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映画『ファルージャ』 大阪府 上映会のお知らせ
5月24日 (日)
13:30〜
17:00〜 大阪府
和泉市いぶき野 「ファルージャ」上映実行委員会
E-mail/ event123000(at)gmail.com
TEL / 080-5321-3795(山田) 料金:予約1300円 当日1500円
★高遠菜穂子さんのアフタートーク
15:30〜16:30 参加費:1000円 ================
2004年、イラク戦争「日本人人質事件」の当事者の現在を捉えたドキュメンタリー。
「3日以内に自衛隊は撤退させなければ人質は焼き殺す」
日本政府の答えは撤退を拒否、
しかし9日後に開放された3人を待っていたのは
政府関係者、メディア、一部の国民からのバッシングだった
「人質となったのは彼らの自己責任だ」
その後の彼らはどんなふうに生きて来たのだろう?
================ 2013/日本/カラー/HD/95分 高遠菜穂子 今井紀明 プロデュース 広瀬凉二 監督 伊藤めぐみ ATP若手映画プロジェクト 第1回支援作品 映画予告『ファルージャ』
当時、日本国内でバッシングが吹き荒れた
「日本人人質事件」のことを覚えているだろうか?
イラク支援のために行った日本人3人。
しかし、ファルージャの街で地元の武装グループによって
日本政府へ自衛隊撤退を要求するための人質として拘束された。
当時、日本政府はアメリカが始めたイラク戦争を支持。
「人道復興支援」のためとして、イラクに自衛隊を派遣していた。
日本では3人の行為が国に迷惑をかけたとして「自己責任」を問う声が広がった。
この映画は、はからずも人質となった、
高遠菜穂子さん、今井紀明さんの現在の姿を追い、
そして未だ戦火の止むことのないイラク、ファルージャの生々しい現実を捉える。
高遠菜穂子さんは、事件後のPTSDを乗り越え再びイラク支援を続けていた。
NGOなどの団体に加わるのではなく、一人でイラクに通い支援と調査を行っている。
イラクでの先天異常児は戦争以後、今も増え続けているのが実態だ。
またファルージャで撮影中にも現政府と、対立する宗派の抗争も発生していた。
一方、人質事件のもう一人、今井紀明さんは、5年の間、対人恐怖症に苦しんだ。
現在は、大阪で不登校や、
ひきこもり経験のある通信制高校に通う若者を支援するNPOの代表をしている。
社会から拒否された存在に、昔の自分をみて何かできないかと思ったという。
================
ファルージャで何が起きているのか / ファルージャの子供達の悲劇
Tragedy of Children in Fallujah
高遠菜穂子さんはファルージャ総合病院に一か月間寝泊りして調査した
ファルージャ総合病院のサミラ・アラーニ医師(小児科)によると
2009年以降の統計で三年半の間に
1000人以上の先天異常の新生児が生まれた発症率は約14.4%
先天異常の子が生まれた25の家族の毛髪を調査
全ての家族から化学汚染物質が検出・・・・濃縮ウラン
WHOも去年からイラク保健省と合同で調査に乗り出している
日下部正樹氏は、
「ファルージャの戦闘については、
当時私は国際ニュースのデスクをやってたんで鮮明に覚えているんですけれども、
とにかく街を完全に包囲しての、いわば殲滅戦だったんですね。
メディアもシャットアウトされたから
実際にそこで何が起きたのかよく分からない部分が多い」
金平茂紀氏は、最後にこう締め括っている。
「高遠さん、人質事件が彼女の人生を変えたと思うんですよ。
それにもかかわらずずっと繋がり続けているのは、
僕は敬意を表したいと思います」
WHOも調査に乗り出したと聞いていたので、期待していたのだが、
イラク保健省と合同と聞いて、かなり不安になってしまった。
イラク保健省を現在はどの宗派が握っているのかは知らないが、
フセイン政権崩壊後、一貫してシーア派が握ってきた。
それもサドル派が握ってきた。
イラク政府はシーア派主導の政権であり、
スンニ派の影響力が大きくなってきたとは思えないし、
ますます、その逆、つまりシーア派主導政権と
スンニ派との角逐が激しくなっているように思える。
2010年にバズビー博士が初めてファルージャの現地調査を行った際、
イラク政府は国営放送を通じて調査に協力しないようにと放送さえしたのだから。
http://www.youtube.com/watch?v=qo7p-KbYM7Q&t=2m5s 現地ジャーナリストは、ファルージャのあるアンバール州の
保健衛生局とファルージャ総合病院に
イラク中央政府の保健省から公式文書が通達されており、その内容は、
出生異常に関連する医師のどんな発言も禁止するというものだといいます。
それは米軍がイラク政府の保健省に圧力を掛けているからだと。
SBSの取材班はバグダッドに戻り、保健省に取材を申し込みますが、
ファルージャでの“先天異常”については、スカイ・ニュース、ガーディアン、
BBCなどが、ファルージャ総合病院を訪れ、そこでのショッキングな映像や、
ファルージャ総合病院の医師の証言を紹介してました。
であればこそ、ファルージャ現地での実態の調査こそが必要だったのです。
それがなかなか実現しなかったことは、現地での治安の問題と、
シーア派主導政権・米軍にとっては、気の進まないことだったから
なのではないかと推測しています。
現にバスビー教授の調査チームに対しても有象無象の“妨害”があったようです。
スカイ・ニュース、ガーディアン、BBCなどが次々と取り上げるので、
無視し続けることが困難になり、WHOまでが現地調査を決定したことにより、
やっと事態が動き出したということなのだと私は解釈しています。
更には、イラクで劣化ウラン弾に関する国際会議が提案されていることで、
一歩一歩事態が進展してきていると思っています。
高遠菜穂子さんがファルージャ総合病院に一か月間も寝泊りして
現地実態調査を行ったということに対して敬意を表します。
あれだけのバッシングを浴びたにもかかわらず、
ファルージャ現地で、本当に焦点を当てるべき、
本当に必要なことに取り組んでいることに敬意を表します。
10年が経って米軍がイラクに残した大量の難民と奇形児やガンの異常発生
http://democracynow.jp/dailynews/2013-03-20 Ten Years Later, U.S. Has Left Iraq with Mass Displacement
& Epidemic of Birth Defects, Cancers http://www.democracynow.org/2013/3/20/ten_years_later_us_has_left 更なる詳細は、下記の転載元でご覧ください。
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世界 Monde
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先日、スイスのドキュメンタリー映画「アンナへの手紙」を観て来ました。 この映画は以前記事で、日本での上映会のお知らせを紹介した作品です。 それがようやく私の街の映画館にも巡回して来たのです。 今回は、たった一日だけ、一回限りの上映でしたので、 少し無理をして、友人に子供達を預かってもらい劇場へ出かけました。 この上映会はもともと「ジャーナリスト・サンフロンティエール」、 「アムネスティー・インターナショナル」などの、人権保護団体の関係者と、 第一線のプロのジャーナリスト達を招いて行われた講演会の一環です。 その為、この映画の上映の前に、 現在のロシア・フランス・そして世界におけるジャーナリズムの現状を、 上記の三関係者の「現場からの声」を聴く事から始まりました。 招かれていたフランスのジャーナリスト達は、一部の他国の同志達が職務を 追行することに命を賭け、現実に暗殺される危険のある現状を目の当たりにし 良く知り抜いているだけに「ジャーナリズムの現状」を語る時の、彼らの気迫 と緊迫感は、劇場後列に座していた私の方まで痛いほどに伝わって来ました。 重いテーマにも拘らず、この日は百人程度の市民が集まって劇場は満員。 少し無理をしてでも、充分参加する価値のある集まりとなりました。 ドキュメンタリー映画「アンナへの手紙」。 この映画は、三つの平行し交錯する「流れ」によって構成されています。 一つは、西ヨーロッパのテレビ取材による生前のアンナのインタビュー映像。 暗殺され亡くなった彼女は、ここでは語り・笑い・憂い・思索し、訴える。 プレスの建物を縦横無尽に歩き回り、ロシアとチェチェンの現実に心を痛め、 私達に誠実に語りかける。時には深い悲しみを湛え、時にはナーバスに。 所々、彼女の娘が「母」の面影としてのアンナを語るのをはさみながら。 アンナのチェチェンとの関わり。そして暗殺の日。 二つ目は、アンナとは光と影の対照を成すウラジミール・プーチン大統領。 彼のKGB時代からの経歴から大統領就任までを追い、チェチェンの悲劇との 関わりを時間を追いながら眺めて行く。 彼の出世への執着、その人柄と人となり。 最後の三つ目は、「ロシアとチェチェン両国」の関係と歴史的な背景の流れ、 そこで起こった一連のチェチェン独立派によるテロやチェチェン戦争について の考察、そして現状。 不思議な事に、この三つの流れを時間を追って平行し、同時に交錯させながら 追って行くと、あぶり出しの様に浮かび上がって来る事実があります。 アンナ自身が生前に、詳しい取材調査の結果辿り着いた「真実へ」の確信。 それを知っていた事が、彼女の暗殺された理由でもありました。 それは、 <一連のモスクワを中心に起きた、チェチェン独立派によるテロ事件をはじめ ロシア軍によって行われた「チェチェンへの侵攻」「第二次チェチェン戦争」 「チェチェン民族の大虐殺」が、ロシア当局によって望まれていた事。 一連のモスクワを中心に起こったテロ事件や「ベスラン小学校占拠事件」など (またはその内の幾つかが)プーチン大統領他が、国民の好支持を得る為に、 「チェチェン民族」や「チェチェン共和国」を スケープ・ゴート(犠牲の羊 または仮想敵)として仕立て、彼らに対する戦争の「正当化」を目的として、 ロシア政府当局によって密かに、かつ巧みに仕組まれた計画的なものだった> という事でした。 その根拠となったのは、「チェチェン独立派テロリストグループ」の内部に、 ロシア政府当局の息のかかった者が、密かに加わっていたのが分かっているこ と、その同グループの犯行によるテロ事件の後に、ロシア政府当局によって、 裁かれなければならないはずの、容疑者である「チェチェン人テロリスト達」 の何人かが、ロシア政府当局自身によって国外へ陰密のうちに逃がされていた 事実が挙げられています。 アンナはその事について調べ、告発し続けましたが、プーチン政府を支持する 他の国民からは「気違い女」とさえ呼ばれ、敵意と非難の的となりました。 テレビ取材の映像の彼女は、自分がまだ暗殺されずに生かされている事を、 「未だに、何故私がこうして生きていられるのか分からない、奇跡だわ・・」 と、つぶやいていたのが印象的でした。 アンナは映画の中で、厳しい口調で断言しています。 「ロシアの兵士に聞いたの、何故チェチェン人を殺すのかと。 彼らは答える、<だってそれは彼らがチェチェン人だからさ。> それならチェチェンで起きた事、あれは民族の大虐殺(ホロコースト)よ!」 偶然か必然か・・・皮肉で悲しい事に、 プーチンの誕生日の同日に、アンナは暗殺されました。 企みにより、数え切れない程、多くの無実の人々を無差別に虐殺することで、 人気を博したプーチンは大統領選に当選しました。 嘆き苦しむチェチェン人達の側に立ち、生命の危険も顧みず「真実の為」に、 最後まで戦ったアンナ・ポリトコフスカヤは憎まれ、そして暗殺されたのに。 プーチンの誕生日を国民が祝うなか、アンナの追悼のデモは行われる。 プーチンが大統領の職から退いた後も、このコントラストは歴史に焼きついて 消えないだろうと思います。 大国ロシア、プーチンの独裁狂政に正義を求め一人で立ち上がった女性、 アンナ・ポリトコフスカヤ。彼女の姿と生涯を賭けた戦いは半永久的に、 この映画に収められました。 映画「Lettre à Anna (アンナへの手紙)」の予告編 http://www.dailymotion.com/swf/video/xb91k0 (日本語字幕付が見つからず、英語字幕になります。) こちらのブログに来てくださる方で、中国にお住まいの方が三人いらっしゃいます。 youtube等が閲覧できないそうですので、こちらでどうぞ。↓ http://www.nicovideo.jp/watch/sm10578073 <プーチン首相・大統領就任と一連の事件の流れ> 1999年8月9日 プーチンはエリツィンによって、第一副首相に任命された。 一連のモスクワアパート連続爆破事件 1999年8月31日 モスクワ中心部のショッピングモール「マネズ」で混雑時間帯に爆破事件が起こる。1人が死亡、40人が負傷。 1999年9月4日 チェチェンの隣、ダゲスタン共和国のブイナフスクの軍人用集合住宅に乗り入れたトラックが爆発し、建物が崩壊。64人死亡、うち子どもは23人。130人が負傷。 1999年9月9日 夜、モスクワのグリナノフ通りの集合住宅で爆破事件。94人が死亡、164人が負傷。 1999年9月13日 朝5時、モスクワ、カシルスコエショッセで爆破事件。119人が死亡。 1999年9月14日 2万以上のロシア軍部隊がロシア/チェチェンの国境に集結した。チェチェン政府が事件への関与を全否定する一方で、ロシア政府はまたたく間にアパートの瓦礫を撤去した。犯行声明はどこからも出されなかった。 1999年9月16日 ヴォルゴドンスクの集合住宅で爆破事件。17人が死亡、72人が負傷した。 1999年9月22日 リャザンの集合住宅の地下で警察が爆弾を発見。ただちに処理されて事なきを得たが、1日後にFSBのパトルーシェフ長官が「訓練のために設置したダミーで、爆薬の中身は砂糖だ」と発表した。 ロシア政府は一連の事件を「チェチェン人の仕業であり、犯人はチェチェンに逃亡した」と断定、 1999年9月23日 第二次チェチェン紛争が始まる。 ( 戦争はリャザンでの爆弾発見騒ぎの翌日9月23日、チェチェンの首都グロズヌイに対する無差別爆撃によって始まった。10月1日、ロシア軍地上部隊はチェチェンに侵攻を開始した。「テロに対する断固たる処置」であったと政府は言っている。) プーチンは2000年の大統領選挙で過半数の得票を受け決選投票なしで当選 2002年10月23日 モスクワで発生した劇場占拠事件 死者数120名(人質となった観客)、50名(テロリスト) 2004年 プーチンは2期目となる大統領選挙に70%以上の圧倒的な得票率で再選した。 再選後、 同年9月にベスラン学校占拠事件が発生 2004年9月1日から9月3日 ベスラン学校占拠事件(386人以上が死亡[1](うち186人が子供[2])、 負傷者700人以上という犠牲 2006年10月、 反プーチンのロシア人女性ジャーナリストだった、 アンナ・ポリトコフスカヤが、自宅アパート内にて何者かに射殺された 2006年11月 プーチンを批判してイギリスに亡命し写真が公開された、KGB・FSBの元職員の アレクサンドル・リトビネンコが「多量の放射能物質ポロニウムを食事などに混合されて摂取したため」に死亡している。 2007年10月 与党・統一ロシアの第8回党大会で、プーチンは大統領退任後は首相に就任して政界にとどまることに意欲を示した。 同年12月2日に行われたロシア下院選挙では統一ロシアの比例代表名簿第1位に記載され、同党の選挙大勝につながった。 12月10日 後継として第一副首相のメドヴェージェフを指名し、2008年の大統領選挙で支持することを表明。2008 |

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コメント(37)
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< アンナ・ポリトコフスカヤについて > アンナ・ポリトコフスカヤ (Анна Политковская;1958-2006)は、国連派遣の外交官の娘としてニューヨークに生まれた。ウクライナ系の両親はソ連官僚機構のエリートであり、裕福で将来性に満ちた人々だった。 アンナは、モスクワ大学でジャーナリズム学を専攻し、卒業後はジャーナリズムの世界に入った。1982年からイズヴェスチアで働き、その後、アエロフロートの社内雑誌の編集に従事した。アエロフロート時代は、自由に飛行機を利用できる特権により、国中隈なく旅したという。 1985年以降、ゴルバチョフの時代になると、ソ連は経済的に破綻していった。その時代、アンナはソ連の解体は間違った選択だと思ったこともあったが、ものを言う自由は、何物にも代えがたかった。イェリツィンの時代には、民主化は一層進み、また各共和国の自立性も飛躍的に高まった。そして、各民族の分離独立運動の動きが、ロシア共和国の内部にまで及ぶようになる。 1994年、イェリツィンはチェチェンの分離独立運動を粉砕するために、戦車を送り込んだ。第一次チェチェン戦争と呼ばれるものである。この戦争は2年の長期に及んだ。イェリツィンは内外から強い批判を浴びるに至り、ついに不名誉な撤退をせざるをえなかった。 その頃のロシアは、民主化の波に乗って、中小のメディアが雨後の筍のように現れては、自由な言論を競った。イェリツィンを政治的に追い詰めたのは、これらの力だったのである。 アンナも、1994年に、そうした中小メディアのひとつオープシチャヤ・ガジェータに移った。だが、この時代の彼女の活動は、あまりラディカルではなかったらしい。 1999年、第2次チェチェン戦争が始まると、アンナは俄然政治的な発言を強めるようになった。同じ年、ノーヴァヤ・ガジェータに移り、そこを拠点に、チェチェンで何が起きているか、その血なまぐさい実態をレポートするとともに、この戦争を引き起こしたプーチンを批判し続けた。 ガーディアン紙のインタビューに答えたものなどを読むと、彼女の取材活動は命がけであったらしい。2000年には、チェチェンのヴェデノ地方でロシアの諜報機関FSBに拘束され、三日間飲まず食わずの状態で監禁された。彼女は、捕らえられた直後に殺されないことが重要だと語っている。 2001年、アンナはロシア将校の犯罪的な人権侵害行為を暴いたために、その将校から命を付け狙われ、一時期ウィーンに身を隠さねばならなくなった。将校は後に逮捕されて、有罪の判決を受けた。 チェチェンで起きた人権侵害は、ロシア側によるもののほか、ロシアを後ろ盾にして成立したカディーロフ政権によるものもあった。 2002年、モスクワで、チェチェン人武装グループによる劇場占拠事件が起こった。このときアンナ・ポリトコフスカヤは仲介役を買って出たが、進展のないまま当局が劇場に突入、武装グループ41人が死んだほか、100名以上の観客が巻き込まれて死亡した。 2004年には、チェチェンの隣国オセチアのベスランにおいて、チェチェン人武装グループが学校を占拠し、生徒と父母1000人以上を人質に取る事件が起こった。このときにも、アンナ・ポリトコフスカヤは武装グループの説得のため現地入りしようとしたが、オセチアに向かう飛行機の中で毒をもられ、意図は実現しなかった。結局、この事件においても、当局が学校に突入、1000人以上の死傷者を出す大惨事となった。 これらの事件は、チェチェンの過激派に対する内外の批判を高め、プーチンの断固たる態度に支持が集まる一方、ポリトコフスカヤの立場を微妙なものにした。ベスラン事件以後も、チェチェンの過激派によるテロが頻発し、アルカイダなど国際的なテログループとの関係も取りざたされたために、チェチェンの独立派はいよいよ孤立を深めた。 こうした事情を背景に、ロシア政府とチェチェンのカディーロフ政権は過激派への弾圧を強化した。 アンナ・ポリトコフスカヤは次第に孤立するようになり、気違い女と罵られながらも、チェチェンで何が起きているかを報道し続けた。 その姿勢は、西側では勇気あるジャーナリストと称えられる一方、プーチン政権には目の敵にされた。プーチンにとっては、チェチェンの独立派はアルカイダ並みのテロリストに過ぎないとしたのに、彼らに対する弾圧を、アンナ・ポリトコフスカヤは人権侵害だと叫び続けたからである。 アンナ・ポリトコフスカヤの死の真相については、いまだに明らかにされていない。その死について感想を求められたプーチンは、そっけない答えを返しただけだった。(転載)
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昨年の秋、3ヶ月という長期にわたり、 Reza Deghati (レザ・デジャティ)という写真家の展覧会が、 バランス市の旧市街にあるアルメニア記念館で開催されました。 期間中、月曜以外は毎日午後三時から、入場料は無料です。 「アルメニア文化記念館」の入り口。 大きく「REZA(レザ)」の名前のロゴが・・・。 屋内での展示とばかり思っていましたが、会場は記念館の外の広い庭。 かなり大雑把にパネルにした写真を、無造作に展示していたのが斬新でした。 この日は後半わずかに雨が落ちて来て、ひどく崩れはしませんでしたが、 少し怪しい雲行きでした。 写真は紙のボードにコピー機で画像を印刷したような、 たとえ雨が降って濡れても、惜しく無いような装丁です。 そんな粗さが、世界中の貧しい国や戦場をカメラ一つ片手に駆け巡る、 写真家レザの作品には、不思議と良く似合っていたような気がしました。 それぞれのパネルの下には、 写真の撮られた国と、その背景にある社会問題の説明などが、 A4の紙に印刷されてラミネート加工され壁から下げられていました。 レザの撮る写真は、そのほとんどが世界の貧困、抑圧される人達、社会問題、 そして、紛争と戦争に結び付いています。 それぞれの写真には、そこに映し出された人々の暮らし振りやその土地柄、 抱える問題と苦悩、各々の「デスタン(宿命)」が浮き彫りにされています。 中国の炭鉱で過酷な労働に就く、若い炭鉱夫の肖像。 親子連れが、思いのほか多かった事が印象に残りました。 レザの代表的な作品、「ケシの花畑に眠る・・カマルグ、フランス」 一つひとつの作品の前には、解説を読む為にしばし人は立ち止まります。 「イラン・クルディスタンの紛争による手負いの幼児と祖父」 イラン クルディスタンの学校で・・・。 ロシア 共産主義の父を胸に刻む?! ロシア ヴォルガ・デルタ 1980年代に行われた地下核実験で汚染された地域。 ルワンダ大虐殺の生き残り ルワンダ 虐殺を逃れた難民 カンボジア カンボジア 広い中庭を、作品がフェンスに固定されて、ぐるりと展示されています。 立ち止まって、解説に目を落とす人達。 アフガニスタンの川沿いの谷間 アフガニスタンの女性 十歳くらいの少年に解説を読み聞かせ、説明を加える母親。 アフガニスタンの山の冬 ちょうど「コの字型」の三方に当たる壁やフェンスに飾られた写真群は かなりの点数が展示されていました。 チャポイ(マットレスのかわりに網の張られた寝台)の上の老人。 アフガニスタンのある村の野外の学校 アフガニスタンの伝統競技「ブスカシ」。 馬に乗った男達が二手に分かれ、羊の皮を手に持った鍵棒で奪い合う競技。 英国でよく行われている、ポロ競技の原型といわれています ふと、目を引いた男性と少年の二人連れ。 少年は十歳前後でしょうか・・・。 「地雷で片足をなくしたカンボジアの赤ちゃんを膝に乗せる若い父親」 の前で十分以上もたたずんでいた二人。 側で見ていると、男性は少年にとても熱心に説明をしていました。 後半は来場の人達が増えて少し込み合うような時も・・・。 若いお父さんと一緒だった小さな女の子。 上の写真は、フィリピンの牢獄。 記念館の中から展示会場を眺める。 REZA(レザ)は1952年にイランに生まれ、 のちに、帰化をしたフランス人です。 世界的にも有名で、評価の高い写真家ですが、 彼の作品は「National Geographic(ナショナル・ジオグラフィック)」の グラビアをしばしば飾り、同テレビ・ドキュメンタリー番組でも彼の事が 何度か語られています。 パキスタン 暗殺されたベーナズィール・ブットー首相 アフガニスタンの少年 アフガニスタンの英雄、 パンシール渓谷の獅子と呼ばれた、アフマド・シャー・マスード司令官 |

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監督 フーベルト・ザウパー 公開 2005年1月21日 ヨーロッパ
2006年12月23日 日本
上映時間 112分 製作国 オーストリア・ベルギー・フランス・カナダ・フィンランド スウェーデン 言語 英語・ロシア語・スワヒリ語 先日街の映画館で、映画「ダーウィンの悪夢」をリバイバルで観てきました。 この映画が公開された2005年に一度劇場で観ていたのですが、 その頃はここフランスでも「グローバリゼイション」の深刻な影響に気が付 いている人は少なく、現在フランス経済を骨抜きにしつつある東欧・中国・ インドその他への「生産分野の工場ごと根こそぎ移転」も、本格的に現れる 以前のことでした。 前知識もさして無く、この映画を観に行きましたが、劇場で鑑賞した後は、 今迄に無かったような大きなショックを受けました。 これはアフリカのタンザニアの「ヴィクトリア湖」を舞台にした実話です。 数百の固有種の生物が住んでいて「ダーウィンの箱庭」とまで呼ばれていた その湖に、ある日何者かによって意図的に放された「外来魚」。 それがあっという間に、他の全ての魚を喰い尽くしてしまった為に、地元の 住民が漁師の職を失い、生活が根本まで破壊されてしまった恐ろしい悪夢を 描いたドキュメンタリー。資本主義経済の欲の悪の連鎖が生み出している 「悲劇の一滴」を目の前に突きつけられます。 カメラはその問題の魚「ナイルパーチ」の加工・生産・輸出によって景気に 湧く魚輸出業者とその工場と、「新しいビジネス」が生み出した地元住民の 貧困との深刻なコントラストと影を映し出します。 さらに、この魚をヨーロッパ、日本、その他、世界各国へと輸出する為に、 毎日飛んでくるヨーロッパからの飛行機の中に積まれて来る貨物の正体の 秘密。それが映像を追うごとに、少しづつ明らかになっていきます。 世界規模で行われている搾取の実態が、よく描き出されている衝撃作です。 あらすじと感想☆ タンザニアのムワンザにあるビクトリア湖に、外来魚「ナイルパーチ」が 放流され、「在来種」を食べつくしてしまった為に生態系は崩壊。 しかし問題のナイルパーチは「おいしい白身魚」が先進国で人気となり、 一見漁業で町は大賑わいに見えた。 ところが魚を求めて、進出して来た先進国の企業によって、牛耳られる羽目 になり、自国民でこの経済繁栄の恩恵に与れたのは、ほんの一握でした。 逆に偏った繁栄の為に、地元の男達は漁師の職を失い、女達は娼婦に身を 窶さざる終えなくなり、それまで地元民同士で助け合ってきた素朴な村制度 が崩壊して、ストリートチルドレンが増大します。 そして、「アルコール中毒」「暴力」「飢餓」「エイズ」が蔓延。 魚の輸出用のジェット機が日々離着陸を繰り返し、輸出業が盛んな一方で、 カメラが裏に回ると一転して、悲惨な現地の住民の様子が映し出されます。 映像は、先進国へ魚の輸送の為に雇われているロシア人パイロットの操縦 する輸送貨物機が降り立つところから始まります。 街の様子や魚の加工場の見学、インタビューされている笑顔が素朴で屈託が 無い地元住民、そんな映像の断片が入り混じっていることから「何がテーマ のドキュメンタリーなのだろう?」と最初は訝しく思えました。 ところが中盤、それまで流れて来た映像全てが一つの糸となって繋がり、 裏の事情が次々と明らかになる為、露にされた真実に驚愕します。 前半ロシア人パイロットと同席をしていて、歌を披露したりインタビューに 答えていたチャーミングな娼婦が、偶然このルポタージュの撮影期間中客に 刺されて殺されました。蒸し暑さの残る、夜更けの街頭の下での毎夜の暴力、その側で犬のように地べたに転がって眠る子供達。 地元民は工場が廃棄した、魚の骨に残ったわずか身を丸ごと油で揚げそれを 食べる。そしてそれはアフリカ各地にも売られて行く。 それが作られている魚の廃棄場は、さながら地獄絵です。 肝心の揚げられる魚は泥水の地べたに積まれ、腐敗して蛆が湧いている。 その腐食から出るアンモニアガスのおかげで目元が腐り、失明者が続出。 それでも「仕事が無いよりまし」と、笑顔で語るのは魚を揚げる母親だが、 その側には赤子や裸足で遊ぶ子供達がいます。 作品全体に渡って、淡々と地元民の生活や声を追っているだけなのですが、 彼らの語りの明るさが、生きる環境の壮絶さに全くそぐわないのが不気味で 尚更やり切れない気持ちにさせられます。 そして、そこで監督はふと不審に思うのです・・・。 魚を運ぶ為に外国から降り立つ飛行機には、何積まれて来ているのかと。 そこで、地元民に探りを入れてみて分かった恐ろしい事実とは、アフリカに 運び込まれていたのは武器だったという事でした。 この魚の主要輸出国は、欧州と日本だということですが、我々の豊かさが 廻りまわってアフリカの人々の貧困や飢餓を生み出し、数え切れないほど 沢山の犠牲者を出す「内戦・内乱」を、間接的に裏で支えている事になって いるのです。 「生態系の崩壊」や「環境破壊」、「経済格差」や「戦争」が複雑に関係し、連鎖していくという世界の裏の真実の仕組み・・・。 資本主義経済が生み出す、悪しき連鎖をここまではっきりと強烈に突き付け てくれた作品は初めてだった様な気がします。 劇場の大スクリーンで観ていると、私自身その地獄の傍観者であると同時に、まさに、その地獄を作り出している加害者の一人として逃げ場の無い気持ち になりました。 正直に言うと「見なければ、知らなければ楽だった」と、ふと思いました。 現実に存在する「世界の地獄の摂理」に頭を殴られた様なショック。 一度観たら忘れられない「負の現実」を映した力作です。 その後改めて、近所のスーパーで注意をして見てみると・・・ 実は、しっかり売られていました。 映画のチラシを魚屋中に貼り付けて不買運動してやりたくなりました・・・。 日本語字幕は「ニコニコ動画」のみで観ることができます。 ↓グローパリゼイションについてのウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3 ↓ナイルパーチについてのウィキには、この映画の信憑性を疑う記述が書か れていますが、映画を観る限りでは間違いなくノンフィクションだった様に 思えました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%81 ダーウィンの悪夢〜解説素材 http://www.youtube-nocookie.com/v/lmnrI4Zrk10&hl=fr_FR&fs=1&rel=0&color1=0x2b405b&color2=0x6b8ab6&border=1 |

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