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かれこれ十五年前、 たった一ヶ月間だけ、大阪のフランス語学校 「アリアンス・フランセーズ」に通っただけで渡仏してしまった私ですが、 挨拶やほんの少しの会話の丸暗記と、数字の読み方を覚えたところでした。 「フランスに住んでから学校に通えばいい・・・。」と、 呑気に構えていたのが、いかに甘かったかを嫌というほど思い知ったのは こちらで暮らし始めてからのことです。 実はフランス語が話せずにフランスで暮らすのは予想以上に 鉄の心臓と根性が必要なことだったんです。 その第一の理由は、この街に外国人(専門)の語学学校が無かったことです。 しかし、街には小さなフランス語学校はありました。 入学したその日、教室の中で先生とテーブルを挟み向かい合って 簡単な質問を受けました。 そのやり取りはこうです。 先生 「どこから来たの?」 私 「日本からです。」 先生、いきなり 「日本って一夫多妻制だって本当?」 私 「・・・・・・??????」 先生 「一人の旦那が、沢山の奥さんを持っているのよね〜。」 私 「・・・(絶句)・・・」 周りの生徒みんなの視線が私を凝視しています。 何故か、向かいの先生の隣にはいつの間にか、 アフリカ人の十代の女の子が座っていて、 外見は可愛らしかったのですが いきなり、私のほうに身を乗り出して・・・怒り始めました。 「あんた、どうして答えないのよ!」 「早く答えなさいよ、何やってんのよ、わかんないの?」 「えっ!何とか言ってみなさいよ〜!こんな簡単なこともしゃべれないの?」 「あんたちょっと、アホ違う?」 その繰り返し、繰り返し・・・リフレイン・・・ マシンガンのような勢いで早口に巻く仕立て上げます。 所々意味は分からなくても侮蔑の言葉と確信しつつそれを受けとめながら、 その間わたしは必死で質問の意味を考えている・・・。 「一夫多妻制・・・ひとりの旦那に沢山の妻・・・」 「もしかして源氏物語なんかの話かな・・・?」 「日本の皇室の歴史・・・?」 「それとも江戸時代の大奥か・・・?」 「でなきゃ、浮気・愛人なんでもござれの乱れた現代の風潮のことかしら?」 焦燥感 その頃には何も答えない考え込む私に、そのアフリカ人の子は 「こいつ弱いな・・・チョロイぞ!」・・・とでも思ったのでしょう。 椅子に腰掛けている私の頭の上から怒鳴っていました。 そこで、音がしました・・・・。 「プチっ・・・!」 て、いう音。 わたしの忍耐が、切れた音でした。 自分で気がついたときには立ち上がっていて、 相手の二倍もの大きな怒鳴り声で、腹の底から怒鳴り返していました。 その後数分間、 フランス語をしゃべれないはずの私が罵倒の言葉を吐き続けたのです。 相手はいきなりしゅんとして先生の陰に隠れてしまいました。 次の日から、その子は何くれと無く私の側に付いて来てくれて 手取り足取り世話を焼いてくれたのです。 ここで、初めてフランス人との親しい関係の作り方 縁を切りたくなるような、思いっきりハードなけんかをした相手に フランス人は心を許すということに触れたわけです。 日本ではそこで人間関係が終わるところから しばしば、フランスでは良い人間関係が始まるわけです。 あと、問題はフランスで生まれ育ってきて、 フランス語語力が目立って不足している若者達が一緒のクラスで 学んでいたことでした。 もちろんそれは、フランスの一面を垣間見る絶好のチャンスに恵まれた ことでもあったのですが、何人かの「問題児」が始終授業を邪魔し、 先生までがノイローゼ気味になってしまったのでした。 私と同期だった他の人たちは、フランスへ留学生として来ていて 五ヶ国語をすでに話すユーゴスラビアの女の子、 その後パリへ移り、ソルボンヌ大学へ入学した順子さん。 「オーペア」という制度で、フランス家庭で家事手伝いをしながら フランス語を学ぶアメリカの大学生。 などなど・・・真剣にフランス語を語学として短期に身につけたい という意思と意欲に溢れた方が沢山いたのですが、 有志達一同が「自宅で勉強する方がマシ・・・。」と、 いっせいに退校したのを機に、私も辞めました。 まもなくその学校はほとんどの先生が解雇されて無くなってしまいました。 それからは、本とカセットと実際の日常会話とテレビを教師に いまだ、フランス語学習に奮闘中というわけです。 それから何度、 「フランスに住んでいてフランス語を話せないのは犬になるほうがマシ」 というどなたかの言葉を、事あるごとに思い知ったことでしょう。 語学力は鍛えられずとも、心臓だけは鍛えられるわけです(笑) フランスのサバイバルな日々は・・・・いまだ続いております!
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