅したとしても、中近東やイスラム諸国の人々の苦境が続く限り、IS的な過激思想は、国境を超えて広がる。新たなIS的な組織、或いは個人の単独犯が現れ、結局テロを根絶させることはできない。
では、どうすればいいのか。
世界各国が目先の利益を優先するのではなく、
本当の意味での「自由と民主主義」を実現するために努力することだ。
ISのような過激思想が支持されるような要因を排していくことだ。
多分、それは非常に困難なことだろう。
欧米諸国だけでなく、パレスチナ占領を続けるイスラエルや、国家として人権意識があまりに希薄なロシアや中国もその政策を見直すことが求められるからだ。しかし、それでもやらなくてはならない。
許されざるものは、テロだけではない。
戦争や占領、そして抑圧と差別という構造的な暴力も含め、全ての暴力を許してはならないのだ。
「自由と民主主義」を標榜する国々こそが、暴力ではなく話し合いや法によって物事が解決するということを、率先して示していかないといけないのである。
そして、イラク戦争を支持し、安保法制が強行採決された日本において、
それは私達自身が直面する課題でもあるのだろう。
(了)
転載元
志葉玲 | フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和) 2015年11月17日 7時30分配信
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